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雪虫5 84

 だけれど、穂垂が姿をくらましたことに事情があったんだと、腑に落ちた。  でなきゃ、東条を見た瞬間にあんな表情をするはずがない。  甘ったるい感情に輝く目と上気した頬、嬉しさに色を増した赤い唇、それは愛しい相手に会った人間の姿だった。  決して東条が嫌になったりとか、性格が合わなくて離れたんじゃない。    穂垂もきちんと東条に恋焦がれていたのに、離れざるを得なくなったんだって…… 「  ────しずるくん」  肩を叩かれて恐る恐る目を開けると、ついさっきまで憔悴して目の下にクマを飼ってた東条の顔が妙につやつやに見える。  あえて穂垂の方は見なかったけれど、向こうも今オレに顔を見られるのは気まずいだろう。 「……なんで、ここにいるんですか」  オレが誘拐されたのは完璧に突発的な出来事だったし、瀬能に袂を分かつと言われていたんだから、オレの救出に来てくれたとは考えにくいが…… 「もしかしてオレを助けに?」 「穂垂の行方を捜してて、ぐうぜ……あ、いや、ピンチのようだったから駆け付けたんだ」 「今、偶然って言いそうになりましたね」 「些末なことだよ」  いつものちょっと取り澄ました表情で東条はオレを引っ張って立たせてくれる。  逃がしたΩ達が走っていた方にさっと視線を走らせていると、「瀬能先生に連絡はしておいたから、すぐに救助が来てくれるよ」と背後から声がかかった。  後ろを振り返ると、東条は倒れた男の傍らで何かをしている。   「……先生とは仲たがいしたんだとばかり」 「それ、と、これ、は別だよ。幾ら関係に亀裂が入ったって言っても、瀬能先生と私の見ている方向は同じだからね。オメガの保護を求めて否と答えられることはないよ」  あんな別れ方をしたから、もっと感情が優先されるものだとばかり思っていた。  助けを求めにくいし、求められても素直に応えられない、そんな結果になってしまったのだとばかり…… 「大人だからね。個人の考えと大義は分けられるよ」  端整な顔で男らしい笑顔を向けられると、男同士だし、α同士だっていうのに胸がもぞもぞとくすぐったく感じる。  この人の顔は好感が持ちやすくて人をたぶらかす造りになっているんだと思う。 「二人は向こうで保護してくれるだろうけど、私達は……」  さっと東条の視線が動いた足元には不自然な体勢で倒れ込んでいる男。  思わずひやりとしたけれど、微かな胸の動きが見て取れたから死んでいるというわけではなさそうだった。  ただ、頭部を思い切り殴っていたから……出来る限り早く病院に連れていくべきなんだろう。船内で倒れている、股間を握りつぶしたあの男も。 「あ、あれ そうかも   」

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