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雪虫5 5
「なんだよ、まだ準備できてないのか?」
最後の一口を飲み込んでそう声をかけると、カウンターの陰でオレの存在に気づいていなかったうたは飛び上がるように驚く。
「あ、え、しずる! なんでいるの⁉」
「なんでって、飯食ってるからだよ。別にここの食堂は誰が使ってもいいんだし、いいだろ」
大げさに声を上げられてしまうと、ついオレもつっけんどんな返事をしてしまう。
うたはオレと若葉の顔をさっと交互に見ると、恥ずかしそうに身を縮めて「なんでもないの!」と呻くような声で言った。
オレ相手はともかく、研究所の人相手には取り繕ったような表情と喋り方をするうただけに、その姿は珍しい。
「ああ、この前教えたん、うまくいかんかった?」
「ぁ。そ、の、すみません。私が不器用で……」
リボンと櫛を持っている段階で、うたが何をしに来たのかははっきりとしている。
「別に服買いに行くだけなんだから髪の毛括る必要ないだろ?」
「服?」
きょとんと若葉が返すから、オレがうたの服を踏んづけて破いてしまったことを話そうとして……面倒だからやめた。
なんか変に取られてうたにまで恥をかかすのは本意じゃない。
空になったカレー皿を持って立ち上がり、食堂の時計に目をやるとちょうどうたと待ち合わせの時間だった。
「服、一緒に買いに行くんだよ。今から」
「や、ちょ、ちょっと待ってよ! だって、私まだ……準備……」
うたの目は若葉とオレを行ったり来たりしていて、髪を結びたいのだと表情が告げていた。
「綺麗な髪してんだから括る必要ないだろ?」
「えっ⁉」
「別にそのままで似合ってるし、いいだろ?」
うたとの用事を済ましながらついでに雪虫の絵本を買って帰ってこようと計画しているから、できる限り早く出たい。
最近読める文字が増えてきた雪虫が喜びそうな本を探すのは楽しいけれど骨の折れる作業になるはずだ。だったら少しでもそれに充てる時間が欲しい!
「に、に……ぁ、ってる、かな?」
どうやったらそんなに真っ直ぐに癖もなく伸びるんだろうって思う黒髪は、茶髪や金髪よりはうたの雰囲気に合っていると思う。
「だからそのままで行こう」
「っ でも、 」
「簡単に結んだるさかい、少しだけ待ったりぃ。な?」
割り込んできた若葉の言葉で、うたの髪を結ぶってイベントが発生してしまって……オレは食堂の時計を見ながら針が動くのをイライラとしながら見つめた。
「待ってな、ここに確かピンがあって……あ! あったあった」
若葉はエプロンのポケットから丸いピンク色の真珠のついた髪留めを取り出すと、うたの左耳にかけられた髪を止めるようにして髪に差し込んだ。
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