570 / 698
雪虫5 43
「番のためにも、お金はあった方がいいよ」
差し出された手を拒んだオレに東条は一瞬怯んだけれど、それで思い直してくれるってことはないようだった。
「お金が大事なのは……わかってます」
金があれば、ジジィとババァはオレの精子を売ろうとなんてしなかっただろう。
高校中退もなかったし、バイトに明け暮れることもなかった。
「でも、今この金をもらうのは違うと思います」
今ここで金をもらって、Ωの情報を見た東条を見逃してしまえば、突き詰めてしまうと雪虫を物として扱った奴らと同じになってしまう。
「そう、それがあの子を危険に晒すことになっても?」
長い指はさまれた紙幣はピクリとも動かず、まるで静止画を見ているようだ。
けれどピリピリと肌を刺す威圧感はどんどんと増していっていて、東条がオレを屈服させたいんだってわかる。
東条の脅しはオレを確かに怯ませたけれど、……でも、オレは瀬能を信じている。
「お オレを、連れて行くなら、電源を切ります!」
東条の動きを真似るように、さっともう一度携帯電話を突き出す。
先ほどから繰り返し入電して振動するそれは、位置情報を通知するアプリも入れてある。
このままの状態だと、リアルタイムでオレの居場所が筒抜けで、それはそのまま東条の居場所になってしまう。
「このままだと居場所がバレますよ」
「……」
「オレがしつこいってよくわかってますよね?」
「……」
「それとも、ここで通話しますか?」
「……」
不穏なやり取りに運転手がバックミラー越しに視線を遣るのがわかったけれど、オレはひたと東条を睨み返すだけだった。
「……電源を切りたまえ」
真っ直ぐに引き結ばれた唇が歪んでそれだけを告げる。
じり と、また再びお互いの動きを探る空気の中、オレは携帯電話の電源を落とす。
「落としました」
「……本当にするとは思わなかったな」
苦そうに口元を笑みの形に歪めて、東条はオレから視線を逸らしてしまった。
今まで見たこともないくらい砕けた携帯電話の表面をなぞりながら、そこに映る傷だらけの顔を見て顔をしかめる。
大きい怪我ではなかったけれど、それでもごまかすには苦しい大きさの傷だ。雪虫がこれを見てまた悲しまなければいいんだけど……と、落ち込みながら自分の顔を映す携帯電話をくるりと裏返す。
「どこか痛むところは?」
ぽつんと尋ねてくる東条は、少し冷静になれたのかいつもの雰囲気だった。
「体中痛いです」
「はは。だろうね。轢いてあげれてたら今頃手当を受けられていただろうに、残念だ」
どこがどのパーツだったかわからなくなった自転車を思い出して、ぶるりと体を震わせる。
ともだちにシェアしよう!

