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はいずる翼 80
笑って返したと思うのに、頬の筋肉が痛みで引き攣ってもうそれは笑顔なんかじゃなかった。
息も吸い込めないほどの痛みと、今まで感じたことのない下腹部からの痛みに……悲鳴のような声が耳に聞こえたのがはっきりとした記憶の最後だった。
体を起こすと隣は空っぽだ。
生活感あふれるミクの部屋は、日の光の中で見てみる素朴で好感の持てる内装だった。
「ミクちゃん?」
シャツの胸の辺りはしっとりと湿っていて、フェロモンとはまた違ったミクの香りがする。
他所様の家を勝手に歩き回るのも気が引けて、床に敷かれた布団の上に胡坐をかいてぼんやりとミクの帰りを待つ。
少しくたびれ感のある外出用の上着と、いくつかのシャツがかけられていて小さな棚には数冊の本と可愛らしい小物が置かれていて、それがミクらしいチョイスだと思った。
「あ! 起きられたんですね」
「ん、おはよぉーさん」
とと と部屋に走り込んできたミクの髪は濡れていて、風呂に行っていたんだろう。
その顔はさっぱりとしていて発情期を抜けたんだってオレに教えてくる。
「着替え、僕のでよかったらあるんで、シャワー浴びますか?」
一晩中、発情で体温の高くなったミクを抱き締めていたので自分自身も汗でべたべただったため、喜んで借りることにした。
案内された風呂場は楕円のタイルで埋め尽くされた昔らしい雰囲気で、なんとなく懐かしく思いながら冷たいシャワーを頭から被る。
冷たい水が髪をすり抜けて頭皮を伝いながら流れ落ち……やがて体を濡らしてく。
そこにある赤い一輪の花も。
「……」
何年間、何度も見ているはずなのに目に入る度に感傷に浸ってしまうのは、結局和歌に自分が運命だとわかってもらえたのかもらえなかったのかはっきりとしないせいだろう。
痛みにのたうちながら「自分達は運命だ」と訴え続けた時、……和歌はどんな顔をしていたのか、覚えてはいなかった。
痛みのせいで視界がかすんで、まともな思考回路で和歌の顔を見ることができないまま、医者が入ってきて点滴をされて意識を失って……
そして、オレはお腹の子供を失った。
目覚めた時……いや、目覚めなんて言えるようなはっきりとした意識は戻らなかった。
息苦しさと寒さと体の熱さと痛みで体中がバラバラになりそうなのに、誰もいなくて……苦しさに意識を失って、また痛みで目覚めはするけれど苦しさと寒さと熱に翻弄されて、また意識を……
記憶らしい記憶はなかったけれど、苦しさと寒さと熱、それから痛みの記憶だけは鮮明だ。
途切れるように和歌と、和歌に訴え続けたこと、それから時折医者がいたような覚えはある。
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