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第3章
校庭のすみっこ、校舎の職員室からは見えないとこで、俺は突き飛ばされて尻もちをついた。
「痛いっ!」
「お前さぁ、『裏の子』なんだろ?」
「…。」
「黙ってねぇで答えろよっ!」
「痛っ!やめてよっ!」
「でけぇ声出してんじゃ無ぇよ!お前みたいな『裏の子』は学校に来んなよ!」
6年生3人組に次々蹴られる。何が楽しいのか、ココ最近毎日のようにいじめられている。いじめだよね。一方的に殴られたり蹴られたりするんだもん。でも、先生は俺が顔に青あざ作っても何も言わない。俺が『裏の街の子』だから。
「やめてってば!」
「うっせぇ、黙れ!」
「!!」
お腹に一発すごい蹴りが入って、息が一瞬止まる。仰向けにひっくり返されて、6年生が馬乗りになってくる。痛いお腹が、さらに痛くなった。それよりも、今度は顔を殴られる。咄嗟に顔を腕で庇う。だけど、拳は降って来なかった。
「てめぇ、何すんだよ。」
「小さい子殴るの、ダサいと思う。」
恐る恐る上を見上げると、6年生が振り上げた腕を、がっしり掴んでいる子が居た。
「はぁ?生意気な口きいてんじゃねぇよ!お前、5年だろ?」
「だから?」
「あん?」
「5年だから、なに?」
「年上に歯向かうなよ!」
立ち上がった6年生は、5年生の顔を殴った。俺と違って、身体の大きい5年生は倒れる事もなく、プッと血の混じった唾を吐き出した。
「…な、なんだよ!やんのか?!」
6年生は驚いた顔をして、5年生の方を見る。その隙に、俺は立ち上がって距離を取った。ずっと黙っていた5年生が俺の方を見るので、怖くなった。
「もう、あの子をいじめないで欲しい。」
そう言って、5年生は6年生に頭を下げる。6年生はビクッっと体を震わせて、俺と5年生を交互に見た。
「…気持ちわりぃ。もう行こうぜ。」
そう言うと、6年生たちは立ち去ってしまった。6年生が居なくなると、5年生が俺に近づいてくる。その身体はがっしりしていて、さっきの6年生よりも強そうだった。5年生が腕を上げるのを見て、咄嗟に目を瞑る。だけど、殴られる訳じゃなくて、ポンポンっと体に付いた砂を払ってくれた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ありがと。」
「そうか。」
「…お兄ちゃん、優しいね。俺、『裏の子』なのに。」
うっかり口を滑らせてしまった。嫌われたら、殴られたらどうしよう。5年生はしゃがみこんで、俺の顔を覗き込む。
「俺も『裏の子』だよ。ハヤトくんだろ?」
「なっ、なんで名前知ってるの?!」
「2年の時、登校班一緒だった。1年はみんな登校班だろ?」
すっかり忘れていたけど、確かに1年生は絶対みんな登校班で登校するのが決まりだった。2年生からはバラバラに登校しても怒られないから、『裏の街』の登校班の人数はとても少なかったのを思い出す。
「…ええっと。」
「俺はヒロ。橋本ヒロユキ。5年。」
「4年の小林ハヤトです。…橋本院の子なの?」
「そうだよ。だから、今も登校班で通ってる。」
「ふーん。」
俺が『橋本院』の名前を出しても、特に表情は変わらない。もしかしたら、言われ慣れてるのかも知れない。俺が『裏の子』って言われるのと同じくらい。
「ハヤト。」
「なに?」
「お前も殴り返していいんだぞ。」
ヒロくんの手が俺の顔を擦る。そこは一昨日殴られて、まだ青くなっている。
「でも、俺ちっちゃいから。」
「そうか。大きくなれるといいな。」
「俺、ヒロくんみたいになりたい。」
「俺?」
「そうしたら、殴られても殴り返さなくて大丈夫でしょ?」
俺はヒロくんがしているように、赤くなったヒロくんの頬を撫でる。痛かったのか、ヒロくんは顔を歪めた。
「ハヤトはまだ小さいから。大きくなるまでは無理だな。」
「俺も大きくなる!」
「…戦い方は人それぞれなんだって。『おかあさん』が言ってた。」
それからというもの、俺はヒロくんに付いて回った。俺は『裏の子』としてクラスでも浮いていて、それまで友達が出来たことが無かったけど、ヒロくんについて行くと『裏の子』のグループがある事が分かった。そこには橋本院の子を中心に1年生から6年生まで数人づつ集まっていて、そこの6年生の子がいじめっ子に一言言ってくれたらしく、もう校庭の隅に引きずられる事は無くなった。
「ヒロくん!」
「ハヤト。おかえり。」
「ヒロくん!ユキのもやって!」
「はいはい。」
ヒロくんは皆に、特に小さい子に人気で、女の子はヘアゴムを持って列を作り順番に髪を結ってもらっている。
「俺もやる!」
「ハヤトは、いいっ!ぐちゃぐちゃになるもん。」
「なんだよぉ。」
「ヒロくんにやってもらうの。ハヤトは向こう行って!」
「ヤダね。俺はヒロくんと遊ぶの!」
「あたしが先なの!」
1年の女子と言い争っていると、ヒロくんが溜息をつく。
「カナもハヤトも順番な。」
「だって、俺と遊ぶって約束したっ!」
「確かに。カナ、おいで。カナの髪結ったら、ハヤトと遊びに行くから。」
「えーっ。カナと縄跳びしよ?」
「ユキと遊んできな。俺たち、遠くまで行くから疲れちゃうよ。」
「…はーい。」
ヒロくんはカナの短めの髪を編み編みにしていく。『あみこみ』っていうらしい。あっという間に、お姫様みたいな髪型になって、仕上げにクマの付いた髪ゴムを留める。
「はい、出来た。」
「ありがとう。カナ、かわいい?」
「かわいいよ。いっておいで。」
「うん!またね!」
そう言うと、笑顔でカナは友達の所へ駆けて行った。ヒロくんは腰を上げて、俺の方に寄ってくる。
「悪いな、ハヤト。」
「いいよ。…ヒロくんは優しいね。」
「そんな事ないよ。してもらった分返してるだけだよ。」
「してもらった?」
「うん。行こう。」
歩き出したヒロくんについて行くと、集合した橋本院を出て、学校のある方へ歩いていく。大きな通りに出て歩道橋を渡る。
「ヒロくん、怖くないの?」
「何が?」
「この橋。」
「ああ、『表の街』。」
この大きな通りは俺たちが住む『裏の街』と、学校や普通の家がある『表の街』の境目だ。境目にあるこの橋では、時たま怖い事件が起こる。だから、学校から帰ったら俺たちは『表の街』には行かない。それが決まりだと思っていた。
「ハヤト。」
「なに?」
「俺たちは普通の子供だよ。」
渡り切って『表の街』に降り立つ。
「普通の子供?」
「そう。」
「ふーん。」
ヒロくんは時々、難しい事を言う。そんなとこも嫌いじゃないけど。
「今日は駅まで行こう。」
「えき?」
「電車が来る所。この間、職員さんに連れて行ってもらったんだ。」
「へぇ。電車ってアレでしょ?ガタンゴトンのやつ。」
「うん。手、つなぐ?」
「…ううん。俺、4年生だよ。」
「じゃあ、ちゃんと着いてこいよ?迷子になったら帰れない。」
「…やっぱりつなぐ。」
「ん。」
笑われるのかなって思ったけど、ヒロくんは優しい顔で手を差し出してくれた。やっぱりちょっと恥ずかしかったけど、帰れないのは困る。手を繋ぐと、ヒロくんもぎゅっと握り返してくれた。そのまま他愛の無い話をしながら、歩いて駅に向かう。時々、自転車に乗った小学生が横を通るけど、俺は自転車に乗った事が無い。橋本院には自転車があるから、ヒロくんは乗れると思う。やっぱり俺は『普通の子』にはなれないんじゃないかな、って思った。
「ヒロくん、あのさ。」
「ハヤト、電車来るよ。」
ゴォォォォォォっとすごい音がして、大きな塊が金網の向こうを通っていった。
「?!なにあれ!」
「あれが、電車。」
「でんしゃ?!」
「すごいよね。」
「うん!すごい!」
そこは駅じゃなくて駅のそばの線路だったけど、俺たちは金網にへばりついて電車に夢中になった。色んな色の電車が走っていて凄かった。ゴォォォっという音だけが怖かったけど、ヒロくんがずっと手を握っていてくれたから大丈夫だった。
ヒロくんは時々、俺の知らないものを教えてくれる。初めて橋本院に遊びに行った時はゲームを教えてくれた。俺はゲームで遊んだことが無くて、下級生にボコボコにされたけど、ヒロくんがカタキを取ってくれた。色んな事を知っていて、俺に色んな事を教えてくれる。そんなヒロくんの事が、俺は大好きになった。
「ヒロくんってカッコイイよね。」
「ありがとう。ハヤトは俺みたいに大きくなるんだろ?」
「うん!ちゃんと牛乳飲んでるよ!」
「野菜は?食べれるようになった?」
「うん。好き嫌いしないで食べてる。昨日も、にんじん食べたし。」
「そうか。偉いな。」
「じゃなくて!ヒロくんはカッコイイから…えっと、その、き、キスしたい。」
「いいよ。」
「え?!」
「ユキには昨日ほっぺにされたよ。」
「えええっ?!」
ふふふっと笑うヒロくん。思わず、足を蹴っ飛ばした。
「痛っ!」
「もうヒロくんなんか知らないっ!」
「ごめんごめん。」
「俺の方が、ヒロくんの事好きなんだからね!」
「はいはい。悪かったって。」
不貞腐れてしゃがむとヒロくんの手が頭の上に乗る。
「もう帰ろうか。夕方になっちゃうし。」
「…うん。」
「…明日も一緒に遊ぶ?」
「遊ぶ!」
「分かった。じゃあ、帰ろう。」
そう言って差し出された手を握って、来た道を戻った。ヒロくんに俺の気持ちは中々伝わらない。帰りの歩道橋でも何にも起きなくて、俺はホッとした。
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