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第23話 下野
こうなるとはわかっていた。
あれから春樹とはギクシャクとしている。
会社には退職を伝えた。
伝えた翌日から、営業部長から総務部長までが、ひっきりなしにスーパーに訪れ、何とか会社に残るようにと、何度も何度も説得をされた。
昇進や今よりいい待遇をちらつかされたり、スーパーに異動となったことについては、判断ミスだったと謝罪もされた。
だけどもう決めてることだしと、伝えている。会社には育ててもらった、嫌な思いをして辞めることではない、感謝しかない。やりたい事をするために辞めるんだということも、伝えた。そう何度も伝えて納得してもらった。
明後日、この部屋を引き払って関西に引っ越しとなる。今日春樹は、下野の部屋で自分の荷物をまとめていた。
退職の話をした翌日、春樹は朝早くに帰って行った。それ以来なので、会うのは久しぶりだった。
「春ちゃん?俺さ、まだ諦めてないよ?とりあえず、あっちで会社を立ち上がるけど、絶対に東京に戻ってくるから、待っててくれよ?何とか軌道に乗せるからさ、そしたら一緒に働くかなぁって、」
軽く話をふる。あまり重くならないようにしている。毎日の『おはよう』『おやすみ』のメッセージはしているが、電話は忙しいからと拒否されていた。
「約束はしない。そんな約束出来ないよ。俺だって今の仕事を中途半端で辞めるわけにはいかないし…それより、寛人の実家は大丈夫なのか?そっちが心配だろ?」
久しぶりに春樹がこっちを向いて話をしてくれている。やっと目が合った。どんな形でも目が合うのは嬉しい。
「大丈夫だよ。ありがとうな、心配してくれて」
実家とはいうものの、家族とは縁遠い。
親戚、家族で老舗料亭を経営しているが、下野だけは東京で、料亭とは関係ない会社で働いていた。
家族の中では、下野だけ血が繋がっていない養子だ。それでも虐められたりする訳ではない。子供の頃は可愛がられていたし、大人になった今では、たまに会ったりしている。父も母も弟も、下野とは仲が悪いわけではない。
大人になり、親戚や家族と何となく距離が出来てきていただけだ。ただ、料亭の経営が傾いたこんな時に頼ってくるのはなぁとは、思っている。
「春ちゃん!今日と明日はいっぱいご飯作るよ!何が食べたい?今日は泊まっていってくれよ?なっ?」
「…そうだな。うん!わかった、そうだよな。何がいいかな…うどんも食べたいし、寛人の作るハンバーグも食べたいし…」
「後はパンケーキだろ?」
「やった!嬉しい!」
よかった。
今日は泊まっていってくれるようだ。吹っ切れたように春樹は笑ってくれている。
「よし!じゃあ、ご飯?」
「賛成!」
荷造りは後回しにして、キッチンに二人で向かった。
あれもこれもと沢山作っても、春樹はペロリと平らげてくれる。そういえば、美味しそうに食べる春樹の姿に釘付けになり、そこから好きが加速していったんだっけなと、下野は思いながら見つめていた。
家族と縁遠い関係だから、食事を共にする人が下野にはいなかった。思えば小さい頃からずっとそう。何でもひとりでやっていた。
女の子と付き合っても、下野本人が料理を作ることはしなかった。だから、手料理を振る舞ったのは、春樹が初めての相手だ。
嬉しかった。
美味しいと言いながら、いっぱい食べてくれる春樹に魅かれていた。
「…ふぅ。お腹いっぱいになった。寛人のご飯は本当にどれも美味しい。ハンバーグは最高だった」
「もう大丈夫か?まだ作れるぞ?明日の朝は何にしようか。あっ!春ちゃんの好きなオムレツ作ろうか」
「オムレツ!寛人のオムレツ大好きだ」
「よし!じゃあ、明日の朝は和食と洋食の両方作るからな!いっぱい食べる春ちゃんを、俺に見せてくれ」
明日は最後になるだろう。いつか戻ってくると伝えているが、今の状態ではいつになるかわからない。このまま春樹と会えなくなってしまうのかもしれない。自分の決めたことだが、寂しくて辛くてたまらない。
春樹がピッと食洗機のボタンを押してくれた。この動作も慣れていて、よく見慣れたことだった。
「んっ」と言い、春樹がビールを飲んでいた下野に手を出していた。
「ありがとう」と言い、春樹の手を握る。
このまま時間が止まればいいと、本気で願ってしまう。
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