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第7章
ピーッ、ピーッ。何か音が聞こえる。シュコーと聞き慣れない音もしていた。目を開けると、ぼんやりした視界に誰かが居る。「ハヤトっ!」遠くの方で誰かの叫び声が聞こえた。身体がどこも動かない。眠くなってきてまぶたが落ちる。手をギュッと握られたのが分かった。
それから数日後。俺は病院のベッドに身体を起こして座っている。大量の血液を流した俺は、一時、生死の境をさ迷ったらしい。起きたら、腹は痛てぇし、隣に居たヒロが騒ぐし大変だった。特にヒロの騒ぎ方は異常で、暴れていると言っても良いくらいだった。医者と看護師が駆けつけて俺を診察しようとする間も俺の傍から離れようとせず邪魔をするので、男性看護師数名に羽交い締めにされていた。あんなヒロを俺は見た事が無い。
ピピッと体温計が鳴る。脇の下から取り出して、隣に立つ看護師に手渡した。
「うん。平熱ですね。点滴に痛み止め入ってるんですけど、傷は大丈夫ですか?」
看護師はチラリと俺の腹の方を見る。
「あー、太ももなんで大丈夫っす。」
「そうですか。それじゃあ、また。何かあったら呼んでくださいね。」
そういうと、個室のドアから出ていった。
「はぁ。」
ため息を吐きながら、俺の太ももを見る。そこにはヒロの頭が乗っていて、床に膝を付いて寝にくそうな体勢で目を閉じている。
「ヒロ。寝にくくねぇの?」
「…。」
返事の変わりに、頭をぐりぐりと押し付けてくる。俺が目を覚ましてから、ヒロは片時も俺から離れようとしない。検査で病室を離れる時も『連れて行かないと暴れるぞ』という顔で検査室までついてくる。ずっと病室に入り浸りで、見兼ねた病院側が簡易ベッドを用意してくれたが、こうして俺の太ももで仮眠を取るくらいで碌に寝ていない。俺が起きるまでもずっと寝ていなかったことは看護師から既にリーク済みにも関わらず、何度言ってもベッドに入ろうとしないので、少しでも休めるならと太ももで寝る事を許している。その顔には、これでもかという真っ黒な隈があり、数日前まで髭もボウボウだった。俺の髭剃りを渡し病室内の洗面所で剃らせて、やっと元のヒロの面影が見えてきた。それでも痩せこけてしまい、元のヒロには戻っていない。『早く治さなきゃなぁ…。』とぼーっとしているとドアがノックされる。
「ハヤトくん、入るよ。」
「あ、はい。」
太ももの上で、ヒロがピクリと動く。ガララっと扉が開いて入ってきたのは、組織の伝令係の人だった。武装しているのか、歩くとカシャンっと金属音がする。その時だった。
バンッ!!
「うわっ!」
「ヒロっ?!」
俺の太ももに頭を載せていたハズのヒロが、病室の壁に伝令係を押し付けていた。あまりのことに、個室に大声が響く。
「ちょ、離せ。」
「ヒロ、止めろって!痛てっ!」
ヒロを止めようと動いたせいか、腹の傷が痛む。俺が痛がる声を聞いて、ヒロの腕にますます力が入った。
「いてててて。ハヤトくんに危害は加えない。君よりも近づかないから、離せって。」
「ヒロ。その人は仲間だから。大丈夫だから。」
二人で説得すると、ヒロはゆっくり手を離す。少しでも怪しい動きをしたら食い殺すといった感じで、俺と伝令係の間に立った。
「あー、怖い怖い。ハヤトくん護衛雇ったの?」
「ヒロはそんなんじゃ無いっすよ。」
伝令係が少し動く度に、ハヤトの身体に緊張が走る。一挙手一投足に警戒しているヒロを見て、伝令係はため息をつく。
「あのねぇ、こっちも悪かったと思ってるよ。武装もしてない組員を戦闘に巻き込んじゃったし。」
「ほんとっすよ。抗争中なら事務所に呼び出しとか、やめといてください。ドア開けたら急に殴られるし、逃げようとしたら腹撃たれて死ぬかと思いましたよ。」
「はははっ、ごめんごめん。治療費は持つから。…それで、今日はこの先の仕事の話をしに来たんだけど。」
伝令係がチラリとヒロを見遣る。
「君、ヒロくんだっけ?ちょっと席を外してくれない?」
ヒロは首を横に振る。
「あー、君、普通の社会人でしょ?こちらとしても表の人とは距離を置きたいというか。」
「…。」
「ここに残るんなら、裏の世界で生きてもらう事になるけど?」
伝令係の脅し文句に、今度は俺が焦る番だった。確かにヒロは昔『裏の街』の住人だった。だけど、今は違う。『表の街』で普通に仕事をして普通に生きている『普通の人』だ。俺たちが憧れていた『普通の世界』にヒロは居る。
「ヒロ、出て行って。」
「嫌だ。」
「ヒロ!お願いだから。」
ヒロは頑として動こうとしない。その背中が大きく膨らんだように見えた。ヒロは怒っている。
「ヒロに危ないことさせたくない。だから」
「俺だって、ハヤトに危険なことさせたくない。」
「仕方ないだろっ!俺はもう戻れない。でも、ヒロは違う!お願いだからっ!」
「絶対に嫌だ。」
「ヒロっ!」
伝令係のため息が響いて、ヒロの身体に力が入る。
「あーあー、喧嘩なら見えないとこでやってよ。気分悪いな。」
「すいません。」
「とりあえず、この間の話は保留になってるから。続きは、また今度な。」
伝令係はスタスタとこっちに歩いてくる。ヒロが俺を庇うように立ち塞がるが、伝令係はそんなヒロの肩を叩いた。
「お兄さん、いい度胸してるじゃん。俺たちは、いつでも歓迎するよ。」
「ちょっと止めてください!」
「ははっ、じゃあね。」
伝令係の人は上機嫌で病室を出て行った。後には、俺とヒロが残される。ヒロが、いつもの定位置に戻ってくる。
「ヒロ。」
「これ以上危ない事をするな。お前を失いたくない。今度ハヤトに何かあったら、俺はもう何もかもが許せない。」
ヒロは怒っている。泣きそうな顔で怒っているヒロを見ているのはツラい。俺だって、ヒロに何かあったら、何もかも許せないかもしれない。俺は、覚悟を決めた。
「…そこまで言うなら、今度の仕事、一緒にやる?あんまり危なくない仕事。」
「やる。」
食い気味に答えが返ってきて、怖い。
「せめて、内容は聞けよ。」
「お前を一人にはしたくない。」
「うーん。まぁ、俺も抜けられないし、ちょっとは真面目に働こうかと思ってさ。」
「…。」
「ち、違う!ヒロが仕事してるからとか、そういうのじゃない。再会する前から考えてて。」
「うん。」
そう。前から考えては居た。俺を抱いていた男が死んで、溜まり場で仲間とダラダラ過ごすだけの日々に飽きていた。だけど、武装して争いに向かえるほど強い人間でもない。何しろ『小さくて可愛い』まま大人になってしまった。争いに向いていない俺が裏社会で生き残れる道を探していた。
「うんと、まぁ、『運び屋』ってやつ。ちょっと前にポストが空くからって言われて。儲けが少ない仕事なら危なくないと思う。」
「いいよ。一緒にやろう。ハヤトが見えない所で死ぬなんて耐えられない。」
「勝手に殺すなよ。」
俺が死ぬ所を想像したのか、ツラそうな顔で俺を見つめている。その目は涙で潤んでいる。
「分かったよ。じゃあ、一緒にやろう。」
「うん。」
ズズっと鼻をすするので、サイドボードからティッシュを投げつける。
「あーあ。ヒロの会社の先輩に怒られるじゃん。あんなに良くして貰ったのにさぁ。」
「もうクビになってる。」
「ええっ?!なんで?!」
ヒロの口から衝撃の事実が告げられる。そりゃ、ずっと病室に居て仕事どうしてるんだろうとは思ってたけどさ!
「ハヤトが倒れてから寝れなくて、仕事出来なくなったから辞めた。」
「結局、俺のせいじゃん。…え?荷物は?」
「まだ社員寮に置かせて貰ってる。」
「今度、一緒に謝りに行くかぁ。」
「うん。交通事故に会ったって言った。」
「じゃあ、大丈夫か。」
少しは落ち着いたのか、太ももに頭を載せて、いつもの定位置に戻ってくる。
「早く治せ。隣に居なきゃ眠れない。」
「分かったよ。」
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