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この恋は不幸でしかない 48
拳が振り下ろされ、机が跳ね上がるほど強い振動が起こる。
「貴方はひとりでいい人ぶりたいだけ!」
「そんなことはない」
「貴方は私と別れたかった、だからかなともが虐待されているかもしれないってことに飛びついたのよ! 私と別れるいい口実になるから!」
「そんなことは考えてない!」
はっきりと返す東条の顔を見て、彼女は一瞬凪いだ表情を見せた後に自嘲的な笑顔を浮かべた。
「じゃあ、時宝家の次期当主さまが、子供のいない、ベータの女に会いに来る頻度ってどれくらいなのかしら?」
「……」
Ωならば発情期を理由に。
子供がいれば子供を理由に。
では情しか残っていないβには、どんな理由があるのか?
「多くはないだろうが、君をぞんざいにはしない」
「貴方は会いに来てくれるでしょう。月一の不燃回収日みたいに、この日は私に会う日だからって。義務として」
「……」
「ぞんざいではないわね、確かに。でも惨めね、私」
机の上の拳が、ぶるぶると震えるほど固く握りしめられて……
「どうせ貴方に逆らったところで、消されるだけなんでしょ。手切れ金を振り込んで頂戴、それで私達はおしまいよ」
「しまいにする必要は……」
「私が嫌だわ。今ほどベータでよかったと思ったことはない」
彼女は赤い髪をかき上げて真っ白で美しい項を晒してみせる。
フェロモンが出ているわけではないのに蠱惑的なそれにはっと視線を揺らすと、彼女は嘲るような笑いを漏らした。
「噛まれていたら、死んじゃいたくなる」
「おい」
「噛まれてたら よ」
つん とそう言うと、彼女は箪笥の一番上の引き出しの中からピンク色の小さなノートを投げて寄越す。
表面には「母子手帳」と書かれており、その下に彼女とかなともの名前が続いている。
「貴方なら新しいものを用意しちゃいそうだけど」
「……」
「いらないなら捨てたらいいわ」
彼女はそう言うと煙草の箱を取ってキッチンへと消えてしまった。
東条は手の中のピンク色のノートを持て余すかのようにこねくり回し、中を覗いては閉じ……やがて溜息と共に立ち上がる。
「何か手助けが必要ならいつでも頼ってくれ」
「貴方が邪魔さえしなければ十分よ」
そう言って吐き出す紫色の煙は、二人を隔てるように視線の邪魔をして……
「かなともに会いにはくるだろ?」
「貴方は貴方の都合ばかりね。そんなにいい人でいたいの?」
「 っ、かなともが寂しがる」
絞り出すように答えた言葉に、……けれど、彼女は返事らしい返事をせずに立ち上っていく紫煙を目で追いかけるふりをした。
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