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はいずる翼 58
「そいつはあっちと関係のない奴だ。下手なことをするなよ。いいか、俺が帰ってくるまで何もさせるな」
食いしばった歯の間から出た言葉はオレにはよくわからなかったが、医者は「えらそうに」と吐き捨てるように答えていたから、二人にしかわからない話なんだろう。
和歌が出て行くと、医者はむっと難しい顔をしたまま黙りこくり、黙々と手を動かして棘を取り去り、消毒してガーゼを貼った。
「名前と住所、身長体重、既往症」
メモ用紙を出されて、指先でとんとんと叩く。
それ以外の言葉はなくて……医者はこちらを見ようともしない。
名前と身長体重、かかったことのある病気を……書けってことなんだろうか?
鉛筆を持ち上げて……和歌に注意されたことを思い出した。
何もさせるな と言われていたのだから、こうして名前を書くのもよくないんじゃないのだろうか?
「ぁ 和歌が帰ってきてから 」
「この私が暇だと?」
呆れかえる溜息と共に零れた声は、心の底から社会がわかっていないと思っている声音だった。
「カルテをさっさと作って次の患者を診ねばならんというのに」
「あ……」
「保険証もないんだからカルテの情報くらい積極的に提供したらどうだ?」
「ぅ 」
あの場からは逃げ出すのに精いっぱいで、保険証とかそんなのは持って出ないとなんて頭になかった。
仕方なく軽い鉛筆を持って……鷲見 と書き始めると医者の視線が熱を持つのを感じて……
どうしてだか、鉛筆の先端が紙を擦るのが重く感じる。
ねっとりとまとわりつくような視線にからめとられて、指がうまく動かないような感覚だ。
「血液検査と尿検査もするから」
医者は背後の看護師に軽く手を上げて指示をした。
「……額の傷、だけ……ですけど……」
「初診だし、感染の有無を調べるだけだ」
つっけんどんに言われてしまうと、医療知識なんてない人間には「そうなのか」と思うしか手段がなくなる。
看護師の促しで採決と採尿をして……それでもまだ和歌が帰ってこなかったので、そわそわと辺りを見回す。
オレ達は結局裏口から通されて、そのまま診察室に入った。
傷の状態から緊急性があったのかもしれないけれど、和歌と医者の様子を見る限り普通の患者と医者とは思えない。
目の前で苦そうに顔を歪める医者がオレに快く事情を説明してくれるとは思えないから、大人しく和歌を待つしかなかった。
「 ったく、なんなんだ。何もされなかったか? 大丈夫か?」
和歌は靴だけでなく汚れていた服も着替えていて、血の痕を見なくて済んでほっと胸を撫で下ろした。
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