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第七章① 帰りたい場所

 ■■県■■山山中。午前零時二分。最初の爆発が発生。武器庫が破壊される。続けて、宝物殿、獄門が爆破される。梔子の邸内は火の海と化した。   「オマエ、どっ、どこから入り込んだ! 結界は!」    屋敷の一室にて、初老の男は寝巻姿のまま枕元の刀を構えた。   「死んだとちゃうのか? オマエは……! わ、儂を呪って、化けて出たのか!」 「嫌だなァ、水臭ェことを言うなよ。お・と・う・さ・ま」    鶫は、背中に背負った刀を抜く。すらりとした刀身。閃く刃が美しい。   「再会を喜んでくれよ。俺ァ元気に生きてるぜ」 「何を馬鹿げたことを……! オマエなど、死んでおればよかっ――」    男は膝から崩れ落ちた。喉に真一文字の赤い線が浮かび上がり、鮮血が噴き出す。椿の花のように首が落ちた。   「ガキの頃からあんたに鍛えられたおかげだ。感謝するぜ。……ま、もう聞いちゃいないか」    鶫は渇いた笑いを漏らし、刀を振るって血を払い落とした。  バタバタと廊下を駆ける慌ただしい足音が響く。勢いよく障子が開いた。   「父上! 大変です! 悪霊共がっ……」    泡を食ったように叫びながら現れたのは、鶫と同い年の青年。父親の無残な死体を前に、呆然として蒼褪める。鶫の姿に気付くと、怒りで顔を紅潮させた。   「よぉ、お・に・い・さ・ま」 「貴様、生きてっ……!」 「超絶元気だぜ。このゴミ溜めにいた頃より、ずうっとな」 「父上を殺し、オレをも――」 「ああ。殺す」    印を結ぼうとした青年の腕を、鶫は切り落とした。一太刀のうちに、両脚までも切り落とす。四肢を切断された青年は、為す術なく崩れ落ちた。   「貴様、何を――」 「安心しな。すぐ楽にしてやるよ」    鶫は青年の喉を貫いた。    *  邸内のあちこちから火の手が上がり、屋敷中が大混乱に陥っていた。獄門が破壊されたことにより、封印されていた悪霊が一斉に暴れ出し、邸内を跳梁跋扈するという地獄絵図が完成していた。  暴れる悪霊を狩るため、梔子の精鋭部隊・烏兎の面々が駆り出された。戦闘に全神経を注ぐ彼ら術者を、鶫は屋根の上から狙撃する。  邸内の主要施設は結界によって守られている。彼らは結界術を絶対視しているが、存外大したことはない。鶫に言わせれば、穴だらけの欠陥品である。  そもそも、生まれた時からずっと住んでいた家だ。結界を突破して忍び込むことなど造作もない。陽動のために大量の爆弾を仕掛け、混乱の隙に父と兄を殺すことにも成功した。ここまで全て計画通りだ。  鶫はスコープを覗く。誰を最初の獲物と定めようか。昔散々鶫を甚振ってくれた奴がいいが、多すぎて目移りしてしまう。気分が高揚して堪らない。今こそあいつらに吠え面を掻かせてやる。鶫はゆっくりと舌なめずりをした。  不意に、背後に嫌な気配を感じた。鶫はすかさず、腰に差していた短刀を抜いた。  何かを刺した感触はあった。目には見えない。しかし、確実に“なにか”を刺した。“それ”が死んだのか消えたのか、鶫には判断のしようもない。  おそらく獄門から逃げ出した、妖かしや物の怪の類であろう。こういう時のために、鶫は最初に霊具を盗んだのだった。霊具を使えば、鶫のような一般人であっても、霊を祓うことができる。  悪霊相手に闘うことは初めてではない。物心ついた頃から、術者の鍛錬場である獄門へと放り投げられてきた。  目に見えない敵と何度も闘わされ、傷を負わされて、鶫はいつしか霊の存在を感知できるようになった。  決して目に見えるわけではない。しかし、空気の澱みや重力の歪みといった僅かな変化を敏感に嗅ぎ分けて、そこに“なにか”がいると感じ取れるようになった。  死の恐怖に晒され続けたために、鶫の五感は鋭く研ぎ澄まされた。死の危険から逃れるため、完璧に気配を消す術さえ身に着けた。奇しくも、その技術が今大いに役立っている。  誰を最初の獲物にするか、などと悠長に構えている場合ではない。うかうかしていたら悪霊に邪魔をされて終わりである。鶫は、集団から離れて闘っている術者に狙いを定めた。  奴らは、幼い鶫を玩具にした。好き勝手に弄くり回し、嬲り尽くして、壊してもいい玩具として扱ったのだ。  遠い親戚のあの男。烏兎筆頭のあの男。あっちの男も、こっちの男も、そっちの男も。泡を食って狼狽える爺さんも、婆さんも、うっかり戸外へ出てきた下働きの女も。  恨みのある者もない者もひっくるめて、目に付いた人間は片っ端から撃ち殺した。正確に眉間を撃ち抜いて、一撃で確実に仕留めた。屋根の上を飛び回り、弾薬の尽き果てるまで殺戮を続けた。    *    雪が降り始めた。灰のような雪が、深淵のような夜空にちらつく。邸内はいまだ炎上中で、悪霊も暴れ回っており、混乱の最中にある。   「鶫くん」    屋敷に背を向けた鶫を誰かが呼び止める。その声に、気配に、鶫は覚えがある。記憶の中と比べ、随分と低い声だった。   「……誰だよ」 「忘れてもうたん? 司や」    記憶にあるよりも、かなり立派な体格をしていた。年齢にして中学生くらいのはずだが、同じ頃の鶫と比べて発育は段違いであった。   「……覚えてねぇな」 「なんでそないないけず言うん? ほんまは覚えとるくせに」 「だったら何だ。俺を殺すか」    鶫は胸の拳銃を司に向けた。司は微動だにせず微笑んだ。   「鶫くん、今までどこ行っとってん。みんな、鶫くんは死んだ死んだー言うてたけど、ぼくは生きとるって信じとったで」 「死んでなくて残念だったな」 「ちゃうやん! また会えて嬉しい言うてんねん! ぼく、ずっと鶫くんに会いとうて会いとうて……」    司は瞳に涙を浮かべる。鶫はぎょっとした。この年下の従弟の思考も言動も、昔から理解し難かった。   「あの時の話、してええ? 鶫くんが離れの庵で、劉哉くんらに犯されとった時のこと」 「……っ」    思い出したくもない過去だ。鶫は拳銃の引き金に指を掛けた。   「あの時なぁ、ぼく、庵に向かいながら式神飛ばしとってん。で、中の様子探っとったんやけど、鶫くん、あの時、ぼくの式神に気付いたやろ?」 「……」 「ばっちし目ぇ合ったやんか。そやのに、劉哉くん達はだーれも気付かへんかった。ぼくが縁側に頭ぶつけて、それで気付いたんや。どう思う? 劉哉くん、仮にも烏兎やん。あないなガキんちょの下手クソな式神なんて、一瞬で気付かなあかんやん」 「……何が言いてぇ」 「ん~、そやから、鶫くんって、実はえらい強い術者になれるんちゃうかなぁって」    司は両手で印を結んだ。あの時――司の言ったあの時と同じ、小さく軽やかな“なにか”がいくつも飛び出す。鶫は短刀を抜き、迫りくる“それ”をぶちのめした。  手応えはあった。しかし刺し殺せたかどうかは自信がない。研ぎ澄まされた刃は、燃え盛る炎だけを爛々と反射する。   「あっははは! 鶫くん、やっぱし見えとるんやね」    式神がやられたというのに、司は嬉しそうに手を叩く。   「すごいやん。犬でも訓練次第で人間になれるっちゅーわけや」 「……」 「あーごめん、今のはウソ。鶫くん、犬扱い嫌なんやったね? 昔はぼくもよう分からへんで、鶫くんのことよう怒らしとった気がするわ。これから気を付けるさかいに、怒らんとって」 「……これからもクソもねぇだろ。俺はもう帰る。やることやったからな」 「なんで? 鶫くんの帰るとこはここやん」 「何年前のことを言ってやがる」 「今も昔も、鶫くんの帰るとこはここしかないやん。結局、どこまで逃げたって梔子の人間なんやから」    司はにこにこと機嫌のいい笑顔を浮かべる。鶫は背筋が薄ら寒くなった。   「さっきも言うたけど、この家で一番強いんはこのぼくや。昔よりも式神の精度は上がっとるし、劉哉くんなんかよりずっと強い自信あんで。せやから、次の当主は絶対にぼく! パパもそのつもりやろし、反対するやつは実力でねじ伏せたる。せやから、な、分かるやろ?」 「……分からねぇよ」 「なんで分からへんねん。ぼくが当主になったら、鶫くん、ぼくだけのもんになってくれる約束やん」    全く身に覚えのない約束。いや、そういった話を司がしていた記憶はある。だが、鶫が了承したことは一度たりとてない。   「……は?」 「んも~、とぼけんといて。ぼく強うなったから、鶫くんのこと守ってあげられるやん? 鶫くんのこと苛めるやつはぼくが成敗したるし、鶫くんのこと犯そうとするやつがおったら殺したる。だって、鶫くんはぼくだけのもんやもんね。他の男に抱かれたり、女抱いたりしたら許さへんもん。鶫くんも、そないなったら嬉しいやろ? ぼくが当主になったら、誰にも犬扱いなんかさせへんよ?」 「……」 「せやから、戻ってきてぇや。この騒動のことはみんなには黙っといたるし、あないな臭い犬小屋やのうて、もっとええとこ住まわしたるから。な? ええやろ? また一緒に住もうやぁ」 「……」    鶫は、盗んだ霊具をその場にばら撒いた。これ以上まともに司の話を聞いていたら、頭がおかしくなりそうだ。   「……これ、お前が戻しとけ」 「へぇ? どないなこと?」 「宝物庫に戻しとけ」 「そないしたら、鶫くん戻ってくるん?」 「……」    鶫は素早く踵を返した。   「戻るわけねーだろ! おつむがよえーのか、てめぇは!」 「鶫くん!?」 「今も昔も、俺の帰る場所なんざどこにもねぇんだよ!」 「う、ウソついたん?! 鶫くん!」    嘘も何も、そんな約束はしていないのだ。思い込みの激しい子供にうんざりする。   「だめや! 鶫くん! 戻って! 戻ってよぉっ!」    司の声が追い縋る。しかしスピードが段違いだ。鶫はぐんぐん司を引き離す。追いつけっこない。   「なんでなん!? ぼく、鶫くんのこと大ッ好きやねん! せやから待って! 戻って! 行かんとって! 鶫くんっっ!!」    鼓膜をつんざく金切り声が轟いた。刹那、鶫は地面を蹴っていた足を止める。  胸に風穴が空いていた。真紅の血潮が間欠泉のように噴き出した。  鶫は傷口を押さえる。振り返ると、絶望した表情の司が呆然と立ち尽くしていた。   「ちゃ、ちゃうやん……だ、だって、鶫くんが……鶫くんがあかんのやで? ぼくを捨てようとするさかい……せやから、もう……ぼくのもんになれへんのやったら、死んでもええ思うて……せやったら、ぼくが……ぼくが、殺したろ、思うて……でもっ……!」    司の懺悔の声など聞こえない。鶫はただ、自分の甘さを呪った。子供を殺すほど落ちぶれちゃいないと、今更そんなことで善人ぶったってどうしようもないのに、思ってしまった。鶫が手を抜いて闘えるほど、司はもう子供ではなくなっていたのに。  鶫は再び地面を蹴った。   「鶫くん!? どこ行くん! そないな怪我で! 待ってぇや! 死んでまうよ! 鶫くんってばっ!」    司の声を振り切って、ひた走った。どうせ死ぬにしても、実家の連中に看取られるなど死んでも死にきれない。そうなるくらいなら、真冬の雪山で孤独に土へ還る方がずっとマシだった。    服を破いて包帯代わりにし、止血を試みた。血をぼたぼた垂れ流していては、見つけてくれと言っているようなものだ。野生動物にも見つかりやすいだろう。  しかし、今更こんなことをしたところで、一体何になるだろう。鶫は自嘲した。死ぬ覚悟はできていたはずなのに、いざ死ぬとなると、まだ生きていたいと抗ってしまう。生き延びたところで、命を持て余すだけだと分かっているのに。  いくら傷口を圧迫しても、出血が止まらない。鮮血が滲み出て、布を真紅に染め上げる。もう一枚布を巻いて縛り上げたが、使い物にならなくなるのも時間の問題だろう。  果てしなく続く漆黒の闇を、純白の雪がぼんやりと照らす。枯れ木に雪が降り積もる。桜が咲いているようだった。  歯がガチガチ鳴っていた。上の歯と下の歯を合わせようとしても、うまく噛み合わない。寒さに震えているのだ、と鶫は初めて自覚した。  鋭い冷気が千本の針となって肌を突き刺す。降り募る雪に靴がぐっしょりと濡れて、足の感覚がない。岩のように重たい足を、一歩一歩前へ踏み出す度に、無限とも思える労力を費やした。  何もかもが凍て付いていた。風も、空気も、時間でさえも。動けるものは何もない。ただ暗闇に舞い散る雪だけが、残酷なまでに美しかった。  鶫は雪の上へと倒れ込んだ。積もったばかりの新雪は、ふかふかとして暖かい。まるで極上のベッドだ。ここで眠ったら、さぞかし気持ちがいいだろう。  こんな醜態を晒してまで、思い出すのはあの人のこと。初めて会ったあの夜も、こんな風に雪が降っていた。  蒼く渇いた唇から微かに漏れ出る吐息は、瞬く間に白く凍り付く。雪の舞う明るい夜空へ、羽根のように舞い上がる。やがて闇の中へと散らばって、虚しく溶けて、儚く消えた。

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