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壁の中のラプンツェル8
「んふふ、そう言うんじゃなくて、オレは大神さんをすべての苦しみから遠ざけてあげたいんです」
「その代わりに自分が矢面に立ってもか?」
「はい!」
大きな返事に、大神は耳が痛そうにさっと顔をしかめる。
まるで子犬がひたむきに飼い主を見るような目だ とは、口には出さず、大神は間接照明も落として部屋を暗闇の中に堕とした。
「それは俺の役目だろう」
闇から聞こえてくる声はいつもの力強さがなくて、まるでよく似た声のお化けが喋ったように響く。
「オレがやってもいいことです!」
むしろ、大神は後ろでどんと構えていてくれないと と、セキはお互いの立ち位置を考えて思う。
自分はたまたま大神に拾われた運のいいΩだけれど、大神はその反対に大勢のΩ達を救うように働きかけている。
ならば、どちらに重きを置くかは明白だ。
自分が盾なり鉄砲なりになれば大神を守ることができる! と、セキは信じて疑わないでいた。
明りのない部屋の中ではお互いの息遣いだけが存在を知るすべてだ。
わずかに触れ合ったままの肌と呼吸音、それから高く鳴り続ける鼓動を聞き取ろうとするせいか、二人の間には微妙な緊張関係が出来上がっていた。
「お前がやることは、盾じゃない。マッチングで番を見つけることだろう?」
「大神さんに救われたから、オレは恩を返したいです。それを返せてないのに他のことなんて考えられないです!」
「恩ならもういい。十分だ」
「それなら恩は返しました! じゃあ! じゃあ! ここに残ったのは恩を返さなきゃっていう義務感が無くなった純粋な気持ちです」
大神は一瞬触れて来た温もりをとっさに振り払おうとしてしまった。
けれど、寸でで堪えてさっと拳を握り込んだ。
「貴方への恩がなくなって、オレにあるのは大神さんに対する愛しいって気持ちです」
何の照れもなく告げられた言葉は柔らかだったが大神の胸に傷をつけることに成功したようだった。
「うるさい。寝ろ」の一言で切り上げることができたはずなのに、大神は何も答えないままだ。
「いろんなものをそぎ落としてそぎ落として、普通の生活とか、友達、親、就職、学生時代。純潔……それから明るい道」
ぴくり と大神の肩が揺れる。
「すべて捨てて捨てて、それでも捨てられないのが貴方への愛なんですよ」
声は穏やかだったが、見えないセキの顔は赤らんでいるかもしれなかった。
「オレの体に、最後に残るのは貴方への愛」
そっと手を包み込むように握られてしまうと、幼い頃に母親が言い聞かせたい言葉がある時に使う態度によく似ている と大神はぼんやりとそんなことを思う。
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