619 / 698

雪虫5 92

「じゃあ、入り口まで案内しますよ」  これがもっと気安い相手ならからかったりもあったんだろうけど、御厨相手にそんなことはできない。 「お、おねがいします……」  小さく肩を丸めて項垂れる御厨を連れて研究所の出入り口の方へと向き直る。 「すごいね、道、覚えてるんだ」 「そうですね、良く通りますから」 「暗くなると雰囲気違っちゃうから、わかんなくなっちゃって……情けないよね」  あはは と力なく笑うけれど、よくわかる話だった。  それでなくとも真っ白な廊下に同じ形の扉、建物の右手側に行くのに左に曲がらなければならなかったり、二階に一度上がらなければならなかったり……この研究所内は本当に複雑怪奇だ。 「み……父さんと、話しはできました?」 「……最近、少し話してくれるようになって……怒られた」 「おこ ?」 「本当は、婚約者じゃないから」  いずれは みたいな話もしてなかったんだろうか? でも恋人なら、そういった話題もしていたかもしれないし…… 「こ、恋人でもなかったし」 「は……は⁉」  それは聞き捨てならない言葉だ。  二人の関係が関係だったから入院している若葉にも会わせたし、今もこうして研究所に入れているのに。 「いや、それちょっとまずいですっ」  思わず声を上げてから、ささっと周りを見回した。  幸いにして人はいないけれど……この研究所はどこに監視カメラやマイクがあるかわからない。 「ぅ、ん。……で、あの…………次からは、恋人として、通うから」 「……ん?」  慌てていただけに、また話の方向性が変わったことにとっさに気づけなかった。 「いいかな?」  ぎゅっと力を込めて握られたカバンの取っ手、引き結ばれた真っ直ぐな唇とオレを真摯に見つめる瞳に…… 「オレの許可なんかいりませんって! 父さんが幸せになってくれるなそれで十分なんです」 「で、でも……オメガ同士だし、良く知らない人間がお父さんの恋人なんて嫌じゃないのかなって」  細やかな気遣いに感動するべきなのかもしれなかったけれど、御厨が思っているほどオレは若葉と親しくないし、若葉の命を守るために親子の体を保っているけれど……オレにはまだ実感としてそれはない。  だから、そういう気遣いをされるとなんだかいたたまれないような気分になってしまって…… 「いいです! 大丈夫です! 本当に! 本当なんです!」  わたわたと焦りまくった返事は挙動不審そのものだ。  オレが産まれてから今まで、ずっと呪いと言ってもいいようなブギーマンの影にからめとられ続けていた若葉には、幸せになってもらいたいと思っている。

ともだちにシェアしよう!