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はいずる翼 85
そう言うとミクはさっと立ち上がり、自室の方へと行ってしまう。
追いかけたものかと考えていると封筒を手に戻ってきて……
「お店の料金表で計算したんですが、間違えていたら言ってください」
薄い緑色の封筒には可愛らしい桜の模様が描かれていて、わずかなふくらみが見て取れた。
手に取らなくともそれが何かわかったし、どれくらいの金額が入っているかも想像できる。
いつもの客とのやり取りだ。
仕事をして報酬をもらい、オレはそれを貯める。
「あ の ?」
「…………」
仕事だ。
理解しているのに手が出なかったのは、これを受け取ったらミクの家に来た一晩が仕事になってしまって……それに、抵抗したかったからだ。
「あっ! すみません! チップは別に用意します! 少し待っててください」
「待って! ミクちゃん!」
「……?」
「……オレ、今日は仕事休みの日やねん」
咄嗟に出た言葉が、わずかなプロとしての矜持を捻じ曲げるものだとわかっている。
「じゃあ! ……えっと、じゃあ…………」
一瞬、ぱっと明るくなった表情を引き締めて、ミクはぎゅっと胸の前で拳を握った。
まるで何かと戦うかのような……防御するような……
「チップは……チップを、弾みますね 」
へらりとした笑顔は失敗作のようだ。
オレは目の前のミクの心の中でどんな変化があったのか、読み解こうとしたけれどダメだった。
一線を引こうとしたミクの手を掴んで引き寄せて……どうするか考える前に腕の中へ閉じ込める。
項から香るのはお風呂場にあったシャンプーのそれでフェロモンは一切感じない。
けれど、もしかしたら……と、思わず微かに鼻を鳴らした。
「み、みなちゃ 」
「別に仕事で来たんちゃうよ」
オレ自身、Ωらしい筋肉の少ない細い体だと思っていたけれど、腕の中のミクは更に細い。
力を込めると壊してしまいそうだ と思う立場になって初めて、和歌がオレに触れる時にどんな思いをしていたかを知った気がした。
手を取って握り締め、掌をくすぐるように掻き、ちょんとそこに口づける。
「仕事ちゃうんよ」
手入れのされた滑らかな手ではなかった。
毎日を一つ一つしっかり生きて来た人間の持つ、少しカサついた手だったけれど……可愛らしいと思った。
少し骨ばった手の甲や、節の目立つ細い指や、小さな爪が……
「ミクちゃんのとこに、オレが来たいと思ったらからきたんよ?」
「 っ! ぁ、ぇ……っ」
さっと朱に染まったのは頬だけじゃなくて、耳や首……項も赤くなる。
痛々しいほど酷い歯形が赤く染まった瞬間、なんとなくミクの番だったαに鼻息付きで笑いを投げつけてやりたくなった。
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