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第11話

「あのさ」  不意に廊下で後ろから声を掛けられて、彼方は驚きつつふり返る。  そこにいたのは、大樹だったが、なんとも、不機嫌な顔をしていた。この所、彼方は、帰宅が遅くなっている。触れあう時間も、少し減っているのは、理解している。 「なに?」 「あのさ、今度の、横河さんのところのプロジェクトの件なんだけど」  仕事の話か、と彼方は、胸を撫で下ろした。大樹は、機嫌で態度が変わるようなタイプではなかったが、それでも不機嫌そうなときには気になるものだ。  そして、横河さんのところプロジェクト、というのは、わりと社運の掛かった大プロジェクトで、彼方は、その営業窓口担当に、名のりを上げていた。 「ああ、今、準備中だよ。東久世さんに相談に乗ってもらってるところ。今のところは順調だよ」  心配してくれているのなら、有り難いことだ。彼方が明るい声で答えたのに対して、大樹の表情は曇っている。 「あのさ」 「ん?」 「その仕事……辞退してくれないかな」  唐突な、大樹の言葉に、どう反応して、良いか、分からなかった。 「え、なんで?」  大樹は彼方から目を逸らす。  横河さん、と社内で気楽に呼ばれているのは、『横河』という、情報通信機器メーカーだった。民生品はつくらず、業界向けのルータなどを作る会社だ。彼方たちの会社とは、先代社長からの長い付き合いのある会社だ。  その大口には、彼方は相応しくないと言うのだろうか?  だとしたら、理由がわからない。  彼方は、『顔営業』と揶揄されるほどには、営業成績が良い。部内でもトップクラスだという自負もあるし、年末表彰を受けたこともある。 「東久世さんの後任、誰だか聞いた?」 「知らない。俺、メインから外されたってこと?」 「わからないけど、西園寺さんと組むってことらしいから」  彼方の白い顔が一瞬で真っ赤になった。その瞬間、カッと全身が熱くなるのを、彼方は感じていた。 「な、んだよそれ」 「だから、その……」 「西園寺さんが、一緒だと、なにか、不都合でもあるわけ!?」  語気が自然と強くなった。頭の中が、ぐらぐら揺れて、目眩がする。 「その、それは……」  大樹の語尾が、言いづらそうに、消えていく。 「あの人が、彼方に……」  その先は言われなくても解った。 「なにそれ。向こうが、俺になにか気がありそうだから、仕事から手を引けって?」  頭に血が上る、という感覚を、彼方は産まれて初めて感じていた。冷たく肌が粟立つのと同時に、ぐらぐらと頭の中が沸騰するようなちぐはぐな、感じだ。 「そ、そうは言ってないだろ……ただ……」  しどろもどろに言い訳をする大樹をみて、さらに彼方は腹が立った。 「言ってるのも同じだろ!」  大声を上げた彼方に気がついたらしい。あちこちから、人が集まってくる。 「おい、どうしたんだ~、喧嘩は止めろよ?」  さすがに人目があるので、これ以上言い争いをすることは出来なかったが、おかげで、消化不良のまま、仕事に戻ることになってしまい、余計に気が立ってしまう。 (仕事はちゃんとやるけどさあ!!)  さすがに営業職なので『営業スマイル』は得意だ。だが、今日は、その営業スマイルもどこかに消し飛んでしまいそうなほど腹が立っているし、胃も痛い。 (あーもー、本当に腹が立つっ!)  西園寺の事は、警戒はしていたのに、あんな言い方をされるのは心外だった。それに、だからと言って、仕事を辞退しろというのも、腹立たしい。 「おーい、清浦」 「えっ?」  東久世が苦笑しながら声を掛けてくる。 「大丈夫? 胃が痛いなら、医務室から貰ってきたら?」 「あー……そうですね。そうします」  彼方は、山階に『胃薬が欲しい』とだけチャットを入れてから、ラボへ向かった。薬を貰うなら、ここが、一番手っ取り早かった。  ラボまでの道のり、幾つものセキュリティゲートを越えて、冷たくて白い廊下を歩いていたところで、少しずつ、頭が冷えてきた。  恋人ならば、危険人物の近くに置きたくないというのは、理解する。 (でもさー、女の子じゃあるまいし……そんな、危険なんか実際あるかって)  世の中では、同性同士のカップルも増えては来たけれど、実際、そういう人たちばかりかと言ったらそうではない。 (心配性なんだよ)  心配されていないより、マシかも知れない……とは思うが、それでも、仕事を辞退するのは、少し横暴だ。  またぐるぐると回り始める思考を分断する為に、頭を振る。呼吸を整えて、ラボに入っていくと、山階は待ちわびていたようだった。 「おおー、清浦氏」 「ああ、山階さん。済みませんね。薬と言ったら、山階さんかと思って」 「いやいや、解っていますよ、清浦氏。ですから、ちゃんと、用意しておきました。中に用法が書いてありますから、ちゃんとご覧になって、用量用法を遵守の上ご使用下さい」  まるで、いつもの媚薬を渡すときのような口上が気になって、 「あのさ、俺、胃薬が欲しいんだけど……?」 「ん? ややっ? 胃薬とは、何かの暗号だと思いましたが、本当に胃薬をご所望だったと?」 「うん、今まで、そういう、回りくどいやりとりはしたことないと思うけど?」 「ふむ、確かに。いつも、ストレート、ど直球勝負で来るのが、清浦氏の良い所……。そうでしたか。なるほど……。それは……申し訳ないことを……」  しゅん、とうなだれながら、山階は、頭を下げる。 「あ、いや、その……」 「まあ、清浦氏。胃の調子が良くなったら、それをぜひ使って下さい。今回は、自信作です。……そして哀れな清浦氏には、牛用の胃薬を出しておきましょう」 「いやいやいやいや? 人間用でお願いしたいですけれども?」 「意外に効きますぞ」  ははは、と笑いながら、山階は、何かの薬剤を取りだして、彼方に押しつけたのだった。それ以上、長居することも出来ず、そのまま、彼方はラボをあとにした。  

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