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第4話

 恭賀は本当にいい性格をしていると思う。俺と付き合ってと言ったのは、この3日間、親がデートで家を空けるからなのだという。  簡素な家並みの中、恭賀の家はかなり広い。平屋建ての日本家屋。家の中はきれいに整えられていて、美しいと形容できる。コンビニで買ったおでんをテーブルに広げながら、確かにこのうちで一人きりになるのは寂しいなと内心思った。 「まったく、紛らわしい言い方をするなよ」  お風呂から上がってきた恭賀に、鋭い視線を浴びせながら。恭賀はパジャマではなく浴衣を羽織っており、ぼくが怒っている素振りを見せるのにも構わず、嬉しそうに微笑んだ。 「助かったよ。両親がデートの日に兄が出張だなんて、俺にとって死刑宣告だよ」 「そんな大げさな」 「本当だよ。言っただろう。もし"軍曹”が出てきたら、俺は独りでは眠れない」  ぼくはもうなにも言わなかった。軍曹と恭賀が呼んでいるのはアシダカグモのことだ。このような古民家にはよく出没する。グロテスクな見た目だからぼくも得意ではないが、恭賀のように恐れ慄くほどではない。 「綾ちゃん、俺のはんぺんは?」 「自分のくらい自分で取って」  冷たく言って、ぼくはおでんがはいったプラスティックの容器を恭賀のほうに寄せた。恭賀はへらりと笑って、はんぺんを箸でつまんだ。それを自分の取り皿に置き、ふうっと息を吹き掛けた。 「綾ちゃんが独り暮らしでよかった」 「よくない。ぼくはいい迷惑だ」  ロールキャベツを箸で半分に切りながら、ぼく。我ながら恭賀に冷たいなと感じたが、恭賀は全く意に介していないようで、鼻歌を奏でてはんぺんに噛り付いた。  ぼくは去年から独り暮らしをしている。父親の転勤の都合で、両親は神奈川に住んでおり、ぼくが高校を卒業したらこちらに来るようにと言われているのだ。本来ならば、神奈川の高校に編入する予定だった。けれどぼくはどうしてもいまのメンバーたちとコンクールに出たいからと、両親を説得し、断った。一年間待ってもらった。ぼくは必ず父の跡を継ぐという約束までした。 「ねえ、綾ちゃん」  はんぺんを食べ終えた恭賀がぼくを呼んだ。ぼくはロールキャベツを頬張り、視線だけを向ける。恭賀はまだなにも言わない。言いにくそうに目を伏せたかと思えば、どこか寂しそうに眉を下げた。 「今年で最後、なんだね」  ぼくは無言のままロールキャベツを咀嚼する。 「俺と綾ちゃんはいいコンビだと思うんだ。音楽観だって似ているし、好きな曲も一緒」  ごくりとロールキャベツを嚥下する。けれど言葉は紡がず、もう半分のロールキャベツを口に放り込んだ。  「綾ちゃんの気持ちは、解っているつもりなんだ。あくまでもつもりだよ。だから、綾ちゃんがなにも言わないのが苦しい」  なんのことを言っているのかはすぐにわかった。ぼくはごくりとロールキャベツを飲み込み、恭賀に視線をやった。恭賀は苦い顔をしている。けれどその表情のままで、大好物のつみれを一口かじった。  恭賀はお節介だ。弟子丸くんに対して懐いているのは、単なる憧れだと言っているのに。ぼくは恭賀のつみれをひとつ箸で奪って頬張った。恭賀がぽかんとしている。けれどすぐに悪戯っぽく笑って、ぼくの牛すじを一本丸ごと奪った。 「あっ」  声を上げるより早く、恭賀がそれを器用に箸で皿に落とし、ぱくぱくと食べていく。まるでリスのように頬を膨らませた恭賀を見て、ぼくは思わず笑った。 「あはは、なにやってるんだよ。吹奏楽部一のイケメンが台無しじゃないか」 「綾ちゃんだって、俺のつくね取っただろう」  もごもごと口を動かしながら恭賀が言う。ぼくは可笑しくなって、恭賀を眺めながら、テーブルに頬杖を突いた。 「ねえ、恭賀。君は文学に精通しているのだから、偲ぶという意味は知っているよね?」  恭賀は牛すじを咀嚼しながらぼくを見た。頬が膨らんでいて、少し間の抜けた顔になっている。 「その言葉が全てを表していると思うんだ。心引かれているのは事実だ。けれど手が届かない。だから摩り替えた。カメラのファインダーを覗くぼくにとって、彼の笑顔が最高のシャッターチャンスなんだってね」 「綾ちゃんのそれはさあ、こらえるほうの『忍ぶ』だと思うんだよね。忍ぶ恋なんて言ったら聞こえはいいけれど、実際には満たされていないわけじゃない。まあ、思いは人それぞれだから、当事者が良ければ満たされていることにはなる。でも、俺はいやだなあ」  そうだろうと思ったが、敢えて言わなかった。よく出汁が沁みた大根を箸で四等分にしてから、ぼくはそのひとつを箸でつまみ、口に運んだ。 「綾ちゃんと俺は、本当に正反対だね」 「そうだね。だから三年間一緒にいられたんじゃないのかな」 「言えてる。俺は綾ちゃんの覚悟を応援するよ。だから、楽曲のアレンジに付き合ってやらなくもない」  まさかそう来るとは思っていなかったぼくは、その大根を途中で取り落としてしまった。鈍い音を立てて、大根がテーブルに転がった。 「ああ、なにやってるんだ綾ちゃん。火傷したら大変だ」  すぐさま立ち上がり、恭賀は大根を箸で摘まんで小皿に置くと、おでんの出汁で汚れた部分を台吹きで拭き取った。恭賀は何気に過保護だ。すぐにこうやって色々と世話を妬いてくれる。ぼくはごめんと呟いて、恭賀を呼んだ。 「もしかして、軍曹が怖いっていうのは、口実?」  恭賀は首を斜めに傾けて、肩を竦めた。 「まさか。ガチだよ」 「ガチなのか」 「そう、ガチ。でも元々はアレンジに付き合うつもりだった。独りのアイデアより、ふたりのアイデアのほうがより良いものが作れる」  言いながら恭賀が自分の爪に視線を落とし、指で触った。恭賀の癖だ。ぼくは最初から一人でやるつもりだったが、恭賀が乗り気なのなら話は早い。 「じゃあ、この週末は恭賀と過ごそうかな」  ぼくが言うと、恭賀は満足そうに目を細めて、頷いた。  僕と恭賀は休みの間、ずっと部屋にこもった。どのフレーズを使用すれば盛り上がるか。印象付けられるか。そんなことを考えながら、雰囲気を出すためにお互いが用意したアレンジの譜面をトランペットで吹いてみたり、原曲に別の楽曲を混ぜたらいいんじゃないかとか、いろいろと試行錯誤した。  その甲斐あってか、日曜日の早朝、漸くアイデアが纏まった。今日は恭賀の両親が戻ってくるから、ぼくは帰らないといけない。ぼくと二人で作り上げたアレンジパートを、恭賀が演奏する。力強く、太く、丸みのある音がこだまする。音の強弱、リズムに意識を集中させているのが解る。ハイノートに差し掛かる前のリップスラーも滑らかで、まるで一人で吹いているとは思えなかった。  いよいよクライマックスのハイノートに入る。その動きに合わせるかのように自然と僕の指も動く。絶望から感動へ、一気に感情が噴きあげるかのような旋律。その音の迫力に、ぼくは圧倒された。  はあはあと息を荒らげ、恭賀が口元を拭う。額や蟀谷には汗が滲んでいる。そしてぼくと目が合うと、恭賀はホッとしたように眉をさげ、笑った。 「疲れたー」  言いながら恭賀がベッドに腰を下ろした。 「お疲れさま」 「これ、ホルンとかボーンが入ったらすごい迫力になるんじゃない?」  恭賀は嬉しそうだ。ふうっと口を窄めて息を吐いた後、思い出したようにトランペットの手入れを始めた。  ぼくはすぐに楽譜を手に取った。高校野球の応援のルールとして、味方の攻撃の最中のみ演奏が赦されている。もし途中で演奏が止まってしまったら。クライマックスのハイノートで感情を爆発させられなかったら。そう考えたが、そのハイノートからトップに移行させやすいようにするには、これしかない。コーダを作ればまた印象が変わるのだろうが、きちんと演奏しきれるかどうかが解らなかった。 「あとはみんなの意見を聞いて、それから纏めよう。ありがとう、恭賀。助かったよ」  恭賀はなにも言わず、そっと微笑んだ。こんなにも恭賀と話したのは、去年の合宿の時以来だ。あの時を境に、ぼくは無意識に恭賀を避けていたのかもしれない。恭賀はトランペットの手入れを終えて、ベッドに寝転がっていた。少し肌蹴た浴衣の裾から、恭賀の細い足が見える。ぼくはごくりと唾を飲んで、そこから視線を逸らした。

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