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第7話
決勝戦に向けての中2日で、ぼくたちは朋誠高校野球部を応援することだけに専念し、練習に取り組んだ。昨日なんかは甘來先生までが校長の許可を得て部室の使用時間延長を取り付けて下さった。
ぼくたちなりのファンファーレだ。苦悩を歓喜へと転換するきっかけは、まさに自分たちの中にある。自分たちの心が作る。音楽の知識がなければこの楽章の曲想を知らない人のほうが多いだろう。けれどそれを少しでも感じてもらえたら。笠屋が少しでも弟子丸くんに歩み寄ってくれたら。ぼくはそう願掛けをし、人気のない公園で練習に取り組んでいた。
公園の時計はとっくに22時を回っている。この周囲に民家はないが、そろそろ辞めなければ。そう考えながら、もう一度トランペットを構える。最後の練習。明日は本番だ。もう一度、あのイメージを強く焼き付けたかった。
去年の合宿で、ぼくと恭賀の間に溝ができた。そう思っているのはぼくだけか。いや、ぼくに対する態度だけが違う恭賀もまたそうだろう。その溝を埋めたい。二人でアレンジしたこの曲をきっちり吹いて、完璧に仕上げて、また前のような関係に戻りたい。ぼくのなかにはそんな思いもあった。
――7月下旬の合宿地。そう言われてぼくたち吹奏楽部が連想するのは、国立青少年自然の家だ。周りは山々に囲まれている為、街にいるよりは涼しい。けれどあの年はやたらと暑かった。
自然が広がる場所で、ぼくたちはパートごとに分かれて野外での練習をする。吹奏楽コンクール予選に向けてだ。午前中は野外でのパート練習。午後から夕方までは合奏を含む合同練習。夕食、休憩を挟んで、21時までは甘來先生や甘來先生のつてで練習を見に来られた諸先生方からの指示が入らない通し合奏。それが終われば入浴、消灯だ。自由な時間などあまりない。そんな合宿は一週間続く。最終日だけは昼から自由時間で、みんなで夕食を摂り、マイクロバスで学校に帰る。そういう日程になっていた。
ぼくは三年生が引退すれば部長を任されることが決まっていた。ぼくの意思ではない。その時の部長である本間先輩の強い意向だったと聞いている。そしてその本間先輩はユーフォニウムのファーストを吹いていた。
あの日、ぼくは本間先輩に頼まれ、個人練習に付き合っていた。ぼくたちが合奏室として使用していた多目的室の鍵を甘來先生に返却し、大浴場に向かった時には、ほとんどの部員が入浴を済ませ、それぞれが割り当てられた部屋に帰っていた。山奥とはいえ、暑い。ぼくは汗だくになった体を休めたくて、建物の脇にある小川で足を冷やすことにした。
小川に手を差し入れると、冷たく、気持ちがいい。清流という言葉がぴったりと当てはまる程、夜なのに綺麗だった。これが日中だったら、太陽の光を反射してさらにきれいなのだろうな。そう思いながら暫くの間足をつけていた。
後ろから足音がした。振り返るとそこには本間先輩がいた。本間先輩は厳しくて有名な人だ。なにを言われるかと息をのんだが、本間先輩はなにも言わずにその場に腰を下ろした。
「悪かったな、疲れただろ?」
それどころか、労うように声を掛けてきた。ぼくは首を横に振った。気を遣ったわけではない。ぼく自身練習は糧になると思っているからだ。
本間先輩がなにかを言った。ぼくはそれが聞き取れず、少し身を乗り出した。ふと目の前が暗くなった。唇になにかが当たる。それが本間先輩のものだと解ったとき、ぼくは慌ててその体を押しのけようとした。ユーフォニウムを巧みに操る先輩の力は強く、ガタイもいい。ぼくはろくな抵抗もできず、そのまま地面に押し倒された。
「悪く思うなよ、遥」
遥はぼくの名前だ。みんなはぼくを綾と呼ぶ。それなのに下の名前で呼ばれた。違和感を覚えた。身の毛が弥立った。ぼくは自分の身にとてつもない危険が及んでいるんじゃないかと思い、顔を伏せた。
先輩の手がぼくの股間に触れた。びくんと体が跳ねる。先輩の息遣いはまるで獣のように荒く、早い。ぼくは先輩の肩を掴んだが、びくともしなかった。先輩がぼくのジャージと下着との間に手を差し入れて、反応すらしていないぼくに触れてくる。ぼくはいやだと言ったが、先輩がやめる気配はなかった。すぐさま先輩の固いものがぼくの腹部に宛てられる。ぼくよりも一回り体が大きい先輩には抵抗ひとつできず、それをいいことに先輩はぼくのものと先輩自身を一緒に扱き始めた。
「っ、う!」
思わずうめき声が上がる。いままで経験したことのない感触だ。ぼく自身を別の誰かが触っている。ぼく自身に別の誰かの熱が当たっている。それはいままでそういう経験すらなかったぼくを高ぶらせるには十分すぎた。
「遥、遥っ」
先輩の切羽詰ったような声がする。ぐちゅぐちゅと濡れた音が鼓膜に絡む。自分の顔は冷たいのに暑くて、妙な感覚しかない。
「ふっ、っ、んんっ」
先輩の手が勢いを増す。ぼくは先輩自身と共に扱かれ、あっけなく達した。びくびくと体が跳ねた。自然と腰が浮く。漸く絶頂が収まり、短く息を吐くぼくの目に映ったのは、いつもの本間先輩ではなかった。
グリスですべりの良くなった指を秘部に押し込まれ、ぼくの抵抗もむなしく先輩の指はどんどん奥に進んでいく。先輩の髪を必死に掴んで応戦したが、興奮に憑りつかれた先輩にとって、それはなんの意味もなさなかった。
「いたっ!」
最早妙な感覚などない。鋭い痛みに思わず声が漏れたとき、先輩は謝るどころか不敵に笑って、ぼく自身を掴んだ。
「じっとしてろ、よくしてやるから」
ぞっとした。助けを求めたいのに怖くて声が出ない。先輩はグリスまみれになったぼくの秘孔に自身を押し当てる。嫌だ。怖い。とっさに目をきつく瞑った瞬間、ぼくに覆いかぶさっていた熱が鈍い音と共に消えた。
「なに、やってんですか?」
聞き覚えのある声がした。ぼくの視界は歪んでいる。熱いものが次々と零れ落ち、肌を濡らす。
「恭賀っ」
恭賀はぼくの前に立ちはだかると、草むらに転がっている先輩に視線をやった。先輩はすぐに逃げた。捨て台詞など吐くことも、弁解することもなくだ。ぼくは震えの止まらない肩を押さえ、泣くことしかできなかった。
「なにやってんだよ」
恭賀の声は呆れているが、それには怒気が孕んでいた。
「俺、気を付けろって言ったよね? なに簡単にヤラせてるんだよ、馬鹿じゃないの?」
辛辣に言いながらも、恭賀がぼくの涙を拭う。ぼくはその腕にしがみついて、泣いた。
「だって」
「だってじゃない。本間先輩は綾ちゃんを狙ってるんだって、その危険性を俺は何度も伝えておいたはずだ。それなのに二人っきりになるだなんて、最早呆れて物も言えないよ」
ぼくは腕で涙を拭いながらそれを聞いていたが、自分が置かれている状況を思い出して、とっさに体を起こそうとした。けれど足が竦んで、腰が抜けて動けない。恭賀が呆れたように溜め息を吐いたのと、建物の脇から懐中電灯の明かりが見えたのとは、ほぼ同時だった。
すぐに恭賀がぼくに覆いかぶさった。ぼくの声が上がるよりも早く、恭賀がぼくを引き起こす。ぼくは恭賀と共に小川に滑り落ちていた。
ぼくたちは懐中電灯の明かりを浴びた。その先にいる人物は眩しくて見えない。
「なにをやっているんだ、立ちなさい」
その声にピンときた。引率できていた生徒指導の先生だ。けれどぼくは下半身を丸出しにされていることに気が付いて、立ち上がれなかった。先生が近付いてくる。このままではバレてしまうんじゃないか。そう思った時、恭賀が先に立ち上がった。
「せんせー、ごめんけどタオル持ってきてー。パンツ洗ってたら流れちゃったー」
ぼくは思わず恭賀を見た。恭賀がTシャツの裾を引っ張って、股間を隠している。まさかの行動にぼくは声も出せなかった。
「市居、おまえはっ!」
「だってぇ。しょうがないじゃない、合宿で疲れるし、みんないるから抜けないしぃ」
先生が怒っている表情の中に呆れが色を見せ始めた。抜いている最中にぼくが来たから驚いてイってしまい、川でパンツを洗っていたなんて苦しい弁解を始めた恭賀に視線を向け、先生は分かった分かったと大きな溜め息を吐いた。
「そこで待っていろ。市居、流された下着を回収しておけ」
「はーい。せんせー、早くバスタオルよろしくねー。水が結構冷たいから」
踵を返した先生に恭賀が手を振りながら念を押すように言う。ぼくはそれをぽかんと眺めているだけだった。やがて先生が建物の陰に消えて行った。すると恭賀は足首あたりまで下ろしたびしょ濡れになったズボンを穿いて、ぼくに手を伸ばした。
「早く立ちなよ。綾ちゃんがズボン穿かなきゃ、俺の嘘が台無し」
恭賀はぼくを見ていなかった。ぼくが恐る恐るその手を掴むと、恭賀はぼくの手を引っ張り、立たせてくれた。震えは少しだけ収まっていた。ぼくはもたもたと下着とジャージを整える。その間、恭賀は無言だった。ぼくを見ようともしない。ぼくを小河から上がらせると、恭賀は自力で1m近くあるやや急な土手を上がってきた。そしてぼくを睨み、言った。
「綾ちゃんさあ、その癖やめなよ。だから流される。だから部長なんて押し付けられる。自分はホモじゃないって予防線を張らないからこういうことになるんだ」
「そ、そんな言い方しなくたって」
「は? それがなかなか帰ってこないから心配していた友人に対する態度なわけ? 嘘まで吐いてやったっていうのに、礼も謝罪もないの?」
恭賀の言うとおりだった。だからぼくは素直に謝った。ごめんね。気をつければよかった。ぼくがそう言ったら、恭賀は鼻で笑ってぼくを睨み付けた。
「綾ちゃんのそういうところ、大嫌い。俺のこと馬鹿にしてるの?」
いままでみたことがない表情だった。聞いたこともないほど冷たい声だった。ぼくを残して去る恭賀を呼んだが、恭賀は振り返ってもくれなかった。
――あれから、ぼくと恭賀の間には溝ができた。なんでも語り合える友人だった。けれどあの日以降ぼくは恭賀と一線を画している。恭賀もそうだ。人懐っこく話しかけては来るものの、前のようなスキンシップが無くなった。前はところ構わず抱き着いてきていたというのにだ。それはぼくのことを気遣ってくれているのか、それとも恭賀が大人になったのかはわからない。でも、とても良い演奏ができた後のハグがなくなったのは、お互いを称える方法が言葉だけになってしまったのは、なんだか物悲しくもあった。
明日ぼくは、恭賀ともう一度心を通わせたい。そうしなければ後悔してしまうだろう。友達に戻りたいなんて馬鹿げている。そういえば恭賀は怒るだろう。けれどぼくと恭賀にしかできないことだってある。ぼくはすうっと息を吸い込み、マウスピースに吹き込んだ。
自分の感情を表立たせる。勢いのある音。それが光の中にある理想や希望を掴み、自分がいままで欲しかったものを手に入れた、まさにその瞬間。わあっと歓声が上がる。けれどその歓声は自分には届かない。夢中だ。ただ夢中で地を蹴る。走る。走り抜けたその先にある光の中に入ったとき、全ての音が揃い、歓喜へ。それはぼくと恭賀が吹く、クライマックスのハイノートだ。
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イイネ
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