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この恋は不幸でしかない 8
眩暈がしそうな事実に、穂垂は東条の名前を繰り返し叫ぶ。
徐々に増していく拘束のための腕の力にパニックを起こしそうになりながら、拳を東条の胸板に向けて振り下ろす。
「東条さんっ! 抑制剤を 」
動いた空気にαフェロモンが溶け込んで……今にも体を巡る熱が暴走を起こしそうだった。
穂垂は職員室に常備されているα用の緊急抑制剤を思い出し、縋るように駆け出そうとし……
「抑制剤は……使っている 」
呻くような声を耳元で出されて、腕からすり抜けようとした穂垂を更に強い力で引き留める。
それは園に着いた時の低姿勢など微塵も感じさせないもので、じりじりとのしかかる様は獣のそれだった。
悲鳴を上げようと息を吸うと、濃密な夏の雨の香りが鼻腔を満たす。
そうしてしまうとその熱さに喉が焼かれて声は掻き消えてしまい……
「ぅ゛ ぁ、 ぁ……」
本能に抗いきれない乱暴な手が服を乱そうとせわしなく動き回り、がむしゃらに引っ張るためにびち びち と糸の切れる音が響く。
押し退ける手はもうすでに機能しておらず、溺れた人間が縋れる場所を探すように弱弱しく空を掻くだけだった。
「ぃ、や と じょ、さ……正気にも どって 」
「は 」
懸命に訴える声は短い笑いに叩き潰される。
「私は いつも、正気だ」
そう言いつつも表情こそは変わらなかったけれど、東条の目は熱く熟れたような光を宿してギラギラとして見えた。
明らかに、正気じゃない。
「ゃっ !」
「こんないい匂いを振りまいておいて」
噛みつくように首筋に顔を埋められて……穂垂はぶるりと体を震わせた。
────興奮したαに、フェロモンを嗅がれた。
体の震えが恐怖に因るものではなく、αに求められたことでΩの本能が喜んだためだと理解した瞬間、穂垂は体の中からざっと血の気の引く音を聞く。
「ちが っ僕……僕は……あの人の 」
あの夏の暑い日、彼は確かに穂垂の首を食んだ。
歯形は残ってはいなくとも、あの人は確かに穂垂を番にしようとして首筋に唇を寄せてくれた。
「僕はあの人の、オメガです!」
振り回した手が東条の頬を叩き、一瞬動きを止めさせる。
はっきりと告げた言葉で東条が正気に戻ってくれたのだと、穂垂はほっと胸を撫で下ろしそうになり……
「噛まれてもいないのに?」
冷たい一言に絶望へと叩き落される。
ぐぷぷ と湿った音を立てて先端が入り込んでしまえば後はもう抵抗のしようがなかった。
散々抵抗して、その度に押さえつけられ、唇が切れたのか血の味が舌を刺激する。
「ぅ゛ ぁ゛っ」
割り裂くような衝撃に漏れそうになった声も、背後から頭を強く押さえられているために敵わない。
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