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第25話 下野

『おはよう』『おやすみ』の連絡は無くなった。毎日の電話も同じく、無くなった。 下野から連絡を送っていたが『俺のことは気にせず、そっちで頑張れ。メッセージはもう送ってこなくていい』と、春樹からメッセージがあった。 それでも、懲りずに毎月1日に連絡をしている。一年間は12ヶ月。30日、31日と月末の日は、まちまちであるが、毎月一番最初の日は、1日と決まっている。 誰にでも必ず1日は来る。 だから、勝手に毎月1日に下野は春樹にメッセージを送り続けていた。 『寒くなってきた』 『雨が多いな』 たまに…『元気でいるか?』など、たわいもない事を送る。 春樹から返信は来ない。 だけど、必ず既読にはなる。 それだけでも、繋がっていると感じられるので、いいかと思っている。 だけど、こんな一方的な連絡がもう何年にもなる。 たまに、心が折れそうになる時もある。 「下野さん」 「おっ!海斗(かいと)!久しぶりだな」 大阪の繁華街の中にあるコンビニの前で、野村海斗に会う。コンビニの横にある自動販売機でコーヒーを買い、海斗に渡した。 コンビニの横に自動販売機があるのも何だか笑えるなと、どうでもいい話をする。 深夜だから、酔っぱらいも多く歩くこの繁華街で、昔の会社の後輩に会うのも何だか感傷深い。 「元気?って、元気そうですね。下野さんいつ東京に戻ってくるんですか?」 「東京ねぇ…お前のその企画次第だな」 「企画なんて関係なく、もうすぐ東京に戻ってくるつもりでしょ?俺、知ってるんだからね」 関西で新しい事業をスタートさせた。世界的なパンデミックにより、経営していたレストランが無くなった、もしくは、無くなりそうで困っているオーナーシェフたちを集めた事業である。 和食、フレンチ、イタリアンなど、高級レストランのシェフたちに参加してもらい、その店の味を惣菜として、下野の会社に提供してもらう。それを下野がオープンさせた店、デリカテッセンで販売をしていた。 時代に合っていたのか、大阪では大反響となり、思った以上に、そのデリカテッセンが流行っている。 高級レストランの味を食卓へというキャッチコピーで、関西ローカルTVに出て、デリカテッセンを紹介してもらっていた。 TVの影響もあり、下野は『デリカテッセンの王』と呼ばれ、関西ではちょっとした有名人となっている。 この事業のお陰で、実家の料亭も救うことができている。会社も少しづつ大きくなってきたところで、海斗から話があった。 海斗からはコラボした企画を提案された。海斗の会社とは、以前下野が勤務していた会社であり、関東で高級スーパーを展開している。 その高級スーパーで、下野のデリカテッセンを販売したい。高級レストランの味がスーパーで買える!というコラボ企画を海斗が考えてくれていた。 「部長にだけ話はしてあります。この後、実際にやり始めるように、具体的な話を会社にする予定です」 「そうか…わかった。うちはいつでも大丈夫だから、準備が整ったら連絡してくれ。打ち合わせがあれば、そっちの会社に行くよ」 「わかりました。でもさ、俺の企画以外にもっと大きな仕事を東京に来てやるんでしょ?銀座にも店出すんでしょ?俺、知ってるんだから」 「へぇ…耳が早いな」 最終的な目的は東京だ。 東京で事業を固める予定だ。 「海斗、最近どうだ?仕事頑張ってるか?今回、こっちには出張か?」 久しぶりに会った後輩を質問攻めにし、困らせる。 「そうです、出張です。明日の早朝、すぐ帰りますけどね。今回は、陸翔(りくと)のやり残した中途半端な仕事をまとめに来たんです。まぁ、上手くまとまりましたけど」 「そうか…陸翔は相変わらずのようだな。で、出張はお前ひとりか?」 「いえ、今回は春さんと一緒です。二人で来ました」 「春ちゃん?」 胸がドクンと波打つ。 春樹が大阪に来ていると海斗は言う。 「さっきまで春さんと二人で居酒屋でご飯食べてたんですよ。それで…そこ、ほら、そこのホテルに泊まってます」 そこと、海斗が指差す場所を見た。今、海斗と話をしているコンビニの、目の前にあるホテルだった。こんな近くに春樹がいるなら会いたいと、咄嗟に思ってしまう。 「…春ちゃん、元気?」 元気かと聞くだけなのに、声が上擦ってしまいそうになる。春ちゃんと、名を呼ぶだけでまた胸がドクンと音を立てている。 「元気ですよ。最近は、俺も春さんとやり合うこと無くなりました。やっと分かり合えてきたっていうか…春さんはマーケティング部でリーダーになったから、忙しそうです。新しい商品の企画とか、俺ら営業のフォローとして企業に提案にいく時、一緒に付き合ってくれたりしてて…今回もそうなんです」 マーケティング部で、春樹が活躍している話を聞く。間接的に近況が聞けて嬉しい。元気でいるんだとわかると少し安心した。 「そうか…よかった。春ちゃん、頑張ってるんだな」 「うん…頑張ってますよ」 春樹のことをもっと知りたいと思ってしまう。だから慌てて話題を変えた。 「そっか。じゃあ、お前は?海斗はどうなんだ。いよいよ覚悟を決めたか?」 かかかっと、わざと笑って海斗に話を振る。海斗は御曹司である。だから、いつか会社の後継者を目指せと、下野はいつも海斗に覚悟を決めろと伝えていた。 「また…下野さんはいつもそれ言うよね。っていうかさ、さっき春さんにもそれ、言われたからね。覚悟を決めていないのかって。もう…二人で同じこと言うんだから」 「春ちゃんが?そう言ってた?」 「言ってましたよ!俺だって、考えてますって」 そうか、春ちゃんも…と独り言になってしまった。春樹の話になると胸が詰まる。 だけど、春樹も覚えているんだ。下野との会話を忘れずに覚えていて、海斗に伝えているとわかると嬉しく感じる。自分のことを無かったことにされていない、下野とのあの頃を忘れていないと、言われているようだった。 「じゃあ…下野さん。すぐ連絡しますから。俺、この企画上手く通せるように頑張りますから」 「わかった。よろしくな、海斗」 そう言って、海斗をホテルに見送る。コンビニの反対側にあるホテルに海斗が入っていった。 このホテルに春樹がいるという。 連絡をしたら会ってくれるだろうかと、そんなことを考える。 でも今日はいつも春樹に連絡をしている1日ではない。連絡をする日ではない。 それに春樹から返信はここ数年、一度もない。急に会いたいなんて言ったら迷惑だろうか。嫌だと言われるのだろうか。 好きな人が近くにいるのに、連絡をすることも会うことも出来ずに二の足を踏んでいる。 下野はその場に立ち、ホテルを見上げた。足が動かず、ただ、目の前のホテルを見上げる。 明かりがついている部屋が見える。 ここから見えるどこかの部屋に春樹がいるかもしれない。 そう考えるとここから立ち去ることも出来ず、足が動かなくなってしまう。 会いたい。 春樹に会って話がしたい。 春ちゃん…と、何度も心の中で呼びかけてみた。呼んだら目の前に現れてくれるんじゃないかと、そんなことを考えていた。 しかし、映画やドラマじゃないんだからそんなことはない。連絡をしないと、人とは会えない。ましてやここは繁華街ど真ん中、こんな所で知り合いと偶然会うなんてことがあれば、かなりの奇跡だろう。 夜遅い大阪の繁華街。 人を見失うくらいの人の流れがある。 こんな夜は、記憶がなくなるくらい酒が飲みたいと、下野は思った。

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