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はいずる翼 87

 縋りつくような声音に何も感じなかったわけじゃない。  ミクの生活にある小さな違和感をかき集めたけれど、それでもその正体に辿り着けなかった。 「あらぁ、あゆみちゃんのおともだち?」  はしゃいだ声を出されて、戸惑ったけれどなんとか表に出すことは防げた。 「おやつ、おやつかってあるのよ」 「お母さん、おやつにはまだ早いよ」  年配の女性の手を引きながら玄関を上がってくる様子を見て、おかしいところは幾つもあった。 「あゆみちゃん! アイス! アイスあったわよねぇ、あなたのすきなチョコの」 「パリパリした奴?」 「ええそう。おさらにきってあがえるから、まちこちゃんとおたべなさい」 「でも、あれはこの前食べちゃったんだよ?」 「あらぁそうなの? でもアイスをたべたらいいわ」  言葉は穏やかだったけれど、内容は居心地の悪くなりそうなものだった。  ミクの母親だと紹介された女性は穏やかそうな背の低い、少し丸い感じのする人で、顔立ちはともかく纏う雰囲気はミクのものとよく似ていた。  けれど、オレに話しかけてくる内容が奇妙で…… 「まちこちゃんはもうしゅくだいおわったの?」  返事に詰まっていると、またおやつの話をしだす。  困惑がとうとう顔に出てしまっていたのか、ミクはくぃ とオレの服の裾を引っ張ってへらりと失敗した表情で笑うと、「少し、認知症が入ってきてて」と小さく告げる。  そう言われてなるほど……と理解して女性の背中を見た。 「アイスだしてきてあげるね」  おぼつかない足取りというほどではないけれど、きぃきぃと軋む木の廊下を歩く姿は不安を掻き立ててくる。 「あゆみ ちゃん?」  詮索する気がなかったから、ここで聞けたミクちゃんの名前を小さく呼んでみた。  恥ずかしそうにするかな?  探ったって怒るかな?  それとも「はい」って返事をくれるかな?  小さないろいろな思いがあったけれど、ミクの反応はそのどれとも違っていた。  曖昧に小首を傾げる表情は、オレが手を合わせたいんだけどって言った時と同じだ。  なんだか人の心をはっとさせるような、寂寥感を植え付けてくる笑顔をみせてへたくそな笑い方のままミクは項垂れる。  突き出された項の傷は噛み千切られたようだったからか、そうやって見ると致命傷を負わせようとしたふうにも見えた。 「あ……」  なんとなく、ぞっとして自分自身を抱き締める。 「僕は……野村遥歩(のむらあゆむ)って言います」  母が呼んでいるのはよく似ているが違う名前だ。  単に認知症が進んで女の子のように呼ぶようになったのかと邪推してみるも……違うんじゃないかって、直感が告げた。  

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