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雪虫5 59

「番に会うためです」  ビリ と体の表面を刺されたような刺激に思わず体が竦む。  わざわざ意識して嗅ぐ必要がないほど東条から漏れる威嚇のフェロモンに気圧されて飛び上がった。  セキにまとわりついた大神の威嚇フェロモンなんかは感じたことはあったけれど、直接目の前で放たれるソレは、実践経験のないオレには恐ろしいものに見えて……  無性である瀬能ですら、そのフェロモンが醸し出す空気の重さに気づけたんじゃないだろうか。   「ぁ  ぁああ   」  オレですらこうなんだから、守るように東条が抱きしめている赤んぼうは、逆にもろにそれを受けてしまったからか、か細く泣き出した。  ひぃひぃと泣き切ってしまって泣き声を上げられないほど消耗している様子で、赤んぼうはよた よた と頼りなく手を振り回す。 「東条さん! 赤ちゃんがっ」  思わず東条の腕の赤んぼうに手を伸ばすと、東条は抵抗もないままにオレに小さな存在を手渡してくれた。  オレが抱っこして、もっと泣くようになってしまうんじゃないかって心配していたけれど、小さな存在はきょとんと純真な瞳でオレを見てもにょもにょと口を動かす。  それはこの緊迫した空気の中ではあまりにもよそ事で、オレにほっとした一瞬の休息を与えてくれる。  小さくて、温かくて、なのにその存在はこの上なく重い。   「すまない、しばらく預かっていてもらえないだろうか」  いつも軽やかな声が低く這いずるようにかすれて告げる。  小さな存在を抱き締めてしまった今、今更嫌ですとも言えなかったからそのままこくりと頷いてそろりと後ろに下がった。 「番 とは言うけれど、君と彼は望んでそうなったわけではない」 「それは私が一番わかっています。彼は大伯父の運命の番だったんですから」  はっきり言い切った東条の感情を読むのは難しかった。  フェロモンの気配だけでいってしまうなら、彼は怒り続けている。   「そう、君が突然、首を噛んで番にしてしまったがね」 「…………ええ」  返事は苦そうだった。 「その話は当時、何度も話したはずです」 「君のしたことはレイプだと?」 「……オメガのヒートを受けてラットを起こしたんです」 「つまりオメガが加害者で自分は被害者だと、ましてや大伯父の運命の相手なんて奪うつもりもなかった と?」  二人の硬い声が行き来する中、時折赤んぼうの場にそぐわない甲高い泣き声や大声が上がる。  それ以外はカタリとも音が立たず、奇妙でちぐはぐとした印象の世界だった。 「それでも、尊重はしましたし、優先して関わっていました。妻と穂垂の関係も良好でした」

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