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第14話 春樹

社会人になって、初めて仕事が楽しく、日々が忙しいと感じ始めていた。 それは、下野の影響がとても大きい。 二人一組になって『マシュマロ』の売り上げを競う営業活動は、下野とペアになり行った。その結果、部の中で下野と春樹のペアが一位であると、部長が教えてくれた。 「明日、部内で結果発表するんだって部長が言ってた。こんなに売り上げられたのも、寛人のおかげだな。交渉とか間近で見て勉強になったけど、俺はあんな風に出来るかって不安もある…それに、寛人には色々と迷惑もかけたとわかってるんだ…」 下野は営業部の中でも最も成績優秀の男で、現在も成績ナンバーワン独走中だ。 そんな日々忙しい人が、自分と一緒に活動してくれたのは嬉しく、楽しかったけど、ちょっと申し訳ない気持ちもあった。自分の倍は忙しいだろうと思うからだ。 「あはははは、春ちゃんらしくないな。マシュマロ一位なのに嬉しくないのか?」 シュンとした声が伝わったのか、電話口で下野が爆笑している。今日も毎日の日課である電話をしている。 「う、う、嬉しいぞ!嬉しいけど…なんていうか、やっぱり俺には営業は難しい。他の部署でも活躍なんて難しいだろうけど」 「春ちゃんは、提案とか人のニーズに合うものを見つけるのが上手だな。それはこの前も言ったろ?分析が得意なのかもしれないけど、もしかしたらマーケティング部とかで、商品企画に携わるのも向いてるのかもよ?」 「マーケティング部…?」 自分に向いてる仕事があるなんて、考えたことなかった。それに自分が希望する部署に行けることなんてあるのだろうか。 そう下野に言うと、自分の将来的なビジョンは大事だから考えて、希望すれば声に出して会社に言ったほうがいいと言われる。 「そうか。寛人はさすがだな。俺はお前と同期なのに本当にポンコツだ。だけど今回の企画があったから、俺は今、仕事が楽しい。毎日が忙しいって思えて会社に行くことが出来ている。本当に感謝してる」 「あははは、よかったな。何かあれば言えよ?俺でよかったら相談にのるぜ?」 ペア活動も終了となる。下野と週末共にしていた日々も終了となるのだろう。 「あ…うん。ありがとう。そうだ、寛人のところに、俺の服を取りに行かないとな」 下野の家に置いてある春樹の部屋着を引き取りに行かなくてはいけない。この後、下野の家に遊びに行けなくなるのが、ものすごく寂しいと春樹は感じている。ここ最近はひとりになるとそればかり考えていた。 「えっ、何で?今週来ないの?あっ、明日は取引先と夜に飲みに行くことになってるから、土曜日の朝に来いよ。朝ごはんから作ってあげるよ。春ちゃん何食べたい?」 「いいの?ペア活動が終了しても、寛人の家に行ってもいいの?」 「何でダメなんだよ!これはプライベートだろ?ペア活動関係ないじゃん。今まで通りに来いよ」 よかった。 嬉しい。 すっごく嬉しい。 会社とは関係なくこれからも下野の家に遊びに行けるとわかり、春樹は電話を手にしたままピョンっと飛び上がってしまった。 これから下野と遊べなくなるのは寂しいとずっと考えていた。そんな寂しい思いはしなくてよくなったとは、気分は晴れ晴れ、急上昇であり、嬉しくて叫びたいくらいだ。やったぁ!って。 「本当かっ!わかった!じゃあ、土曜日の朝に行くからな。何か必要なものあれば買って行くから連絡くれ」 春樹の気分はウキウキとし始めた。土曜日の約束も出来て、気分良く下野との電話を切った。 気分が良いまま、自宅のリビングに行くと美桜(みお)と母がいた。春樹を見つけ声をかけられる。 「春!明日の金曜日も外泊するの?最近ずっと週末は帰ってこないじゃない」 母に手招きされ、リビングのソファに座った早々に言われる。あー…っと、内心ため息をついた。 このタイミングは苦手なやつだ。 「毎週毎週、出張じゃないよね?最近さ、下野さんとずっと一緒にいるって聞いたけど、まさか…下野さんのところに遊びに行ってるの?」 美桜のネットワークは広いから何となくわかっているんだと思う。母と美桜の二人から問われて春樹は、何故か冷や汗が出る思いをしていた。 「う…ん、営業部でペア活動ってやつがあってさ…俺が営業部で最下位だから、下野に面倒見てもらってたんだ」 素直に伝えると、美桜は眉間にシワを寄せている。 「私を振った男と仲良くしてんだ?最悪…あの男、なんなの?春、仲良くしなくていいよ、あんな男!」 「い、い、いや、美桜。下野は凄いんだ。営業成績も一位だし…仕事は早くて確実だから近くで見せてもらって勉強になってる。だから、下野に色々教えてもらってるんだ」 「それが理由で毎週末に外泊してんの?」 「う、う…ん…まぁ」 何も悪いことはしていない。だけど、言いたくない。美桜には知られたくないと、咄嗟に隠してしまう気持ちが起きるが、隠し事は出来ず、週末は下野と一緒にいるのを認める形になってしまった。 「春、そろそろそんな会社辞めて、お父様の会社に入りなさい。営業部で最下位なんて…あなたに向いてないのよ」 母が有無も言わさずに話し始める。 いつもそうだ。春樹の意見はほぼ通らない。学生時代からずっとそう。 だから、就職だけは自分の希望の会社に行きたかった。正面から堂々と就職活動をして入ることが出来た時は嬉しかった。 それなのに、美桜は父のコネで同じ会社に入社してきた。となれば、双子の二人だ、共にコネ入社だと思われるのは当然だった。周りはそういう目で見ているのは知っている。 「で、でも!俺はこの会社でやりたいことがある。マ、マーケティング部に入り挑戦したいんだ。やりがいが出てきたんだ」 「えーっ、マーケティング部?地味…あの部署なんて地味な人ばっかりじゃない。何?それもあの男の入れ知恵なの?何よ!あの男、ほんっとに目障り!」 ソファに座り足を組み替えて『ふんっ』と言いながら美桜は怒っていた。 下野に振られたことが気に入らないようだ。美桜はお嬢様育ちでいつもモテている。振られたことがないから余計に腹が立つようだ。 「入れ知恵じゃない!下野からはアドバイスを貰ってる。だ、だ、だから!週末もまた、下野に指導してもらいに行ってくる!別に子供じゃないし、外泊なんて別にいいだろ!個人の自由だ」 母と美桜に言い捨てて、春樹はリビングから出ていった。 最近、二人の前では上手く話が出来なくなっている。恐縮するというか、縮こまるというか。美桜とは仲が良く、何でも話をする間だが、下野のことは言えないでいる。 自室に籠り、スマホを手に取り、以前の下野とのメッセージのやり取りを見直す。それでやっと気持ちが落ち着いてきた。現実逃避なのかも知れない。だけど今は、下野とのメッセージに救われている。 読み返しているうちに、下野から新しいメッセージが入ってきた。 『春ちゃん、土曜日の朝ごはんはマシュマロトーストにしようか』という下野からのメッセージだ。 春樹はそのメッセージに『ありがとう!この前食べたマシュマロトースト美味しかった。また食べたいと思ってたんだ。だから嬉しい』と返信をする。 さっきまで電話で喋っていたけど、今はメッセージのラリーが始まりそうだ。春樹は下野からのメッセージに、クスッと笑った。 このまま、誰にも下野との関係を邪魔されずにいたいと願ってしまう。

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