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この恋は不幸でしかない 56

 肺いっぱいに彼の香りを吸い込むと、頭の芯が痺れるような多幸感に包まれる。 「東条さんには悪いけど、他のアルファが傍に居るって思うと緊張しちゃうんだよね。ね?」  つわりという妊娠イベントの王様のようなものが居座り続けていた時間が過ぎた今、胎動を待つのはこの上なく楽しくて穂垂は一日に何度も窺うようにそっと腹に手を這わす。  胎動はまだか? としばらく待ってみて、苦笑いを浮かべてクローゼットへと向かう。   「まだまだなのかなー? それとも僕がわかってないだけなのかな?」    クローゼットの中を物色して、彼の服を引っ張り出す。  これは昨日着ていたのだろうか?  すんすんと匂いを嗅いで、フェロモンの濃いものを腕一杯に抱えると、それらと一緒に広いベッドへと倒れ込む。  衣装が舞うと彼のフェロモンも巻き散らかされて、ふわふわと穂垂の上に降り積もって……  そうすると満遍なく番のフェロモンに包まれて、思考することすら放棄してしまいそうなほどの幸せに包まれる。  彼の服で巣を作り、その上でころりころりと寝返りを打つと、彼が傍にいない寂しさが少しは紛れるようだった。 「ふふ……幸せ」  穂垂はそう言うとうっとりと目を閉じた。    ◆   ◆   ◆  デスクの上にある時計は確かに時を刻んでいるのに、先程から幾らも進んでいない。  東条は殺しきれなかった溜息を吐きながら背もたれへと体重を預ける。  長く続く溜息は動かない現状にイラついてのものだった。 「……新しい刺激があればあるいはと 思ったが……」    穂垂はあの日以来、東条の大伯父が生きていると思い込んでいる。  いや、亡くなったのを知らないのだから穂垂の中ではまだ生きているのかもしれない と、東条はぼやく。 「もっと早く……知らせていればよかったのか?」  けれど穂垂の体のことを考えればそれも行えず…… 「……いや、もしかしたら理解しないかもしれない」    穂垂は歪んだ認識の中で大伯父との生活を送っている。  東条を大伯父に見立て、いない人間をいるのだと思い込んでいるために起こる齟齬。  それは穂垂に負担を強い続ける。 「……」  東条は両手で顔を覆うとぶるりと体を震わせてうずくまるように突っ伏した。  すべての物事を楽天的に考える質ではなかったけれど、それでも穂垂を番にすることができて浮かれていた自身がいたことは確かで、こんなことになるなんて考えもしていないことだった。  何事も、すべてが思い通りに動かすことのできた人生で……これからもそんな日々が続いていくはずで……

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