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この恋は不幸でしかない 27

「……あの人が、噛んでたら、こんな風だったのかな」  事故で噛まれたために嫌悪感が湧くかとなかなか向き合えないでいたというのに、実際に見てしまえば自分の首に歯形がある不思議さの方が勝った。  噛んでもらったのに、歯形が存在しない。  そのちぐはぐな認識が、逆に東条に傷をつけられたことで現実になったような、そんなふわふわとした落ち着かなさを引き連れて……  わずかに東条に彼の血が入っているからか、そう思うと噛まれたことも悪くないような気がして、穂垂は首を傾げるようにしてじっくりと項を見つめる。 「彼が噛んでくれたって思えば、   」  そう思い込めばこのどうしようもできない傷跡を少しは許せるような気がして、穂垂はそっと目を閉じて彼の顔を思い浮かべた。    桜が咲き乱れて日差しが緩やかに強くなり始めたあの日、穂垂は何に誘われたというわけではなかったけれど、散歩をしてみたくなって外へと出かけた。  引っ越したばかりで近所の地理が全然わからなかったせいで、迷って迷って……その先で辿り着いたのは桜の木の下のベンチだ。    これだけ見事に咲いているのだから人がいてもよさそうなものなのに、タイミングなのかそこには誰も座っていなかった。  土地勘のない場所で迷い、少しは焦るべきなのだろうが穂垂は昔から少しおっとりとしたところがあるせいか、その時も特に焦る様子もなくベンチに腰掛ける。  ぼんやりと頭の中を空っぽにしてピンクと薄水色の空を見つめていると、心の隅にあった満たされない部分が埋められていくような気がして、穂垂はほっと肩の力を抜いた。  彼に出会ったのは……いや、彼が見つけてくれたのはそんな時だ。  穂垂自身、後になってよくよく考えてみればなんとなく進んでいった先で出会えたのだから、これが運命だったんだろうという出会い方だった。  孫、ひ孫がいてもおかしくはない彼と、やっと社会で働きだそうとする年の穂垂と……  傍から見れば随分と奇妙な組み合わせだっただろう。  けれど、穂垂はそれでも幸せだった。  産まれてこの方、ずっと抱えていたかのような魂の欠落を埋めてくれるようなそんな存在と出会えたこと。  それは、どんな良い出来事よりも穂垂を幸せにした。  その人に出会えたから満たされた、その多幸感は……        番契約を結んだと周りにばれないように首元が隠れる服を着るようになった以外は、穂垂の生活は変わらなかった。  たけおみは以前のようには寄ってこなくなったけれど、それでも笑顔で挨拶してくれるようになったし、母親は自分で言った通り普段と変わらない。

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