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第3話

 このバケモノに捕まってから、どれだけ時間が経ったのか分からない。俺が目を覚ましてから意識を失うまでを1日と数えると、もう2週間が経過している。目が覚めれば食事が用意され、ボールや本を渡される。しばらくしたらまた食事をとり、風呂に入れられて気絶するまで犯される。そして目が覚める。その繰り返しだ。  この2週間で変わったのは鎖が伸びて自分の足で風呂に行けるようになったこと、バケモノが俺から目を離す時間が増えたこと。そして最も大きな変化は、俺がバケモノとの行為に快楽を感じるようになったことだ。 「ああッ、ん……あッ、は……あぁ、あんッ」  カシャッ。  シャッター音が響く。バケモノは数日に一度頭をカメラに変え、犯しながら俺を撮った。そして翌日にはアルバムにしてそれを見せてくる。初日は苦痛と恐怖に歪んでばかりの表情はページを捲るごとに淫らなものに変わり、以前とは別の意味で目を覆いたくなる写真が増えた。俺の慣れと共に体力も付いたのか、抱かれる時間も長くなっている。あれだけ気持ち悪くて堪らないバケモノの性器を初めて自ら求めた時は、彼の頭の靄が嬉しそうに揺れた。  相変わらずバケモノと会話はできないが、彼の頭で揺れる靄と行動である程度感情が読み取れるようになった。バケモノにとって俺はセックスできるペットじゃないらしい。そういえば攫われる直前のアレも彼なりのプロポーズだったのだ。  とはいえ、俺はまだ現実に帰るのを諦めていない。バケモノの嫁になるなんて真っ平ごめんだ。だから懐いたフリをして油断させて、管理が杜撰になった時に逃げ出す。王道だが、これが一番良いだろう。こんな場所から逃れて無事に帰る為なら精一杯擦り寄ってやる。  ポンッ、と音がして、カメラの形が変わった。ピロン、と軽い音がしてから、レンズの近くで小さな赤い光が点く。動画を撮られているらしい。恥ずかしさと興奮で、ナカが締まるのを自覚した。思わず手で顔を隠そうとすると、両手をベッドに押さえつけられる。 「やだ、あッ……あ、んっ……あぁんッ……」  バケモノに目は無いのに、視線を感じる。何度も奥を突かれながら、まるで手動のポンプのように俺は精子を吐き出した。白濁の液体に塗れた腹がビクビクと痙攣しバケモノの精液を絞り取る。1日でも早く日常に帰りたいのに、抱かれている時だけは気持ち良いことしか考えられなくなる頭も、バケモノの形に変えられてしまった身体も全部捧げてしまいたいと思ってしまう。  それでも、一生ここでバケモノの慰み物になるのは嫌だ。  気絶して、起きて食事をして、抱かれてまた意識を失って――とうとう、何日経ったのか数えるのを止めた。バケモノは気を抜いているのか、時折手足の枷を外したまま何処かへ行ってしまう。あのバケモノがいない部屋は静かで、少しだけ寂しさを感じた。探索がてら部屋を出て広く薄暗い屋敷の中を歩き回れば時々彼を見つける。彼の姿が見えると寂しさは無くなった。  次第に「帰りたい」という気持ちが薄れてくる。帰れないことへの諦めか、それともこの状況への慣れなのか。  環境も性格も何でも、どんなに変わりたくないと嘆いても、いざ変わってしまえばなんて事無いのだ。忘れたくなかった恋心も、終わらなければ良かった学生生活も、異動して悪くなった職場の環境だって、寂しさも不便さも面倒臭さも、慣れてしまえば変わる前を忘れてしまう。だから今の生活も「そんなもんだ」と受け入れてしまえば良い。  本当にそう思うか? 「嫌だ……」  こんな人間扱いすらされない人生なんて誰が望むか。俺は性奴隷じゃないし、ペットでもない。 「帰らないと」  このままここにいたら、自分が人であるという自覚すら揺らいでしまう。このままこの屋敷でバケモノだけを頼りに、彼の腕の中で彼の意のままに生きていくしかなくなる。  体にシーツをぐるぐるに巻きつけて、バケモノと鉢合わせないように、音を立てないように静かに部屋を出た。足音を立てないように、気付かれないように、息を殺してひっそり歩く。  散々屋敷の中を探索したから、どの扉を開ければ外に繋がるのかは知っている。扉は内側から鍵が掛けられているが、ツマミを回すだけで開く。  一度後ろを振り返ってバケモノがいないのを確認してから、慎重にドアを開けた。  外は橙に染まっていた。もうすぐ日が沈み、夜を迎えるらしい。時間を考えれば良かったと一瞬後悔したが、扉を閉じて部屋に戻ってしまえば次は無い気がして、思い切って外に出る。  屋敷の正面に見える森を真っ直ぐ突き進めば帰れる。そんな予感がした。  完全に暗くなってしまえば簡単に森を抜ける事はできないだろう。俺は森に向かって走り出した。  裸足で石を踏むのも、草や枝で肌を傷つくのもお構いなしに走る。  バケモノは俺を屋敷に連れ去る時、真っ直ぐ進んでいた。そんなに長い時間歩いていたわけではない。だからすぐに森を抜けられる――そう思っていた。  なのに辺りはいつの間にか真っ暗で、走っても走っても出口が見えない。日が沈みきる前から既に何度も転んで泥塗れになり、何度も岩に足をぶつけて痣を作った。灯りになる物も何一つ持っていない。葉を広げた木々に月は隠されている。これ以上夜のうちに進むのは無理だと判断した俺は、その場に腰を下ろした。 「寒いな……」  ただでさえ服を着ていない上に、汗が冷えてきた。薄いスーツだけでは物足りない。  しかしカタカタと体が震えるのは、寒さのせいだけではないだろう。遠くの方で何かが呻くような、低い声が聞こえるのだ。それは獣の鳴き声なのかもしれないし、他のバケモノの声なのかもしれないし、風が何かに当たる音なのかもしれない。今の俺にとっては、風でざわざわと草が揺れる音すら恐ろしいものだった。  しばらく蹲っていたら、ぐうう、と腹が鳴った。屋敷で過ごす1日はあんなにも短いのに、朝を待つこの時間は永遠に感じるほど長い。こんなに時間がかかるとは思わなかったから当然食料すらも無い。無計画に身一つで飛び出した事を、とうとう後悔する。座り込んでからはもう自分がどの方向から来て、どこに向かって進めば良いのか分からなくなってしまった。あまりの心細さに、膝を抱える腕に力が入る。  寒い。怖い。お腹空いた。寂しい。  ……帰りたい。  そう思いながら、あの屋敷とバケモノを想像してしまい思わず頭を振る。違う。そっちじゃない。俺が帰りたいのは自分の、俺の家だ。なのに何故、こんなにもあのバケモノ事が頭に浮かぶのだろうか?  ふと、何かが光ったような気がした。顔を上げると、遠くの方でぼんやりと黄色っぽい光が見える。  何かがいるのかもしれない。そう思ったら、自然と立ち上がってそちらに足が動く。もしかしたら彼よりももっと凶悪なバケモノかもしれない。そう思っても光を求めずにいられなかった。向こうも俺に近づいてきているのか、光ははっきりと大きくなってくる。俺は夢中で歩いた。 「あっ」  発光源は、大きな電球だった。スーツを着た人間の首から上に頭部が無く、代わりに電球が乗っている。俺の姿を認識するなり強い力で、しかし痛くない程度に俺を抱きしめたのは、彼だった。 「迎えにきてくれたのか?」  バケモノは反応しない。縋るように俺を抱きしめ続けるだけだ。電球が顔に触れるが、熱くはない。  独りじゃないと思った瞬間、全身から力が抜けた。目頭が熱くなり、涙が零れる。俺はバケモノの肩に顔を埋めて泣いた。  俺が落ち着いた頃、バケモノは俺を担ぎ上げた。  屋敷に連れ戻すのだろう。俺は抵抗しなかった。逃げられないと実感してしまったのだ。  だが、森を抜けた先に見えたのはあの屋敷では無かった。あちこちに街頭があって、ネオンに照らされた看板があって、建物が建ち並んでいる。  バケモノは俺を下ろした。ポンッと音がして、電球の頭はいつもの靄に戻る。そして森で見つかった時と同じように、しっかりと抱きしめられた。 「何?」  ぎゅっと、バケモノの腕に力が入る。痛いくらいに締め付けられたかと思うと、すぐに解放された。  再びポンッと音が鳴る。大きな四角い木箱の頭が開き、中から見覚えのある鞄が出てきた。 「それ、俺の……」  その鞄を手渡される。恐る恐る受け取ると、腕を引き寄せられてまた抱きしめられた。バケモノは何度も俺の頭を撫で、そして離れる。  バケモノは更に懐からコインのような物を取り出し指で弾いた。それは1秒も経たないうちに地面に落ちる。乾いたアスファルトにコインが落ちる音が――しなかった。

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