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第26話 春樹

今週は、関西に出張に行ったり、新商品のミーティングを掛け持ちしたりしていたから、時間に余裕がなかった。朝早くから夜遅くまで、ずっと働いていた感じだ。 明日からは三連休となる。特に予定はないが、ゆっくり体を休めようと思っている。仕事は充実しているが、体力は結構限界かもしれない。 春樹は玄関ドアの前に置いてある箱を拾い上げた。宅配便が届いていたようだ。 宛先は自分だが、送り先を見るとネット通販の会社だとわかる。ネットでポチっと衝動買いしたようだが、何を買ったのか思い出せない。 カギを開けて家に入る。ひとり暮らしを始めてからもう数年経っている。 ひとり暮らしの計画を立てた時、何処に住もうかと考えたが、知ってる場所は自宅か下野の家だけだから、必然的に下野の住んでいた家の近くに引っ越しをした。 二人でよく行ったスーパーは、今はひとりで行っている。 掃除や洗濯を初めてやってみて、母さんは大変なんだなとわかり、今までいた実家の居心地の良さを再確認した。 料理は失敗ばかりで、今もまだうまく出来ない。下野のように何でもそつなくこなし、抜群に美味しくご飯も作れるなんて、みんな出来ることじゃないんだってわかった。 こんな甘い考えの自分が、今までのうのうと生活してこれたことを考えると、恥ずかしく思うことが多かった。 だけど、そんな恥ずかしい自分という現実を知ることが出来て、それが嬉しかったりもする。 下野と知り合わなかったら、今もまだ恥ずかしいあの頃と変わらなかったかもしれない。だから、何も出来なかった自分を知れたことは、幸せだと思う。 恥ずかしい自分を客観的に見ることができたから、考え、行動することが出来たと思っている。 そして、少しずつ下野に近づけるくらいの自分になりたいと春樹は思っていた。 部屋の電気を付けたと同時に携帯が鳴った。美桜からの着信だった。 「春?元気?」 「うわっ!美桜?久しぶり!」 元気な声が電話口から漏れている。双子の美桜とは定期的に連絡を取っているが、電話は久しぶりだった。美桜と話が出来るのは嬉しい。 「ママがさ、そろそろご飯食べに来ない?って言ってるけど、明日とか難しい?三連休でしょ、私は子供を連れて実家に帰る予定なんだ」 美桜は『下野に振られた!』と、泣いていた後、少しして新しい人と知り合い結婚した。 『男運が無い』と不貞腐れた美桜は、大食いチャレンジの店に行き、そこで知り合った人と意気投合し、結婚した。 美桜の結婚相手は、バリバリ仕事が出来て上昇志向といったタイプの人ではなく、コツコツ努力型の真面目な人だった。 初めてその相手と会った時、いつもの美桜のタイプとは違うなと春樹は驚いた。美桜のタイプは下野のような野心家だからだ。 だけどその相手の人は、優しく温和な人で、活発な美桜にはお似合いに感じた。 そして結婚が決まった美桜に告白されたこともあった。学生時代は春樹と仲良くなる人を、春樹から遠ざけるために付き合っていたことがあったという。 なんでそんなことをしたのかと聞くと「だって、春の一番の仲良しは私だから!春を取られたくない!」と言っていた。 そんなことしなくてもと、春樹が言うと「まあね、でも取られたくないのは本当」と、笑って言っていた。 美桜の喜怒哀楽の激しい性格に振り回されることもあるけど、なんだかんだいっても双子だし、春樹の中でも美桜は一番の仲良しだと思ってる。 お嬢様気質で、わがままだけどそんなところも美桜らしくて面白い。それに、春樹と違い行動力がある。それは羨ましいと小さい頃から思っていた。 結婚して丸くなった美桜は、子育てをしてますます頼もしくなっている。最近、双子を出産したので、ちょくちょく実家にも帰っている。だから春樹も、週末になると実家によく遊びに行っていた。 「明日か...うーん、どうしようかな。でも予定ないから行くよ!母さんにも連絡しとく。チビ達にも会いたいし…」 「OK!楽しみにしてる。めちゃくちゃいっぱいご飯作って待ってるからさ、久しぶりにいっぱい食べよう!春に会えるのは久しぶりだから嬉しい!」 「あははは、了解!楽しみだな。俺も美桜に会えるのは嬉しいよ。明日、また連絡するね」 元気な美桜と電話切ると、静かな部屋が戻っていた。テレビを見る気力もなく、今日この後は、風呂に入ってご飯を食べて寝るだけとなる。 風呂を入れ、体を伸ばしながら今週を振り返る。 今週は、関西に出張に行った。仕事が終わり同僚の海斗と夜ご飯を食べた後、ホテルに戻ったが、何だか落ち着かず、春樹はひとりで大阪の街を出歩いた。 この街に下野がいる。そう思うと、何だか居ても立っても居られない感じがしたからだった。全身の血が騒ぐ感じだった。 当てもなく歩くと、うどん屋があったからひとりでふらっと入ってみた。 下野の家に毎週通っていた頃、よく関西風のうどんを作ってくれていた。春樹が好きだというと、下野はいつも作ってくれていた。それを思い出したから、春樹はうどん屋に入ってみた。 関西のうどんは美味しい。ふらっと入った店で食べたうどんは、下野の作ってくれたうどんに似ていた。 あっという間にうどんを平らげて、ホテルに戻ろうとした時、ホテル前のコンビニで下野を見かけた。 下野がいる… 下野がいるコンビニは春樹がいる道の反対側にあった。 「あっ!」と、春樹は咄嗟に声を上げ、コンビニに向かい、信号を渡り走り出したが、場所は大阪の繁華街のため人の流れが多くすぐには近づけなかった。 「寛人!」と、声に出して呼んでみたが、多くの人の笑い声や雑踏音にかき消されてしまい、声は遠く届かない。 コンビニまですぐの距離なのに、運悪く横の店から出てきた団体客と遭遇して、前に進めず、足踏み状態が続いた。 人々の波を掻き分け目の前が開き、コンビニの前に行くともう下野の姿はなかった。 その後、無我夢中であちこち走り回って姿を探したが、知らない土地であり、土地勘が分からず見つけることは出来なかった。 とはいえ、あれは下野だと思い込んでいただけで、別人かもしれない。いや、別人だろう。あんなところで会うはずはない。 大阪は広いんだ。偶然ばったり、下野に会うことなんてあるわけはない。 春樹が勝手に思い込んでいただけだっただろうと、後から考えればそう思えるが、あの時は必死で探し回ってしまった。 風呂の中ではそんなことを思い出していたが、気分を切り替えて、風呂から出てコンビニの弁当を食べる。 味気ないコンビニ弁当だが、すぐに食べられるのは、ありがたい。食べ終わった春樹は、さっき玄関前に置いてあった宅急便の箱を思い出し、手元に引き寄せた。 何を買ったか忘れてるなんて、自分はダメな大人だなと苦笑いしながら箱を開けると、大人のおもちゃが入っていた。それを見てギョッと驚くも、心当たりがあり、ネット通販で買ったことを思い出した。 『ディルドは男性器が勃起している形をしています。初心者は、無理矢理挿入するのは避けましょう。挿入する時は、ローションなどで潤滑性を高めておくことが大切ですよ』 説明書には親切にそう書いてあった。 これは紛れもなく春樹が注文した物。ネット通販でポチッと購入したのもだった。 関西出張に行った夜、下野と思われる人を追いかけて見失ってしまった。その夜は、ホテルで寂しくて寂しくて、春樹は身を縮こませていた。 その夜がきっかけとなり、どうしても寂しい気持ちが収まらず、ネット検索し、偶然見つけたディルドとやらを購入していた。 下野と一緒に過ごしていたあの頃が忘れず、下野が恋しく、どうしようもなかったからだった。

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