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雪虫5 71
雪虫がここから出られる目途は立ってない。
というか、何をもってここから出られるようになるのかわからなかった。
今のところ雪虫自身がここから出たいと言い出すこともないから問題にはなってないけれど、いつかは出てくる問題だ。
赤んぼうのいない研究所から出られないのと、オレ達……っていうかオレに雪虫と子供を持とうって気がないから、結果雪虫に赤んぼうと関わる機会はないと言える。
「しあわせかぁ」
キラキラと瞳を輝かせている雪虫と、いつかはそのことについても話さなければならないと……思っているけど、つい後回しにしてしまう。
小さな雪虫はすぐに体調を崩して寝込んでしまうくらい、自分の命を支えるのにいっぱいいっぱいで……
どちらにせよ、オレは二人の世界で十分満足している。
「しずるはしあわせ?」
「もちろん! 雪虫がいてくれたらそれだけで幸せ!」
「雪虫もしあわせー!」
にこっと笑ってくれる姿に高鳴った胸の息苦しさに、鼻にティッシュを詰め込んでいたのを思い出した。
袋から取り出した鼻血のついたシーツは、まずは水洗いだ。
水洗い。
「洗う……んだから、その前に、ちょっとっ! ちょっとだけ汚してもいいよな! な! なっ?」
汚れたシーツを目の前にして、思いっきりイマジナリーな存在に許可を取ってみる が、慌てて口を押えた。
自分のアパートだけれど、以前この部屋の奥からふらりとバケモノが現れたからだ。
こんなことを言っていたら、またベッド下から出てくるお化けのように仙内が現れそうだった。
自分の部屋だと言うのに、息を詰めて周りの気配を窺ってからさっとシーツを広げる。
「ちょっとだけ……」
昼間は鼻血がなかなか止まらなくて、雪虫の匂いを堪能することができなかった。
だから、
だから、
これくらいっ!
ぼふ と顔をシーツに埋め、満を持して息を吸い込む。
肺を満たす雪虫の、甘いけれどすっきりとした冬の花の匂い。
頭の芯を蕩けさせるような濃密でどこまでもオレの好みにぴったりの香り。
染み渡って、体だけでなく精神も潤してくれる唯一無二の匂いは、なんとか治めたはずの激しい熱を思い起こさせて……
「 ──── は……?」
鼻の奥をかするように感じる 濁り。
「なんでアルファの臭いがするんだ……」
落ちて足元に広がったシーツには茶色くなった血の痕が点々と残っていて、間違えて違うシーツを持って帰ってきた なんてことじゃないと教えてきた。
とりあえず走って体力つけなよ? という言葉は水谷の教えだ。
移動する時も走る、悩んでも走る、そうすれば体力がつくからね! と可愛らしく言われて、オレは今深夜の街中を走り回っているわけで……
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