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はいずる翼 107

 長い間離れていた自分達が、それでも同じ方向を向いて歩んでいたのだという証拠だから。 「  っ  ぅ、あ  ……しずる  」  和歌がその名前を憶えているとは思っていなかった。  戯れに告げた名前は、お腹に新しい命が宿ったと感じた瞬間に聞いた雪が落ちる音だ。 「しずる……そうか   男の子やったんか  」  涙を落とさないように天を仰ぐ。  そうか、そうか と繰り返し名前を噛みしめ、どんなふうに育ったのかと想像してみる。  自分に似たのか、それとも和歌に似たのか…… 「これ以外に、何か言付けとかなかったんか?」  鼻声を恥ずかしく思いながら尋ねると、小金井はびくりと肩を揺らしてから「ないよ」と平坦な声で答えた。 「そ そうなんか  」  皺を作りたくなくて握り締めることのできない手紙を見下ろして、それでも和歌からの言葉だと思うと胸が震える。  子供の行方が分かって、何を置いてもまずそのことを知らせようとしてくれたんだろう。  余分な言葉を書く暇もなく……    そう思うと小さな紙片に書かれたこの文字が急いた気持ちの表れのように尊く思えて、再び涙が溢れて止まらなかった。    手紙はその後にもう一通届いた。  やはり何も書かれていない真っ白な封筒に一枚だけメモ用紙が入ったもので、これからオレがするべきことが簡潔に書いてあった。  一方的に送られてきた手紙には、返事を返すための住所は書かれてはいない。  疑問はあったけれど質問することはできない。  指示だけが書かれた手紙が異常なことだとは理解しつつも、それが和歌から送られてきたことだけは頭ではなく本能的な部分で感じ取ることができたから……  メモを繰り返し読むごとに自分で理由をつけて納得する、そんなことを続けて……オレは最後の最後に大きく動いたこの状況に縋りつくことを決めた。  ここに子供がいたのだとわからせるかのようにしくりしくりと痛む腹を抱えて、痛みに耐えながら最後の最後……いや、最期の手紙をしたためる。  送る先がわからない和歌でも、長年の雇い主だった小金井でもない、ぐるぐると和歌の計画を繰り返す頭の中でも常に片隅にいてくれたミクに向けて。    大神に店ではなく現金で用意して欲しいと言って手に入れた金と、実験の前金と、オレのタンス貯金と共に添える手紙だ。  役立てて欲しい と、それから『オレも好きだった』と書こうとしたけれど、そうするたびに痛みがひどくなっていくから、諦めて『オレも』だけを書いた。  それらを、悩んだけれど直江に届けてもらうことにした。  一番仕事がしっかりしてそうだったし、もし中身を調べられたとしても、金と一言メモじゃ何もわからないだろうし、なんなら男娼が入れあげた客に金を送った程度にしか思わないだろう。

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