614 / 698
雪虫5 87
顔色が と言っていたが、そうだろう、足元に垂れたそれは黒い液体だ。
空気に触れると少し赤みを増すから、そこでやっと血が流れているんだって理解した。
黒い服だから気づかなかったけれど、腹部の辺りがぐっしょりだ。
「東条さんっ!」
「穂垂を入れてドアを閉めるんだ、何かで押さえて……静かになるまで出てきちゃいけない」
「そんなことできるわけないですっ! 手当……手当を……」
今にも金切り声に変わりそうなほど上ずった声を出す穂垂の顔色は白く、今にもパニックを起こして暴れ出しそうだ。
「やだ やだ、いやだ、いやだっ!」
オレを押し退けて東条にすがるのを止めようとしたけれど、冷静じゃない人間の力は尋常じゃなかった。
「…………あんまり、使いたくなかったけど」
そう言うと東条は一歩大きく船室に踏み込み抱き寄せた穂垂の首に、オレに使ったものと同じ注射器を刺した。
「 ────おやすみ」
リリーサーフェロモンを応用して作られたと言っていたそれは、他人の命令を受け入れさせる。
穂垂ははっと見開いた目をしていたけれど、「良い夢を」と言われた途端にその体が崩れ落ちた。
とっさに手を伸ばして支えたけれど、声を上げてしまうような痛みを感じて、結局支えきれずに床に倒してしまった。オレの体が下敷きになったから怪我はしていないだろうけれど、この下から這い出すのも一苦労だ。
「東条さん、穂垂さんをお願いします! オレが部屋を守りますから! 彼らには近寄らなければ大丈夫ですから!」
とはいえ、オレに古い映画のように銃弾を避けながら、撃ち返してやっつけていく なんて芸当はできそうにないけれど。
それでもあの黒服達がくるまでの時間稼ぎくらいはできるはずだ。
……もしかしたら、大怪我……じゃ、すまないかもだけど。
腹から大出血している東条を矢面に立たせるよりはマシだ!
「君の腕、折れてるよ」
「っ⁉」
「それに、穂垂を守る最善策をとりたい」
「そんなことないです!」
突然気を失うように眠ってしまった穂垂の体は重く、オレはそこからじりじりと這い出そうと体をばたつかせる。
その目の前で、扉はばたんと重々しく閉ざされてしまった。
「三人で入って、待ち っましょう……皆で押さえれば堪えられ ます から……」
言葉の途中に、チン と鋭い金属音が響いて、思わず語尾が弱くなる。
「ああ、そうだ。 虫の、 れは、特別なオメ 」
船内の壁に当たって響く銃弾の音で、扉の向こうにいる東条の声は途切れがちだった。
「な、なんでいま……」
どうして突然、そんな話になったのかわからず、呻くような声が出る。
ともだちにシェアしよう!

