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はいずる翼 83

 それでもわかったのは、「子供」「大神が連れて行った」の言葉だった。  以前にも聞いたことのあるその名前が良くないものだということと、苦し気に話す和歌の声から大神が子供を連れ去ったのだと理解して……  体に残る痛みと、深い闇に落ちていくような体の感覚に、それを問うこともできないままオレはベッドの上で過ごした。  ピコピコ と耳障りな機械音にうなされるように目を開けると、傍らのパイプ椅子に見慣れない男が座っている。 「 ────っ⁉」  思わずびくりと跳ねたからか、オレが起きたことに気づいた男は長い前髪の下から窺うように視線を向けて来た。 「だ  」  「れ」の部分はうまく発音できずに口の中で消えてしまった。けれど、その男はオレの意を汲んだらしく「小金井」とぽつんと自己紹介してきて……  年齢にあったラフな格好をしていて、年齢的に和歌の友人だとしてもおかしくはなかったけれど、目の前の男はそんな雰囲気ではない。  和歌から知人の話なんかも聞いたことがなかったし、オレの知り合いでもなかった。  随分と胡乱な顔をしていたのがバレたのか、小金井は立ち上がって窓の方へと向かう。 「あー……天気もいいですし、ちょっと窓開けていいです?」  否 と返事をする前に小金井はさっとカーテンを開けて、窓も開く。  吹き込んでくる風は少しひんやりとしたもの悲しいもので、確認をしなくとも冬が近いことを知らせてくる。  病室に入り込むには少し冷たい空気に、逃げるように布団を手繰り寄せた。 「あ、寒いですよね。でも空気の入れ替えもした方がいいし、あと三十秒くらい開けておきますね」 「  ────」  嫌だと思ったところで閉めに行くことも、抗議の声を上げる気力も体力もない。  動かしにくい顔の筋肉を動かして不愉快さを示すだけが、精いっぱいの抵抗だった。 「えぇっとですね。……何から話そうかな」  ぱんぱん と手を軽く叩き言葉を探す小金井は口元しか見えないのに、苦い表情をしているのがわかるほどだ。  小金井は、和歌に依頼されてオレの入院の面倒をみることになったこと、子供は……誘拐されたこと…… 「仙内さんはその子供を追いかけるために出かけました」 「  でか、け 」  小金井の「出かけた」がその日の内に帰ってくるような軽いものでないことは感じた。  気まずいのかあまり詳しく説明したくなさそうに小金井は鼻を啜ってごまかし、「まぁそういうわけ」と説明を打ち切った。 「とりあえず俺は入院中のサポート役なんで」 「こど も、誰   」 「…………」  小金井の唇はこれでもかというほど曲げられて、開く気配はない。

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