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はいずる翼 68

「ああ、戒訴。おかえり」 「……はい  」  和歌は返事の続きを言おうとして、結局何も言わないままだった。 「定期の報告がなかったから、悪い犬に噛まれたのかと心配していたよ」 「……大神に、後れを取るような真似はしません」  今にも零れそうな呻き声を飲み込み、かいそ? 悪い犬? 大神? と幾つかの単語を拾うもその度に痛みに邪魔されてうまく考えがまとまらない。 「そうだね、後れを取ってはいけない。あれは我々に仇なすものだ」 「  はい」 「私は戒訴の安全を一番に考えているんだよ」 「  はい」 「必要なものがあれば読師達に言いつけなさい」 「  はい」  和歌の返事は抑揚もなく、録音しているものを繰り返し流しているように聞こえる。  目の前の中年男性と会話していると思っていたけれど、そのやり取りはオレが母に言われ続けた一方的なやり取りを思い起こさせた。  この数か月、母から……あの家から出て、自分がどれほど閉塞感に苛まれていたのかを理解して……  あの頃の自分は、今の和歌のような表情をしていたんだろうか? 「……自由に、見えてんけど   」  微かに動く唇から声が漏れた瞬間、さっと二人の視線がオレに集まって……でも、その後のことは何もわからなかった。    高倉達の投げ捨てた金は、ほぼ紐のような下着に挟んだ。  ふらりふらりとホテルの外に出ると、どうしてわかったのか……小金井が車を目の前に着けて「おつかれさま」と腹の立つ口調でねぎらってくる。  乱暴にドアを開けて乗り込んだオレに何か感じたのか、小金井はいつもの天気の話をし始めた。   「予報では曇りって言ってたけど、晴れてよかったな」 「……三人やって、聞いてたか?」 「三人は聞いてないな。一人じゃ相手できないかもってのと、薬を飲むってのは聞いてる」  それは、深く問い詰めれば複数プレイを企んでいたのがわかっただろうし、アナが馬鹿になりそうなくらいガツガツ突かれることもなかったってことだ。 「オメガの潮が不老長寿? の材料になるってのは?」 「都市伝説かナニか? あー……だからうちのお客さん、若々しい人が多いのかもね」  自分の非をするりと流し、小金井はオレをアパートまで送っていく。 「今日と明日は休みにしといたからゆっくりしてよ」 「……二日じゃよくならん」 「ええー⁉ それは困るよ?」 「二日寝たくらいで体調戻るほど若くないねんで? 無茶させるから」  運転席の背中を腹立ちのままに蹴ってやると、小金井は困ったような笑いを零す。 「じゃあ、三日にしておくから」 「普段勤勉すぎるくらいなんやから、もっと休んでもええやろ」

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