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はいずる翼 61
何も知らない、わからないままの二人の生活は……それでも、今思い返しても人生の中で輝いていた時期だ。
まるで自由に翼をもらえて、和歌と二人で飛び立てたような開放感。
「……でも、もうちょっと社会ってもんを知っとったら 」
二人の逃避行の結末は違ったのか考えるけれど、答えは出ないままだった。
新しく引っ越したアパートは前回の部屋よりも日当たりが良くて、オレは少し膨らんだお腹を撫でながら日向ぼっこをするのが好きだった。
昼寝をする質じゃなかったのに、子供ができたからかやたらと眠くて仕方なくて……
「じゃあ、少し出かけてくるから」
そう言って和歌は薄地のジャケットを羽織る。
「あ……うん」
眠い眼を擦りながら見送ろうとしたけれど、やんわりと押し返されて窓辺に再び腰を下ろした。
和歌との生活は、とにかく落ち着かなくて……何がきっかけなのかはわからなかったけれど、やっと部屋に馴染んだと思ったら引っ越すことも多かった。
和歌はその度に「湿気が酷いから」「隣人が良くないから」「利便性が悪いから」などと理由を言ってはくれていたけれど、それだけじゃないってなんとなく感じていて……
「ちょっと出かけてくるからな。ちゃんと若葉を守るんだぞ」
けれど、和歌が微笑みながらお腹に向かって話しかけるから、根拠もなく大丈夫なんだって言い聞かせていた。
あの日、病院から逃げるように立ち去ってから、和歌は難しい顔をしながらそれでもオレに「子供、ここにいるの?」って尋ねて来た。
まるで小さな子供が尋ねるような問いかけになんとなくおかしくなりながら頷くと、普段はあまり大きく動かない表情がぱっと輝いて……けれど戸惑いを含ませながら柔らかに微笑んだ。
「そっか」と、繰り返し小さく呟く和歌の顔は興奮で赤くなって、しばらく自問自答のように呟いてから、
「嬉しい」
簡潔で、これ以上飾りのいらない返事をくれた。
和歌が、オレとオレのお腹の中の子供に対してマイナスの感情を持っていないのがわかって、嬉しくて幸せで……毎日ふわふわと雲の上を弾んで生きている心地だ。
「は、はよ帰ってきてや」
「桜見に行く約束だからな」
小指を立てられて、飛びつくようにして小指を絡めた。
特に寒さの厳しかった冬を抜けて、今世間では桜の開花が話題になっている。
絶対に花見に行かなきゃダメ! ってわけではなかったけれど、心の浮き立つ季節に満開の桜の話をされると見に行きたくなるのが人間だ。
近所の散歩くらい一人で行けるけれど、どうしてだか和歌はそれを許してくれない。
引っ越したばかりで道に迷う とか、一人でいて暴漢に出会ったらどうする とか、そんな理由でオレはずっと部屋の中で過ごしていて、桜を見たかったのもそのせいかもしれなかった。
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