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モザイク仕立ての果実 35

 呻くような返事しかしてないのに、喜多はさっさと立ち上がってキッチンに行ってしまった。  その背中に声をかけるのも気が引けて、しぶしぶテーブルの角っこに座って項垂れる。  目の前には積まれた書類があるけれど……すべて古くアナログのもので、それを一枚ずつ入力しているところのようだった。  営業部のエースだった喜多が触るような内容ではないのは、僕でもわかる。    テーブルに顎を置いて所在無げにしている僕の目の前にマグカップが置かれて、続いてケーキが現れる。 「どこのケーキにしようか迷ったんだけど……」  目の前にあるのはカフェオレ色のムースにカラフルな花が飾られたおしゃれなケーキだ。  僕が買ったケーキよりもなんとなく高そうだったし美味しそうだった。   「どうしたの?」  柔らかなカフェオレ色の瞳はケーキと同じで、僕に向ける視線はどこかとろりと甘そうだ。 「…………」  ちらりと動かした喜多の手の甲に擦り傷を見つけてしまった。  僕の傷はちゃんと手当てしてあったのに、喜多の傷はむき出しで痛そうだった。 「あっ  えっと、転んだんだ」  ぱっと消えた手を視線だけで追い、僕はやっぱり顔を上げられない。  あの手の傷は、きっと僕を遊具から引っ張り出した時についたんだと思う。    じわりと申し訳なさが広がって、テーブルに顎を置いたまま上目遣いに喜多を見る。そうすると、どうしてだか喜多の方がちょっと気まずそうな顔をした。 「タルトの方がよかったかな?」 「…………ん。……ご  」  ご の後はごにょごにょになったから喜多はよくわからなかったみたいだ。  「ん?」って首を傾げてくる。  別に、謝る必要があるとは思わなかった。  実際に喜多につき纏われて迷惑したし怖い思いもした、正社員の仕事もなくしてしまったし……だから、僕が悪いと思う必要はなかったけど、スラックスを汚してしまったのは悪いと思った。 「ごめんなさい」  尋ね返されたから、仕方なくもう一度言い直す。   「巳波ちゃん……その、巳波ちゃんが謝ることなんて何もないよ」  優しく返してくる言葉に裏なんかはなさそうだ。   「でも……仕事……」 「うーん……巳波ちゃんにしつこくしちゃったのは本当だし、それにココアもちがいるから、残業の多い営業職はちょっとなって思っていたからちょうどよかったんだよ」 「でも、その犬も僕のせいでいないし」 「預かってもらってるだけだよ、うちの子なんだから手放したりしないよ」    それでも、一緒に暮らすのとそうでないのでは雲泥の差だ。 「それに、俺の優先事項って巳波ちゃんだから、ね?」  ね? なんて、 言われても僕には返事がないんだから答えようがなかった。 「もしかして、何か酷いことでもあった?」

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