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はいずる翼 84

「な  ん   」  なんで?  どうして?  どうして!  和歌と二人で暮らして、子供もお腹の中にいて……出産は怖くもあったけれど、和歌と一緒なら乗り越えていけるだろうって、思って……  名前だけしか存在しない父親、Ωを否定する母親、生まれながらにすべてを持っている姉、それらから逃げ出してやっと……自分を見てくれた人と幸せになったのに! 「  ────っ」  喉はひぃ と布を裂くような音を出した。  泣きじゃくれるほど体が回復していないオレは、喉を反らして引き裂かれたような空気を吐き出すのが精いっぱいだ。 「……窓、閉めるから」  誰に言うともなく小金井は宣言してから窓を閉めると、すぐにこちらを向かずにずいぶんと長いこと窓の方を向いていた。  泣いている人間と向かい合うのが気まずかったからか、それとも見られたくないオレの心を読んだのかはわからなかったけれど、オレの体力が尽きるまでじっと外を見つめていた。  手を合わせて「御馳走様でした」と声に出すと、それが久しぶりだったことに気づく。  独りで食べる際にはそんな言葉は口にしなくて……もそもそと必要最低限のカロリーを摂るためだけの事務的な作業だったから。 「よろしゅうおあがり」  にこにこと満面の笑みで応えて、ミクは机の上を片づけ始める。  ご飯と豆腐とネギの味噌汁、卵焼きと焼き魚。  定番の朝食だったけれど、どれも一つ一つ丁寧に作られているからかすこぶる美味しかった。 「お味噌汁、青ネギなん美味しかった」 「よかった!」 「片づけはオレはするん、ミクちゃんはちょっと休んどき。まだ体しんどいやろ」  食器のまとめられた盆を取り上げると、ミクは少し慌てた様子だったけれどすぐにこくりと頷いて「お願いします」と頭まで下げてくれる。 「じゃあ僕はお茶を淹れますね」  そう言って茶筒を取って準備をする姿に……碌に家族の食卓を囲まずに生きて来た自分が気恥ずかしくなった。  地に足ついた丁寧な暮らしを行ってきたんだってわかる立ち居振る舞いは、しようと思ってできるものじゃない。  ミクが母親と二人暮らしと言ってはいたが、素敵な家庭だな と、わずかに胸をチリチリとさせながら思う。 「うち、ほうじ茶なんですけど  」 「大丈夫大丈夫! 何出されてもミクちゃんが淹れてくれるんやったら美味しいって」  ふわふわと笑うミクと食卓に着いて、食事の後のお茶を飲んで他愛ない話をして……  テレビや本の中で見る何気ないこの瞬間に自分が立ち会っていることに、不思議な感じがした。 「あ、そうだ……忘れないうちに」

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