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モザイク仕立ての果実 34

 千切れた取手部分と汚れたスラックスを見比べて、しんと静まり返ったその場に合わせるように呼吸を止める。  顔を上げなくても、どんな視線がこちらに向けられているかわかっていた。  わかっていたからこそ顔を上げられなくて……ざわ と人が動き出した気配を感じて、後ろも見ずに走り出してしまった。  喜多の静止する声が聞こえたけれど、足を止めたら皆に何を言われるかもわからないし、何をされるかもわからない。  粗相をしたΩなんて何をしてもいい対象だ。 「  っ」  首の後ろを押さえながら、怖くて怖くて震える足を必死に動かして走り続ける。  どこに逃げたらいいのか、どこに行ったらいいのかもわからない。  今まで逃げ込める場所だったシェルターはもう足を踏み入れられなくなってしまったし、母もそこにいるから匿ってももらえない、父なんて論外だ。  とにかくどこかに隠れたくて、途中にあった公園のドーム状の遊具の中に飛び込んだ。    できれば扉のあるところがよかったけれど、この公園は小さすぎてトイレもない。  身を小さくして影の中に埋もれるようにすれば、見つからない はず。   「  っ、 ぅ、っ」  ひぃひぃと上がる息を押さえ込んで体を小さく小さくする。  腕は遊具に入る時に擦って血が滲んで痛いし、走ったせいで呼吸が苦しかったけど、それでも外に出て追いかけてきた人に見つかって折檻されるよりはマシだった。  ネックガードを押さえる手に力が入りすぎて、ガリガリと爪が音を立てる。  それが……犬の立てる爪音のようで…………  ふと目を開けて、そこが遊具の中じゃないってわかって飛び起きた。  目の前にあるのはナチュラルテイストで纏められた家具で、随分と馴染んだ喜多の部屋であり、この数週間自分が寝起きした場所だった。 「…………」  違和感に手を見てみればガーゼで覆われていて、きちんと手当がされている。 「……」  そろりと床に足をつけ、足音を立てないようにそろりそろりとドアへ近寄り、同じように音を立てないようにドアをそっと開いた。  でも、幾ら音を立てないようにってしていてもドアの動きは誤魔化せるものじゃなくて、リビングで仕事をしていた喜多が顔を上げる。 「巳波ちゃん! 目が覚めたんだね」  かけていたメガネを外し、にっこり笑う姿に思わずびくりと身をすくめた。  なんて返したらいいのかわからずにうろたえる僕に、喜多はにっこりと笑って手招きをする。 「ケーキをダメにしちゃったから新しく買ってきたんだ、丁度休憩したいと思ってたし、お茶を淹れるよ」 「あ……ぅ……」

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