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第13話
『大晦日に初詣に行かないか?』――啓大くんからそんなメールが入ったのは、大晦日まであと3日という日だった。メールを見てどきりとする。もしかして、ふたりきり?
『他に誰か来るの?』――と、敢えて送ってみる。数分もしないうちに、返事が来た。
『奥原と赤碕』
それを見て、ぼくは一瞬目を疑った。赤碕? 奥原ならわかるけれど、赤碕が? 啓大くんを苛めていた首謀者じゃないか。ぼくは送ろうか送るまいか迷ったが、意を決して尋ねることにした。
『赤碕が一緒なんて珍しいね』
短いバイブレーションがメールの到着を告げた。
『赤碕が企画した。あんまり人が来ないけど御利益がある場所らしい。恭賀もどう?』
最後の一文で、ぼくはまたどきりとした。冬休みに入り、ぼくと啓大くんは図書室で頻繁に出会っていたものの、恭賀はあの日以来ぱったりと図書室には来なくなっていた。恭賀とは顔を合わせてもいないし、メールもしてこない。ぼく自身もメールをしてはいないが。
『聞いてみるね』
そう返事をしたものの、正直に言って残念だという気持ちのほうが強かった。啓大くんと二人きりだと思っていたのに、赤碕と奥原も一緒だなんて。でも、奥原はともかく、赤碕が啓大くんを苛めなくなったのは少し嬉しい。努力を認めてくれたのかもしれない。ぼくは恭賀からのメールを捜し、返信した。
『大晦日に啓大くんたちと初詣に行かない? 赤碕と奥原もくるみたい』
送信ボタンをタップし、スマホをテーブルに置いた。恭賀は返事をくれるだろうか。その心配はすぐに払拭された。恭賀や吹奏楽部のメンバーからメールが着た時にすぐにわかるようにと、バイブレーションのパターンを変えていたぼくは、そのメールが啓大くんからではないとすぐにわかった。
急いでスマホのディスプレイをタップし、メールを確認する。
『楽しんでおいで』
そうとだけ書かれたメールだった。来る気がないらしい。ぼくは一気に残念な気持ちになった。
『なんで? 別の人と遊ぶ約束でも?』
不満な気持ちが募る。不安ではない。不満だ。恭賀に限ってぼくを避けているわけではないだろうと信じたい。けれどあの日恭賀は少しおかしかった。いつもにはない話し方だった。
『ヒロとデート』
ハートのデコメがふんだんに散りばめられたメールを見て、ぼくは少しほっとした。避けられているわけではなかったからだ。けれどそのあとにぼくが送ったメールには、返事がなかった。
***
大晦日。ぼくたちは23時半頃、市役所近くの山の麓の南側で待ち合わせをした。そこには少し広いスペースがあり、みんなが駐車場代わりに使っている。そこから道路を隔てた斜め右側にはぼくが通っていた中学がある。中学校の裏手には氏神様とされている小さな神社があるからなのか、中学校のグラウンドは駐車場として開放されているようだった。
「遥」
啓大くんの声だ。ぼくが振り向くと、そこには奥原もいた。奥原は間近で見るとかなり背が高い。180センチ後半はあるだろう。グレーのブルゾンコートに身を包んでいる。啓大くんは千鳥格子柄のマフラーをして、黒いニット製のパイロットキャップを被っている。カーキのミリタリージャケットは啓大くんには少し大きいようにも見えた。
「悪いな、急に誘って」
奥原が声を掛けてきた。ぼくは首を横に振って、啓大くんを見た。
「どうしても遥と話したいって、奥原が」
マフラーのせいで口元がよく見えないが、目が笑っている。奥原ははははと空笑いをして啓大くんの頭をぽんぽんと叩いた。
「人見知りの弟子丸が名前で呼んでもいいって言った相手に興味があって」
奥原が言った時、啓大くんが奥原をじろりと睨んだ。余計なことを言うなとでも言いたげな顔だ。そういえば、奥原は3年間啓大くんとおなじ野球部に所属しているはずなのに、未だに苗字で呼んでいることに気が付いた。
「奥原くんは、名前で呼ばないの?」
「野球部では通称“丸”だよな」
啓大くんが頷く。
「試合の時は苗字で呼んでいたよね」
「さすがにでっかい試合中に『丸、行け!』とか言えないだろ」
眉を下げて奥原くんが笑った。それもそうだと思って、ぼくは自分で言ったことが恥ずかしくなって、俯いた。
東側からやってきた軽自動車がクラクションを鳴らした。そのままぼくたちが待ち合わせ場所にしていたスペースに入ってくる。駐車した車のヘッドライトが消えて、なかから赤碕が出てきた。
「お待たせ」
赤碕の井出達に驚いた。いつもユニフォームのイメージしかなかったから、余計にかもしれない。ツイードのチェスターコートにスキニーパンツ、それにブーツをコーディネートしている。グレーのジャケットにピンクコーラルのカーディガン、濃いめのグレーのマフラー、それにデニムを合わせただけのぼくは、なんだか場違いに感じる。
赤碕はぼくに一瞥をくれると、ふうんと意味ありげに声を出した。
「綾羅木、だっけ? 吹奏楽部の」
視線が怖い。ただでさえ迫力があるのに、なんだか挑戦的な視線を浴びせられているような気がして、ぼくはたじろいだ。
「優が言っていた、やたらと目立つトランペットを吹いていた子だよ」
奥原がさりげなく言った。赤碕はふうんと言ったあと、口元を持ち上げた。
「相方は?」
「えっ? あ、今日は、用事があるって」
デートだと言っていたが、本当のことは言わないほうがいいだろうと誤魔化した。赤碕は少し残念そうな顔をしたが、まあいいやと、ぼくたちに車に乗るように指示した。
「ヒナは助手席に乗れよ。でっかいのが後ろに乗ったら、丸にしても綾羅木にしても窮屈極まりないだろうし」
「じゃあ普通車借りてこいよ」
「しょうがねえじゃん。新免は大人しくこっちに乗って行けって、姉ちゃんが」
拗ねたような言いぐさだった。ぼくと啓大くんは大人しく後部座席に乗り込む。奥原はそれを見届けた後、助手席に乗った。
「じゃ、よろしくね、運転手さん」
「っせえ。事故るときは迷わず助手席からたたっつけるかんな」
赤碕が奥原を小突く。奥原は豪快に笑ったあと、ぼくたちに『シートベルトは絶対つけておけよ』と声を掛けた。
赤碕が発車させる。ウインカーを出し、右の道路に出ると、すぐ先の信号を市役所側に右折した。
「どこに行くの?」
「賜居神社」
ぼくが尋ねると、隣で啓大くんが答えた。
「賜居って‥‥あの、すごい小さいところだよね?」
「人がいないから初詣には穴場なんだって」
「すごい昔、天皇が戦勝祈願をしたっていう、結構有名な場所なんだ」
と、赤碕が言う。
「可愛い後輩たちの為に、センバツ初勝利祈願をしてやろうと思ってね」
奥原が言った。センバツ初勝利? 不思議に思ったぼくの隣で、啓大くんが鼻で笑った。
「気が早いんだよ、こいつら」
マフラーを解き、笑っている。もぐもぐと口を動かしているのに気付いたぼくに、啓大くんがなにかを差し出した。マーブルチョコレートだ。
「分からないだろ、丸。選出されなかったとしても、来年の夏の甲子園出場を賭けて勝利祈願って言う手もある」
「そうそう。丸がそうやっていちいち突っかかるから笠屋に目をつけられるんだぞ」
赤碕が言う。啓大くんが試合に出られないように根回ししていたのは自分じゃないのかと、内心思う。啓大くんがぼくのジャケットの裾を引いた。
スマホのバイブレーションがメールの着信を告げる。メールは啓大くんからだった。
『赤碕は笠屋があれ以上図に乗らないように、おれを試合から遠ざけていただけ。おれも承諾済み』
それを見て、ぼくは思わず啓大くんを見た。またバイブレーションが鳴る。
『誰も笠屋には意見ができなかったから、赤碕が悪いんじゃない』
ちらりと啓大くんがぼくを見る。そういう事情があるのだとは知らなかった。ぼくは静かに頷いて、自身を納得させることにした。
赤碕はしばらく道なりに車を走らせた。途中で国道から市道に入り、狭い道を進んでいく。その間、後部座席で静かにしているぼくたちとは逆に、奥原と赤碕はかなりテンション高くしゃべっていた。笠屋から解放されたことで安心しているのかもしれない。やがて小さな神社が見えてきた。
「着いた」
車が4,5台ほど停められるスペースに赤碕が器用に駐車する。赤碕がエンジンを止めたのを見計らって、ぼくたちはシートベルトを外し、車を降りた。かなり寒い。奥原と赤碕はぼくたちが下りてくるのを見て、声を掛けた。
「早くしろよー」
ぼくは啓大くんに着いて、ふたりの後を追った。3段ほどの階段の上を鳥居が跨り、階段を上がった左手には手水場がある。ぼくたちはそれぞれが作法に基づいて手を清めたあと、門をくぐった。石畳が敷かれ、その先にあるのが本殿だ。人はまばらにしかいない。ぼくたちは先にお参りを済ませることにした。叶緒を大きく揺らし、鈴乃緒を鳴らす。御賽銭を投げ、二礼二拍手一礼。ぼくが顔を上げたとき、啓大くんたちはまだお祈りの最中だった。最初に顔を上げたのは啓大くんだった。隣で真剣に祈っている赤碕と奥原を見て、口元を緩めた。
「よーし、おみくじ引こうぜ」
「まだ早いだろ」
時計を確認し、奥原が言った。「まだ0時を回ってない」
赤碕は苦笑を漏らした後、境内の近くで豚汁を振る舞っている近所のおじさんの元に駆けて行った。両手にプラスティック製の容器を抱え、こちらに戻ってくる。それをぼくと啓大くんに差し出した。
「ほい」
ぼくたちは顔を見合わせた後、それを受け取った。赤碕はすぐにまたおじさんのところに駆けて行った。またふたつ容器を持って戻ってくる。片方を奥原に差し出すかと思ったら、片方をあらかじめ用意されていたテーブルに置き、容器の中からまだ湯気を放つ大根とにんじんを箸ですくって奥原のほうに差しだした。
「ん」
「おかんか」
「お食べよ、ヒナ」
奥原は観念したように眉を下げて笑ったあと、それを食べた。
「あっつ」
「うはっ、馬鹿がおるぞ」
赤碕の声に、啓大くんが笑った。
「こいつら、いつもこうなんだ」
「そう、なんだ。仲が良いんだね」
「笠屋も、くればよかったのに」
ぼそりと啓大くんが言った。
「優しいね」
ぼくだったら、自分を苛めていた相手と同じ空気を吸いたいなんて思わない。もし、あの先輩ともう一度話せと言われたら、部屋に閉じこもってでも拒否するだろう。啓大くんは奥原と赤碕がじゃれているのを見た後、ぼくを見上げた。
「その投法を続けたら投球障害になるって言ってあいつを怒らせたのは、おれなんだ」
それは暗に笠屋のことを言っているのだろう。ぼくは驚いて二の句を継げなかった。
「二年に上がる前まで、肩と肘に負担がかかりやすい投げ方をしていた。肘も下がっているし、体の開きも早い。あいつは体がでかいうえ、力もある。だから中学生まではそれでもよかったかもしれない。でも、その投法を続けると、笠屋の将来にもかかってくる。だから指摘した。
あいつはそれまで、その投法でやってきた。中学の時も試合で何度も優勝しているし、チームを引っ張ってきた。笠屋は俺の言うことを聞かなかったけど、春休みに肘に違和感を覚えた。それを切欠に通院したり、親のコネでスポーツトレーナーとかに話を聞いたら、おれが言ったのと同じことを言われたらしい。おれの指摘は、笠屋のプライドを傷つけたんだ。それも、二度も」
「だから、いじめられても仕方がないっていうの?」
「あいつの暴走を収めるには、それしかなかった。笠屋と同等に力のあった後輩がいたけれど、あいつは笠屋に潰された。いじめを受けて投げられなくなった。誰かが身代わりになれば、笠屋のストレスの捌け口を作れば、部内でそれ以上の諍いが無くなる。おれにとって、そのほうがよかった。おれが笠屋を傷付けた。だから、自身への戒めのつもりでもあった」
「矛盾、してるような気がする」
「そうかもな。だけど笠屋は一位指名ではなかったにせよ、熱望していた球団に指名を受けた。それでよかったんじゃないのかな。おれも、自分がなにをしたいのか、どうすればいいのか、道が見つかった」
啓大くんは嘘を言っているようにも、強がりを言っているようにも見えなかった。とても晴れ晴れとした顔をしていたからだ。小さいのに、大きい。その姿がとてもカッコよく映った。
「おれ、おまえと友達になりたいと思ってたんだ」
ぽつりと啓大くんが言った。
「ひとりで自主練をしていたら、音楽室からすごい勢いのある音が聞こえてきた。まっすぐで、潔い。迷いのないその音を聞いていたら、がんばれ、負けるなって、そう言われているような気がした。だから頑張れた」
遥の音だったんだと、啓大くん。ぼくは気恥ずかしくなって、笑ってごまかした。
「ありがとう。ぼくも啓大くんには何度も勇気づけられたよ」
「おれに?」
「一人で自主練をしているのを見て、いつか彼の努力が報われますようにって、ずっと思ってたんだ。啓大くんを見ながら、ぼく自身も努力するきっかけができた」
ずっと嫌だったけれど、音大を受験する覚悟もできた。それは敢えて言わなかった。啓大くんは静かに笑って、赤碕が持ってきてくれた豚汁を啜った。
「うま」
ぼそりと啓大くんが呟く。ぼくも啜った。
「ほんとだ、おいしい」
とても優しい味だ。ぼくと啓大くんがそれを食べている最中、除夜の鐘が鳴り始めた。もうすぐ今年も終わる。新年がやってくる。ぼくは食べるのをやめて、その音に耳を澄ませた。
最後の音が徐々にデクレッシェンドしていく。耳では捉えられないほど小さくなった。
「明けましておめでとう」
啓大くんがぽつりと言った。
「あ、ぼくも。明けましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
ぼくと啓大くんの言葉はほぼ同時だった。タイミングが同じだったことがおかしくて、ぼくは笑った。啓大くんも笑っている。少しして、向かいのテーブルで豚汁を食べていた赤碕と奥原が、こちらのテーブルにやってきた。
「明けましておめでとう。今年もよろしく」
二人の柄ではないように思えたが、ぼくは二人に向けて頭を下げた。
「こちらこそ。今年もよろしくお願いします」
啓大くんが言う。
「本年が良い年でありますように」
奥原と赤碕が笑った。
「大学行っても遊ぼうな、丸」
啓大くんが頷く。
「何気にあんまり離れてないから、時間帯さえ合えば遊べる」
「じゃあ俺も便乗しよう」
赤碕が言った。赤碕はちらりとぼくに視線を向けた。
「綾羅木は? どこに進学するん?」
どきりとした。まだ誰にも言っていないからだ。
「え、えっと‥‥。まだ、はっきり決めてなくて」
「まだ?!」
三人のまったく異なる音がハーモニーを奏でた。ぼくは気まずかったが、素直に頷いた。
「まあ、一月下旬まで猶予があるっちゃあるけど」
奥原がやや呆れたような声色で言った。
「県内じゃない可能性もあるってことよな。もし音大とか行くんだったら、広島に音大があるって聞いたことがあるし」
「広島かあ。でもたまには戻ってこられる距離だな」
うんうんと頷きながら赤碕が言う。
「まだそうだとは決まってないだろ」
啓大くんが冷静に突っ込んだ。赤碕は啓大くんの頭をぐりぐりと撫でた後、少しつまらなそうにつぶやいた。
「だって綾羅木がおるとおらんのとじゃ、丸が喋る量が違うっつーかさあ」
「あ、それ俺も思った」
奥原が言った。
「だろ? ほら、女房のヒナも言ってんだから、認めろよ丸!」
赤碕が啓大くんに後ろから抱き着いた。啓大くんは迷惑そうな顔をしたが、それ以上構わないとでも言いたげに豚汁を食べ始める。もぐもぐと咀嚼をした後、ちらりと奥原のほうを見た。
「おまえらがうるさいからそう思うだけ」
「うるさいってさー、ヒナ」
「いやいや、優ちゃんには負けますよ」
「遥はちゃんとおれの話を聞いてくれるし」
ぼそりと啓大くんが言った。奥原と赤碕は「俺らも聞いてるだろ」と啓大くんをいじりまくる。鬱陶しそうに眉を顰めながらも、啓大くんは豚汁を完食した。
「すげえな、その食に対する執着」
「なのになんで大きくならんかったん?」
ぽんぽんと啓大くんの頭を撫でながら、赤碕。啓大くんは豚汁が入っていた容器を置くと、すっくと立ち上がった。
「怒った?」
「おみくじ引きに行く」
何食わぬ顔で啓大くんが言う。赤碕は若干ホッとしたような顔をして、ぼくを見た。
「掴みどころがないけど、丸を末永くよろしくな」
言って、ぼくの背を叩いた。ぼくは頷くだけしかできなかった。
こうやってみんなと騒げたのは、一生の思い出になるだろう。まさか弟子丸くんを啓大くんと呼ぶ日が来るとは思わなかったし、こんなふうに遊びに行けるとも思わなかった。
でも、ぼくはもうすぐ、この輪を裏切ってしまう。それが辛くて、涙が出そうだった。
「遥、早く」
啓大くんが呼んだ。ぼくは欠伸を堪えたふりをして、啓大くんに呼ばれた方に急いだ。
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イイネ
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