15 / 63

第15話 下野

『おはよう』っと、返信をする。 昨日は取引先の人に遅くまで付き合った。 だから春樹にかける夜の電話は控えた。本当は、何度も電話をかけようかと迷っていたけど、翌日の土曜日に会えるからと自分に言い聞かせて、春樹に電話をかけるのを我慢していた。 今日は土曜日。 春樹は何時に来るのだろう。 朝ごはんを作ると約束したし、早く来てくれると思うがソワソワしてしまう。 駅まで迎えに行くつもりだが、途中で連絡はくれるのだろうか。それに、洗濯やら掃除やらやることは沢山ある。早くやらなくちゃと気が焦り、悶々と家事をやってる途中で、ピンポーンと鳴った。 「春ちゃん!駅まで迎えに行くつもりだったのに!迷わなかったか?」 慌ててドアを開けると春樹がニコニコとしながら立っていた。私服の春樹を見て、何故か胸をギュッと鷲掴みされた気がした。 「何で迷う。いつも来てるから迷うわけないだろ?それにここは駅から近いし…あっ、これ持ってきたぞ。寛人がこの前食べたいって言ってたやつ」 「おおっ!覚えてたのかっ!」 ふふふと笑いながら春樹に手渡しされたのは、うどんつゆの元だった。二人でTVを見てた時に紹介されていて下野が『食べたい』と呟いたのを春樹は覚えていたらしい。 「これ、関西の味なんだろ?うちの近くで関西フェアやってたから売ってたんだ」 「昼にこれでうどん作ろっか。関西のうどんは出汁が美味いんだよ。これインスタントだけど美味いんだぜ」 「うわっ!楽しみ…俺、関西のうどんって食べたことないんだ。そういえば、寛人って関西出身なんだな」 「うん、そう。こっちの生活が忙しいからあんまり帰ってないけど。食事はたまに関西を思い出すんだよなぁ。うどんは関西の方が好きかもな、俺は」 春樹を部屋に招き入れ、途中だった家事を再開する。洗濯物を干したら、朝食作るから、それまで待っててなと、春樹に声をかけた。 「俺も手伝う。洗濯物を干すんだな」 ベランダに春樹が降りてきて、下野の洗濯物を広げている。洗われて濡れている下野のTシャツや下着を、春樹の手によって干している所を見ると、下半身がズクンと疼いてしまった。 最近おかしい… どうかしてしまったのか。 このまま春樹の行動を見ていたら完全に勃起してしまうと、下野は焦った。勃起する理由は、Tシャツや下着の上から春樹に触られるのを想像してしまったからだ。 「洗濯は好きだ。楽しいよな」 不埒なことを考えている時、春樹に洗濯が好きだと言われハッとする。 ひらひらと揺れる洗濯物と、春樹の手が目に入るとバツが悪くなる。真昼間から、いやらしいことを思い出しているからだ。そんなことを考えてるなんて、春樹にはバレていないだろうか。 「春ちゃん…もう大丈夫だよ、ありがとう。朝ごはん作るね」 サッサと切り上げてキッチンに向かう。キッチンでも春樹は隣にピッタリとくっつき、あれこれ話しかけてきている。昨日、話ができなかった分、色々あるのだろう。 「…でな、寛人に言われたことを、考えたんだ。俺さ、挑戦してみようかと思うんだ。マーケティング部に行きたいですって、言ってみようかなって思ってる」 「春ちゃんが望むならいいと思うけど、俺が言ったからやってみるってことだと違うぞ。その辺は大丈夫か?」 「寛人に言われたのはきっかけだ。あれからマーケティング部とは何かって調べて、少しわかった。尚更、興味が出てきた」 「そうか、それならいいんじゃないか?春ちゃんは情報収集と分析は得意だろ?得意だし、的確でありスピードもある。この前のマシュマロの時にそう感じた。あれを武器にした方がいいと俺も思う。だけどなぁ…マーケティング部だと営業部とやり合うぞ?俺とやり合うことになるかもよ?」 マーケティングは会社の商品を販売しやすくするのが仕事である。営業はその商品を売り込むことが仕事だ。一見チームワークがありそうだが、お互いの部署に口出しするようなことが増えるため、反発し合うことが出てくる。 「それは仕事だから仕方ないだろ。どっちも譲れない仕事だったら、やり合うのも当然だ。だけど…」 だけど…と言い、春樹はうつむいていた。仕事にやる気が出ていたのに、急にトーンダウンしている。 「だけど?何?」 朝ごはんを食べ終えて、二人で食器をキッチンに持っていく。食洗機に入れて、ピッとスイッチを押すのは春樹の仕事だ。 ピッと音が鳴り、春樹が振り向き真っ直ぐ下野を見つめてきた。 「部署が変わって、もし、やり合うことになったら…もう、こうやって寛人と遊べなくなるのか?」 「そんなことない!これはプライベートだろ?この前も言ったよな?部署が変わったって、仕事でやり合ったって毎週ここに来ればいいよ。俺は春ちゃんが毎週来てくれて、俺が作るご飯をいっぱい食べてくれるのを望むよ。ほら、ルールにもあるだろ?我慢できないことは伝え合うって。俺、今、春ちゃんと会えなくなったら我慢できなくなるよ?嘘はつかないよ」 春樹の肩に手を置き、必死になって言ってしまった。その間、ジッと春樹は下野を見ていた。 「…よかった。俺も毎週ここに来るのが楽しみなんだ。寛人といっぱい話をするのが好きだ。それに寛人のご飯も大好きだ。いつもありがとう、寛人」 へへへと、はにかむように笑う春樹を思わず引き寄せ抱きしめてしまった。ベッド以外で抱きしめるのは初めてだ。 「な、なんだよ…急にそんな話して。よし!じゃあ、先週の続きを見ようぜ」 春樹の髪にチュッとキスをして、抱きしめる手を緩めた。急に抱きしめてしまったから、変な空気にならないよう、不自然にならないように、努めて明るく振る舞った。 二人が最近ハマっている海外ドラマの続きを見る。朝早かったから、ウトウトしてきたら春樹をベッドに連れて行くのも、下野の日常になっていた。 それと二人で買い物に行くのも日常になりつつある。今日の夕方も買い物に二人で出かけた。 目的地は近所にあるいつものスーパーだが、スーパーからの帰り道の途中に、新しい店ができているのを発見した。 「へぇ…こんな所に新しい店が出来たんだな。イタリアンかぁ…」 バルのような店だ。店の名前は『バーシャミ』という。イタリア語だろうか。 チラホラと客が入っている。 「イタリアンだな。ううっ…美味しそうな匂いがする。ピザ食べたいなぁ」 「春ちゃん、夜ご飯はここにする?今日買った物は、明日の朝と昼に回せばいいし」 賛成!賛成!と、二人のルールにあるいつもの言葉を使いながら店に入った。

ともだちにシェアしよう!