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はいずる翼 104

 大神ならば、このまま拉致監禁してでも言うことを聞かせられるだろうに……いや、そもそも交渉する必要すらなく実行に移すことができるだろうに、オレの返事を聞いて「わかった」とだけ返してくれた。 「え、ええんか?」 「お前にも事情があるんだろう。腹を括ったら連絡しろ」  そう言うと大神は立ち上がり、瀬能に「お先に失礼します」と声をかけて歩き出す。 「あ、え、ちょ   」 「ゆっくりするといい」  大神が出たのとすれ違いにカートを押した直江が入ってくる。  そこにはオレが適当に言ったアフタヌーンティーのセットが置かれていて、直江はそれらを慣れた手つきであっという間にテーブルに設置していく。 「瀬能先生はコーヒーと紅茶、どちらに?」 「せっかくだし紅茶にしようかなぁ」 「みなわさんは?」 「紅茶 で……」    ぎこちなく給仕されるオレとは違って、にこやかな笑顔のまま直江は紅茶を淹れて頭を下げた。 「では私はこれで失礼します。みなわさん、こちらをどうぞ」  さっと差し出された封筒はいつもと同じ素っ気ないもので、中身もきっといつもと同じものだ。  チップというには多すぎる金額が入っているのだろう。 「や……でも、なんもしてへんのに  」 「大神の心付けですのでお気になさらず」  何も言わずに受け取ってもいいはずのものだったが、さすがに話を聞いただけでもらうには金額が多すぎる。 「ああ、もらっておいたら? それくらいじゃ痛くも痒くもないだろうし」 「せやったら……いただきます」  厚みのある封筒をそのままクラッチバッグに入れて、気まずいまま湯気の立つ紅茶に口をつけた。  香りもいいだろうし味もいいのだろうけれど、先程あったばかりの人間を目の前にして味わうことができない。 「僕、みなわさんにずっと会いたかったんですよ」 「は ぁ?」  貼り付けたような晴れ晴れとした笑顔にはやはり色っぽい雰囲気は潜んでいない。  立ち居振る舞いから見て、スマートにそういった誘いをかけてきそうではあったけれど、そうじゃない と勘が告げる。  年相応に穏やかそうな瞳の奥にある昏さは何かを持っている人間のソレだ。 「でもほら、大神くんはオメガに甘いから」 「そう、なんかな?」 「全然紹介してもらえなかったんだよね」  優雅に口元に紅茶を運ぶ目の前の男がオレを見る目は、モルモットを見る目と同じだった。      がらんとした部屋から仕事に着ていた服を捨てると更に物が無くなって、引越ししたての家でもここより華やかだろうと思う。 「オレ は、どうしたらええんかなぁ」  足掻くオレにとっては、最後のチャンスだろう。

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