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はいずる翼 40
苦い味が舌先を刺激する。
「 ぅ゛……」
「上手にしゃぶれたらホテルに行こうか? きゅうきゅうしているこっちに、きちんとお注射してあげるか 」
指先が最奥を弄ろうとした瞬間、館内に響き渡った退館を知らせる音楽に男の力がわずかに緩んだ。
咄嗟に動けたのは、口の中に入り込んだ苦みの刺激のお陰だった。
力いっぱい振り払った手が男の顔に当たり、怯んだ瞬間に足を踏み出す。
笑う膝が崩れそうになったけれど、トイレの外へと飛び出すことができた。
「お 」
オレを追いかけるようにして伸ばされた手が、トイレの外でつんのめってたたらを踏んだ体を素通りしていく。
ほんのわずかな隙間から見えた血走った目に……
呼吸すら忘れて駆け出した。
後ろを振り返ることはできず、辛うじてズボンを引き上げることはできていたけれどベルトを締めることもできていなければ、ボタンも留めてない状態で……
明るい昼間だったら何をされていたのか、誰が見てもわかるような状態だった。
辛うじて見つけた民家の中にある公園の水道を使って体を拭い、服を整えてみたが衣服に染み込んだモノまでは取り切れない。
ハンカチを洗って繰り返し拭い、流水で流してはみたものの……体中に絡みついた痴漢のフェロモンは薄まらなかった。
ほんの少し口に入ったあの苦い液体が、体中に沁みて滲んで溶けて混ざって。
────汚れが取れない。
吐いた息は白くて、汚れを拭った部分はぐっしょりと濡れて凍えそうだったのに。
「とれない とれない、なに、 これ」
今まで、電車でつけられたモノは水で洗い流せば取れていたのに……
「 っ」
ガチガチと歯を鳴らしながら手を洗うけれど、一向に綺麗にならない。
オレは……ひぃひぃと情けない声で泣くしかできなかった。
濡れそぼった体では電車に乗ることもできず、濡れた服を着たまま家に帰り着いた頃には体中が震えてうまく動かなくなっていた。
それでも、ここで倒れたところで誰も助けてはくれない と、自分に言い聞かせながら足を動かした。
珍しく明かりのついている玄関をくぐり、倒れ込みたかったけれど何よりも未だに汚れている体をどうにかしたくて風呂場へと……と、視線を動かした時に見慣れない物が見える。
玄関に並べられている大きな靴は母や若菜のものとは違う男物で、一瞬……会ったことのない父親が尋ねて来たのかと思った。
けれど……
リビングへの扉の向こうから、聞き慣れた低い声が聞こえた。
「……ぁ 」
和歌 と言おうとしたけれど唇が震えてうまく言葉が出ない。
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