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はいずる翼 94
なぜだか突然、しくり と腹が痛んだ。
妙な間が空いてしまったからか、ミクは再び頑なな心を表すように無理矢理に笑顔を作る。
そんな顔をさせたかったわけじゃなくて、安心させてやりたかったのに腹の痛みが思考を遮って……
自分の中にない言葉を見つけることができないまま、ミクの手を取る。
「 力になりたいって思うんは、あかんことなんかな?」
「っ……でも、ご迷惑になります……今でも、もう、こうやって……来てもらえて 」
震える唇は薄いピンク色だ。
この家に来た時は血の気が引いてもっと青い色をしていて、肉体的というよりは精神的に大きなショックを受けていたんだってわかった。
それが今、温かみのある色に染まっているのを見て、心の底から安堵の感情が沸き上がると同時に、衝動的にミクの頬に手を添えてキスをしてしまっていた。
手を握っただけでも赤くなる、そんなミクにキスをするとどうなるか は、自分だけが知っていればいい話だ。
なんにせよ、オレのその突飛な行動でミクは落ち着いたし話し始めてもくれた。
父の再婚相手と折り合いが悪かったこと、売られるように嫁がされたその先では人らしい扱いではなかったことを、膝を抱えてオレに寄り掛かりながら語る。
腹違いの弟とは仲がよかったから今頃どうしているのか気がかりだとか、突然の発情期と結婚だったから学校の友人たちにさようならすら言えなかった と。
よくよく見ればわかる薄い傷の痕をなぞりながら、最後に当時家政婦をしていた母と逃げ出して養子になったのだと締めくくった。
「それから、親子二人でなんとか 」
年老いた母親とΩのハンデを持つミクと……支え合ってこれた と言ってはいるけれど、その道は平坦ではなかったはず。
以前に感じた、オレが勝手に思い込んでいたミクの母親との幸せそうな家庭のイメージが薄れて、小さな涙の雫を流す真実の姿が見えた。
「……正美さん……僕の番だった人にはもうご家庭があって、僕は正美さんの実家が用意した番なんです」
運命でも、αとΩとして惹かれ合ったわけでもなく。
家畜のように買われて嫁いだ。
「…………」
「御厨って言います」
「みくりや?」
「旧姓? えっと、生まれた時の名前、御厨遥歩(みくりやあゆむ)って言います」
だから、ミク。
やけに可愛らしい名前だし、好きなキャラクターの名前をもらったのかと思っていたけれど、ミクは最初からオレのアドバイス通りにしていたのか。
「……だから、僕、正美さんには必要とされてなくて。でも、実家を黙らせるために首を噛んで、ヒートの時だけ抱かれてました」
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