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第10話

 8月7日。第○回全国高等学校野球選手権大会が開幕した。朋誠高校の試合は1日目の第2試合。ぼくたちは日差しが強い中、自校の試合が始まるのを待っていた。  1試合目の開幕試合は、佐久聖長対報徳。報徳学園は久々の出場で、しかも地元だからというのもあってか、試合会場はかなりごった返している。  ぼくたちは控室にいた。開幕試合は8回まで終わっている。あと少しでぼくたちの出番だ。ごくりと喉を鳴らす。ぼくたちはこの日の為に、様々な練習をしてきた。応援だけは他校に負けるわけにはいかない。それは今大会、朋誠高校だけが初出場だから、余計にだ。  トーナメントで当たった高校は喜んだだろう。抽選の中継を見ながら、恭賀が言った。相手は過去にセンバツでの優勝経験がある強豪校で、しかも中国勢同士の潰し合いなのだ。  勝てる。いや、絶対勝つ。出発当日、奥原がグラウンドで吠えていたのを思い出す。あの気合の入れようは半端ではなかった。  アナウンスが響いた。朋誠高校、広陵学園の試合準備を告げられる。ぼくたちはみんなで円陣を組んだ。 「応援は力なり‥‥って、甘來先生が言ってた」  知子が言う。悠太が笑った。 「ふつう、継続は力なりですけどね」 「でも、その言葉は本当だと思います。後押しっていう意味で、とても力になるものだって」 「うん。やろう。これが最後でも、後悔しないように」  ぼくは気合を入れるために、自分の頬をぱんと叩いた。みんな炎天下の中で頑張っている。ぼくたちも負けじと応援しなければ。ぼくたちはそれぞれが楽器のチューニングを済ませ、スタンドと向かった。 ***  試合が始まった。朋誠高校は後攻めだ。ベンチを見渡したが、弟子丸くんの姿はない。この試合はベンチ入りすらさせてもらえなかったのだろうか。残念な気持ちでいっぱいだったが、ぼくたちは試合の行く末を見守った。  ふと気になって、応援をしている野球部員の群れを眺めたが、その中にも弟子丸くんはいない。とすると、見えないだけでベンチにいるのだろうか? 気になって仕方がなかったが、試合は1回裏へと差し掛かり、ぼくは慌ててトランペットを構えた。  試合展開はかなりスピーディーだ。お互いが打たせて取るピッチング。赤碕なんてまだ20球も投げていない。4回表、相手チームの攻撃中。悠太がなにかに気付いたように、ぼくの袖を引っ張った。 「綾羅木先輩、あれ、弟子丸先輩じゃないですか?」  そう言われて、悠太の指の先に視線を向ける。野球部員の中ではなく、観客席にいた。弟子丸くんだ。目深に帽子を被って、真剣な表情で試合を見ている。まさかそこにいるとは思わなかった。どきんと胸が高鳴る。ベンチにいたわけではなかった。部員席にもいない。まさか、――。  カキンと高い音がした。相手チームの歓声が上がる。ボールは風に乗って引っ張られていく。 「捕れ、渡谷!」  弟子丸くんの声が響いた。渡谷はフェンスによじ登らんばかりの勢いで腕を伸ばし、ボールを捕った。  スリーアウト。こちらの攻撃に替わる。ぼくは観客席にいる弟子丸くんを気にしながらも、トランペットを構え、応援曲を吹くことに専念した。  試合は8回まであっという間だった。膠着状態。両チームとも走者は出るも、ホームベースを踏むまでに至らない0-0。8回裏。打順は三番川地からだった。野球部の後輩たちが順々に叫んでいる。応援曲は景気付けの為に甲子園でよく演奏される狙い撃ちだ。  川地は何度もボールを見送っている。スリーボール。ストライクはない。つぎに見送ればフォアボールで出塁できる。定石で行けば次はストレートか、ストライクゾーンぎりぎりのスライダーかフォークがくるはず。  打て。絶対打て。ぼくたちの願いが通じたのか、川地が打った。 「よっしゃ、行けー!」  後輩の野球部員たちは大はしゃぎしながら川地に声援を送っている。ボールはライトに構える外野手のミットをはるか上に越えて行った。川地が走る。一塁、二塁、すごい勢いでやってきた。川地が二塁ベースを踏んだ頃、ボールは漸く相手キャッチャーの元に戻った。  四番赤碕。赤碕はスクイズを狙った。珍しい。ファーストが捕球をもたつき、三塁、一塁共にセーフ。相手ファーストのエラーが記録された。一気に会場が沸く。ファンファーレを奏でたあと、ぼくたちはあの曲へとシフトした。  五番笠屋。笠屋はバッターボックスに立つ前、ふうっと息を吐いた。2,3度その場で跳ね、体の力を抜く。笠屋が構えた。今試合、笠屋は当たっていない。まるで様子見をしていたようにも見えた。ぼくがそう思ったのは、強ち間違いではなかった。初球から笠屋が打った。ライト戦を越え、ファール。後輩たちは大声で声援を送る。ぼくたちも負けじと吹いた。  二球目は見送った。かなり鋭いカーブはボールだ。振らせようとしたのだろうが、笠屋は素早い判断でバットを止めていた。三球目。快音が響いた。ライト戦ギリギリに落ちる流し打ちだ。笠屋はすぐに走りだした。川地がホームベースに帰ってきた。一点。まるで英雄のようにみんなとハイファイブしながらベンチに戻っていく。赤碕は三塁、笠屋は一塁にいたが、キャッチャーへの送球がそれ他のを見計らって、二塁に滑り込んだ。  六番西納。堂々とバッターボックスに立った西納の腕に巻かれたサポーターには見覚えがあった。あれは弟子丸くんが使っていたものだ。  まるで弟子丸くんのようにコンパクトに腕に腕を畳み、スイングする。西納が打ったボールはセンターの頭上を越え、フェンスに当たった。一瞬ホームランかと、みんなが湧いた。ボールは相手センターのミットをかすったものの、落ちた。すぐさま赤碕がホームベースを踏む。笠屋も三塁ベースを踏み、ホームベースに向かってスライディングをした。二点追加。3-0だ。後輩たちは抱き合って喜んでいる。西納も素早く二塁を踏んでいた。  七番大沢。大沢は相手ピッチャーとの相性が悪いのか、ほとんど打ち取られている。 「決めろ大沢!」  ベンチにいる仲間たちが叫んでいる。メンバー中3人が2年生で、そのうちの一人が大沢だ。なにげに打率が高く、予選でも大沢の活躍が光った。  大沢は期待どおりに打った。けれど相手サードが必死にそのボールに食らいつき、ワンバウンドで捕球した。笠屋は冷静に動かなかった。大沢は懸命に走るも、アウト。悔しそうな面持ちでベンチに戻ってくる大沢を、奥原が温かく迎えていた。背中をポンとたたく。大沢は照れくさそうに笑っていた。  八番古城。相手ピッチャーもうまく揺さぶりをかけてきて、古城は三振に終わった。ツーアウト。 「行け行け小菅、打て打て小菅!」  チア部が大声で応援している。九番小菅。小菅はボールをよく見た。スリーボールツーストライク。 次に来たボールを打ったが、ピッチャーゴロ。手際よく捕球され、ホームにボールを返された。スリーアウト。ぼくたちは応援をやめた。  9回表。抑え込めば勝てる場面だ。甲子園初勝利まで、アウトみっつ。  ピッチャー交代が告げられた。赤碕から、笠屋へ。長身の笠屋から繰り出されるストレートとスライダーはかなりの武器になる。赤碕のボールに慣れてきた相手校への対策だろう。  笠屋は絶好調だった。相手の四番、五番から三振を奪う。あとアウトひとつで勝てる。いける。ぼくたちは息を呑んで見守った。 「笠屋!」  弟子丸くんの声がした。 「絶対勝て」  それは笠屋には届いていないだろう。けれど、笠屋は確かにこちらを見た。笠屋は帽子の位置を整えると、ロジンバッグを手に取り、マウンドに落とした。  奥原がサインを出す。笠屋はすぐに頷き、構えた。笠屋が投げた。それは奥原の読みどおりに相手バッターは一歩も動けず、ボールはストライクゾーン真っ只中に吸い込まれた。 「ストライク!」  掲示板にあるストライクのランプが点灯する。あとひとつストライクを取れば、こちらの勝ちだ。  奥原のサインに対して、笠屋は首を振った。三度目でようやく首を縦に振る。笠屋の投げたボールは、バッターに捉えられた。鋭い打球。それはグラウンドでバウンドすることなく、すごい勢いで突っ込んできた古城のミットに掴まれた。  スリーアウト。試合終了。わあっと歓声が上がった。まさか勝てると思っていなかったのか、スタンドにいるスタメンになれなかった三年生たちが泣いている。それに近付いたのは弟子丸くんだった。弟子丸くんは清々しい顔をして、彼らになにかを告げた。  サイレンが鳴り響く。それに負けないくらい大きな声で、挨拶が飛び交った。  グラウンドにみんなが整列する。アナウンスが流れた。 「勝ちました朋誠高校の栄誉を称えて、同校の校歌を斉唱し、国旗を掲揚します」  テレビで見る試合と同じだ。素直にそう思ったぼくは隣りにいる恭賀と顔を見合わせ、笑った。 「勝てたね」  恭賀が頷く。ぼくは弟子丸くんのほうを向いた。 「弟子丸くん、辞めたのかな?」  恭賀はなにも言わなかった。

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