572 / 698

雪虫5 45

 こっちはわけもわからず変な注射をされて、自転車で吹っ飛んで、体中痛いのを我慢して車に乗って、気まずい思いをしているのにっ! 「そんなだから番に逃げられるんじゃないんですか?」  苛立ちのままに放った言葉は……番を持つαに言ってはならない言葉だったんだと、思わずはっと口を押えた。 「……」  ぐっと引き結ばれた唇はオレの言葉で糊で貼り付けられたかのようになってしまっていた。  人として、言ってはいけない言葉だった と謝罪をしたくとも、ここまでの態度があったせいか素直に謝罪できず、もご と口の中で言葉がわだかまる。  オレが雪虫に逃げられたとしたら、もうめちゃくちゃ落ち込んで何も手につかなくなるだろうし、ショックで引きこもって雪虫との思い出をなぞりながら衰弱死するかもしれない。  もしくは……オレの何が悪かったのか雪虫に尋ねるために追いすがって…………順番に考えていくと、結局は東条と同じ行動をとるだろう。  がむしゃらに、何を犠牲にしても、雪虫を探して……  自分の思考が東条と同じなのだと思いつくと、後は申し訳なさに体を小さくするしかない。 「ゃ  その、ちが……でも、……つ、番のことを……もっと知っていれば、防げたんじゃ? もっと会話して、番のことを理解しないと……」 「君と同じように?」  『君と同じように』 「は?」  皮肉のように短く鋭く言われた言葉にぽかんと口を開けてしまった。  確かに、雪虫と出会って長いわけじゃない。だからといって短いわけじゃなかったし、話しをしないなんてこともないし、体も幾度も繋げて……番でもある。    オレはできる限り雪虫の傍に居て、雪虫を優先させて、雪虫を思って生活していて……番のことを理解していないと言われるようなことはないと言い切れる。   「そん  「君は、あの子のことをどれだけ知っている?」    言葉を遮った東条の表情は、ぞくりと寒気を感じさせるほどの鋭利さだ。 「オレ、が、知ってる?」  そう言われて、先程の東条が言った言葉が自分に突き刺さるのを感じた。  オレは、雪虫に一番近い人間のはずだ。  けれど……オレは、雪虫の過去を何も知らない。  雪虫という存在と取り巻く環境、好き嫌いや体質のことはわかっている。  だがそれだけで、実はオレは雪虫が何歳なのかを知らないままだった。以前、直江に尋ねた時はうまい具合にはぐらかされてしまって、正確な年齢も誕生日も知らなかった。  どういった経緯で瀬能が保護して、大神が面倒を見ていたのか、その辺りの事情をオレは教えてはもらっていなかった。

ともだちにシェアしよう!