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この恋は不幸でしかない 36

 この今にも死神に蝋燭の炎を消されてしまいそうな老人をたらし込む手練手管でも持ち合わせているのだろうと、東条は思っていた。  そういう下心で近づく輩が後を絶たないのは、もう仕方のないことだと割り切っていた部分もあって、常に身の回りで起こることだったからだ。  だから、東条がΩに引導を渡してやろうと二人に向けて一歩踏み出した瞬間、吹いた風に紛れて耳に届いた柔らかな鈴の音に呼吸を忘れた。  柔らかなフェロモンの香りと、それと共に鼓膜を震わす涼やかな音色は、東条の人生で聞いた一番心地のよいもので……  それが大伯父の隣に座るΩからだと東条が理解したと同時に、凍てつくような視線と目が合う。  風前の灯火程度の寿命しかないはずの大伯父の、その挑むような瞳に東条が怯んだ一瞬で、穂垂は大伯父に項を許してしまっていた。  清涼感に満たされた鈴の音がチリチリと乱れるように鳴り響き、彼の心情を表す。  弾けるような、蕩けるような……  心の揺らぎはそのままフェロモンへと影響して、匂いを音で聞くことのできる東条の鼓膜を揺さぶる。  甘美な旋律だったけれども、それは同時に失恋を告げた音でもあった。    東条の人生の中で、最も後悔した瞬間を上げるならば『会いたくなくなった』の言葉を告げた時になる。  去り行く大伯父が穂垂との関係を断ち切ったのだと、東条は当初楽観視していたけれどそうじゃない。  死んでいれば諦めもつくが、目の前から消えただけならばその存在は生き続ける。  あの日、東条を睨みつけながら彼の項を奪った大伯父は、死んでなお手放す気などなく。  区切りのつけられない穂垂の心の中に残る算段に手を貸してしまった、東条がそれに気づいても後の祭りで……大伯父は亡くなったが穂垂の中で生き続けることに成功した。  東条の手に因って。  もう一人の運命の相手に穂垂を渡さないために…… 「ぱ ……おとうさま、ほたるせんせ、かー……かれん? ですね」  東条はまだ幼いせいか言葉の切り替えがうまくいかず、たどたどしく喋る息子に「そうだね」と柔らかに返事を返す。  利発な顔に満面の笑みを浮かべて保育園での話をするたけおみを微笑ましく思うも、その体に移った香りに思わず鼻を鳴らしそうになって首を振る。  この子が、匂いが移るほど穂垂の傍に居た。  保育士と園児として当然のはずのことなのに、東条はそれが堪らなく気に障ったことに、もう一度首を振ってやり過ごす。  親として抱いてはいけない感情だと、自嘲と自戒を言い聞かせながら、たけおみと共に車を控えさせてある場所まで歩いていく。

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