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第8話 春樹

おかしい… 抱きしめられたいという下野の希望が、ルールに追加されたはずだ。 それに、昨日の夜、寝る時は春樹が下野を抱きしめていたはず。それなのに、今は春樹が下野に抱きしめられている。 いつの間に逆転したんだろうか。 「春ちゃん?狸寝入りはよくないぞ」 春樹を抱きしめている身体が小刻みに揺れていた。下野が声を殺して笑っているのがわかる。 「おはよう」と言い合うが、ベッドの中の体勢は崩さず。まだ抱きしめられている。 「あのな、いつの間に逆転したんだろうって考えてたんだ。確か、俺がお前を抱きしめて寝たはずなんだ」 ベッドの中でも下野の顔を見上げて喋る。 「春ちゃんが起きた時、寝ぼけてまたびっくりして、ベッドに立ち上がらないようにっておさえてるんだよ?」 下野はチュッと春樹の頭にキスをしてる。親切そうに言うが、本当だろうか。でも、二人のルールには『嘘は言わない』とあるから、嘘じゃないんだろうけど。 「寛人?なーんか変なんだよな…」 「まっ、いいじゃん。今何時かな、腹減ったろ?ご飯?」 「賛成!」 ベッドから二人で飛び起きてキッチンに向かった。しかし、キッチンに向かうが春樹には何も手伝うことは出来なかった。 「なぁ…俺が手伝うことないか?皿洗いだって食洗機がやってくれるし。朝ごはんは、なに作る?お湯沸かす?」 「いいよ、春ちゃんはそこに座ってて」 「お前、いっつもそう言う…じゃあ、またお皿の指示を出してくれ」 お湯を沸かすのもダメ、包丁を使うことは許されない。唯一やっていいと言われてることは食洗機に皿を入れる事と、出来上がった料理をのせる皿を準備することだけ。 だから仕方がないので、春樹は料理を作る下野の周りをウロチョロしているだけになっている。 「春ちゃん、昨日は夜遅くまで話しちゃったけど、眠くないか?」 「うーん…眠くないけど、食べたら眠くなるかな。どうだろな」 昨日は今までのこと、仕事のこと、たくさん二人で話をした。だから寝たのは明け方だった。 部長の鶴の一声で始まったペアの営業活動を、面倒くさいと言って悪かったと下野に謝られた。 だから、子供がいる顔をしてると文句言ってすまなかったと、春樹も謝った。 ちゃんとルール通り『ごめんね』と言い合えた。 子供がいるような顔をしている!とは、美桜が下野に振られたと言いながら、そうやって暴言を吐いていたのを、春樹が聞き、そのまま下野に伝えたことだった。 そう素直に言ったら、下野は「ウケる」と言い、爆笑して笑いが止まらなかった。 「ひでぇな、独身なのに子供がいる顔なんて言って。めちゃくちゃウケる。でも、自分でもそれはちょっとわかる」 「うん、ごめん。美桜もあの時、怒ってたから…でも、貫禄があるってことなんじゃないかな。子供がいるように見えるって」 「春ちゃん、全く褒めてないからね」 フォローにもならないと、また下野は爆笑していた。 今日の朝ごはんはスクランブルエッグにベーコン、それと、サンドウィッチ。いっぱい食べる春樹には、特別にサンドウィッチをダブルで作ってくれた。ベーコンの枚数も数えたら下野より多い。 春樹は美味しくペロリと平らげた。そして、食べたらやっぱり眠くなってしまった。 「春ちゃん、昼寝しようぜ。俺のことまた抱きしめてくれる?」 うとうとしていたら、下野にベッドまで連れられた。 二人でドタッとベッドに転がり込む。抱きしめて欲しいというくせに、下野が春樹を抱きしめている。ほら、やっぱりなんか変なんだよなぁと思うも、眠気が強くて聞くことが出来ない。 「寛人?」 「ん?」 「今日は日曜日だろ?俺さ、日曜日嫌い」 「何でっ!」 眠くてうとうとしながら、それだけを言った。下野は大きな声をあげて、身体をガバッと半分起き上げている。 「何で?春ちゃん、日曜日って…今日、嫌いなのか?今、嫌なことあるのか?」 「う…ん。日曜日はさ、夜になったらここから帰らないといけないだろ?だから嫌いになった」 友達はいない。だから、下野と過ごすと初めてのことばかりで楽しい。こんな楽しい時間が終わってしまうのが嫌だ。春樹はそう思っていた。 社会人になってから、こんなことを経験するのは遅いのかもしれない。だけど、今まで知らなかったのだ。そりゃ仕方がない。 先週の日曜日の夜、下野の家から自宅に帰りひとりで部屋に戻った時、ものすごくつまらなかった。楽しい時間から急につまらなくなり、落差が激しすぎると感じた。 眠い頭の中で考えていたことを、ぼそぼそと下野に伝えていたら、ギュッと強く抱きしめられた。 「寛人、暑い…」 ぐいーっと下野の身体を両手で引き離した。 「あっ、ごめんな。昼寝しような」 引き離したのに、また腕の中に戻されたような気がした。 何度も頭にキスをされたような気もした。でも、眠くてよくわからなくなった。

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