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第17話 下野

月曜日、会社に出勤して早々、部長に呼ばれた。簡易的なコミュニティスペースではなく、厳重な会議室の方だ。何だか嫌な予感がした。 会議室には部長と下野だけ。 他には誰もいない。 「…あのな、俺も困ってるんだけど。上からの命令っつうか…」 「何ですか?嫌な予感はしてますけど」 部長が言いづらそうにしているから、少し空気を和ませてみた。 「内示だ。再来週からスーパー店舗の店長としての異動だ。黒目ヒルズ店の店長としてこれから活躍して欲しい」 「はあっ?俺?何で俺なんですか」 営業部のトップ、営業成績一位独走中の男に、会社が経営しているスーパー店舗への異動とは、理由がわからない。 「俺だって知りたいよっ!なぁ、お前何かやったか?急に下野を店舗の店長にって話されたんだよ。人事に俺の意見は丸無視されるし。お前が営業部からいなくなって困るのは俺だし、みんなもそうだろ?めっちゃくちゃ困る!何なんだよもう…」 部長が軽くパニックになっている。しかし、心当たりは無い。営業先との関係も良好だし、女に手を出したりして問題になることもない。不思議だ。 「それにな…佐藤いるだろ?佐藤春樹。あいつもマーケティング部に異動って話が出た。佐藤は、まぁ…いいよ?うん。だけど、なぁ…下野は困る。だから!お前、何かやったか?多分、これは佐藤絡みだ」 「はあ?佐藤絡みって…佐藤春樹?この前ペア活動しましたけど。関係は至って良好ですよ。揉めることもありません」 部長は春樹が下野の異動に絡んでいると言う。その意味は全くわからない。 「下野…お前も知ってるだろ?佐藤はコネ入社だ。多分、上からの圧力は佐藤の家からの圧力だと思う。あいつの家も大きいからな。うちの会社はなぁ〜、コネの奴らが多いだろ?そいつらの家が口出ししてくるのか、人事総務が問題やら噂やらを聞きつけるとビビるのか、異動させて何とかしようとするところがあるんだよなぁ。うあああああ、俺、どうしよう。お前いなくなったら、マジでヤバいかも」 「部長、佐藤はコネ入社じゃないですよ。正面切って、普通に試験突破して入社してるんですから。コネなんて言わないで下さいよ」 下野が眉間に皺を寄せて、嫌な顔をしているの見た部長は、ハッとした顔をしていた。 「まぁ、そうだよな。コネなんて噂だし、本当のところはわかんないから、適当に言って悪かった。でもな、人事がおかしいのは本当だ。お前のことはこの後働きかけするから!」 「つっても、異動は変わらんでしょ。再来週からなんですね、了解。俺の取引先の引き継ぎどうします?海斗にしましょうか」 「お前っ!なんでそんなドライなんだっ!ああ…俺がペア活動でお前と佐藤を組み合わせしたのが悪かったのかな…」 「いや〜あれは組み合わせしてくれてよかったですよ。マジで」 本当にそう思っている。 あれがなかったら春樹とは知り合えなかったからだ。そう思えば異動なんて、どうってことない。 「この後、佐藤に内示するんだ。憂鬱…」 と、部長は呟いていた。 その日の夜、春樹から連絡があった。メッセージには『今から電話していいか』と書いてある。下野はそのメッセージを見てすぐに電話をかけた。 「もしもし?寛人?」 開口一番で、春樹は名前を呼んでくれた。 「春ちゃん、おかえり。今日は外回りだったんだな。社内ではあんまり会えなかったもんな」 「あのな!寛人!内示された。再来週からマーケティング部に異動って部長から言われたんだ。この前、部長にマーケティング部に行きたい、興味があるってメールをしたばっかりだったのに、こんなに早く異動になるなんて驚いてる」 春樹は、内示を受け興奮しているようだった。つい最近、マーケティング部に異動したいと気持ちが固まり、部長にも相談した結果、早く決まり嬉しいようだ。 「よかったな!春ちゃん!マーケティング部は、本領発揮出来ると思うぞ?春ちゃんの真面目な性格だと上手くいくはずだ。俺は応援してるからな」 「ありがとう!だけどな、これで本当に寛人といつか仕事で、ぶつかり合うことが出てきてしまうかもしれない。そう思うとちょっとだけ不安になる」 異動は嬉しいが、下野と離れ、意見がぶつかるのは不安だとブツブツ言っている。 「あーっ…そのことなんだけどな。あのな、俺も異動なんだよ。黒目ヒルズ店ってうちの近くのスーパーあるだろ?いつも春ちゃんと買い物に行く所。あそこの店舗の店長として異動なんだ。だから、春ちゃんと仕事でぶつかることは無いよ」 下野が内示されたことも伝えると、春樹は「…えっ」と言い絶句していた。 「春ちゃん?聞いてる?」 「…おかしい。なんでだ?異動希望なんて出してないだろ?それなのに何で寛人が異動なんだ?お前は営業部に必要な人間だ。急に店舗に異動なんておかしい!」 「仕方ないだろ?まぁ、営業部も長く配属されてたし。時期が来たんだと思うよ。スーパー店舗に異動だってありえる話だし」 部長から聞いた噂は伝えるわけにはいかない。あくまでも噂だ。春樹は関係ない。 「違う…そんなことない。何か変だ。そう思うと俺の異動も急すぎる。明日、部長に確認する!俺の異動も寛人の異動も、何か変なことに巻き込まれてたら撤回してもらう!こんなのおかしい!」 「春ちゃん!」 電話口で興奮する春樹に、少し大きな声で呼び止めてしまった。 「ごめん、大きな声出したな。でもな、春ちゃん、異動は会社が決めたことだ。俺たちは従う必要もある。それに、春ちゃんのマーケティング部に行くのはチャンスだ。こんなチャンスを無駄にしちゃいけない。春ちゃんは自分のこれからを考えろよ?」 「じゃあ、寛人は?寛人はどうなる?」 「俺?俺だってこの後のことは考えるさ。それに遠くに離れるわけじゃないから、週末はいつものように会えるだろ?店長は土日休みなんだってよ。だから、プライベートは変わらないよ?春ちゃん」 だけど…だけど…と、春樹はその後も電話口で呟いていた。

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