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第37話 下野

さっきまで春樹と二人きりで会っていた。ほんの少しだったけど、手も繋いでいた。 リアルで会えたのに、随分前の出来事のような気がしてしまう。 下野はひとりで家に帰ってきてから放心状態であった。何も手がつかない。 仕事のメールを確認しようとするも、何となく上の空なので集中出来ず、着替えて風呂に入っても一瞬で出てきてしまう。 部屋の中、どこにいても春樹のことばかり考えている。 会いたい会いたいとずっと何年も思い、東京に戻り春樹に会うのを目標とし、仕事を頑張ってやってきた。 会社も順調に大きくし、中途半端なことはせず、やっと正面から堂々と春樹に会えた。 会えたら言うことは色々あり、考えていた。会社が軌道に乗ったから、一緒に働いて欲しいこと、昔のようにプライベートでは会って欲しいこと、それと『仲良くなるルール』を復活させて欲しいこと。 だけど、会えたら会えたで、緊張と嬉しさで舞い上がってしまった。どこまで伝えられたかはわからないほど、会話は覚えていない。 声は上擦り、気持ちは昂まり、目の前にいる好きな人を見つめるだけで精一杯になってしまった。 ずっと一緒にいたい。プライベートで会って欲しいというレベルではない。今も離さず一緒にいたいと思ってしまう。 もっとゆっくり話をして、昔みたいに笑い合って二人で時間をかけて過ごしたい。離れていた時のことを語り合いたい。もう離したくない。そう願ってしまう。 だけど、春樹は迷惑かもしれない。好きだ、離さないと言っても春樹にとっては寝耳に水であり、驚くだろう。そんなことはわかっている。少し冷静になる必要もあることもわかっている。 下野はぐるぐると部屋の中を歩き回り考えていた。 そして何をしていても、スマホから手が離せないで握りしめている。さっきシャワーを浴びた時も、スマホを濡らさないようにジップロックに入れていた。シャワー中に連絡がきても即対応できるようにだ。 春樹は大丈夫だったのだろうか。双子の赤ちゃんが熱を出していると言っていた。忙しいのはわかっているのに、連絡をくれと自分勝手なことを春樹に言ってしまった。 しかし、連絡をくれと伝え、約束した。メッセージが来るのはこのスマホだ。だから下野はスマホから手が離れないでいる。 春樹は連絡をくれるのだろうか。 しまった…やっぱり俺から連絡すると伝えておけばよかったかもしれないと、下野はスマホを握りしめ、また考える。 プライベートで、他人から連絡を必死になり待つなんてこと、中々ない。しかも、こんなに悩み、願って待つことは初めてだ。スマホから手が離れないし。 今日は忙しそうだから、連絡は無いのか。だったら明日は連絡くるのか?明後日になるのか?それとも、来週末とか… 考えれば考えるほど、悩み、不安になってしまう。何度考えてもここに行き着く、春樹は連絡をくれるのだろうかと。 いや、もしかしたら、スマホにメッセージがうまく表示されてないのかもしれない。急に自分のスマホにアクシデントが起こったのかもしれない。 春樹が連絡を送ってくれているのに、メッセージを確認出来てないのは、自分の方のミスかもしれないと、下野は思い始めた。 下野はスマホの電源をOFFにして、またすぐONにしてみる。だけど、電源が立ち上がるだけで、メッセージは到着しない。 その時ブブッとスマホが振動した。 「うわあぁっ!」と声を上げ、慌てて確認すると、ニュースアプリから自動通知のメッセージだった。 春樹からのメッセージではなかったため、 紛らわしい!っとムッとして、スマホをポイっとソファに投げ捨ててやった。 時刻は深夜1時過ぎ、春樹はもう自宅に帰ってきているのだろうかと、ソファに寝そべるが、考えるのはやっぱり春樹のことだけだった。 またブブッとスマホが振動した。 まっぎらわしい!またニュースかよっ!と思いながらも、投げ捨てられたスマホを拾い上げて確認する。 「…うわああああっっ!!」 ひとりでまた大きな声を上げてしまい、更には自分の大きな声が部屋に反響して、びっくりしてしまった。 スマホのメッセージアプリには、春樹からのコメントが通知されていた。 急いで確認すると『帰ってきた。遅くにごめん。今日はありがとう』と短いメッセージがあった。 下野はすぐさま『春ちゃん、お疲れ様。大丈夫だったか?ちょっとだけ電話できる?』と返事をした。 送ったメッセージは既読になった。 既読にはなっている… すぐに既読になったが、返信がこない… 1分、そのままスマホを見つめ続けた。 ブブッとスマホが振動し『いいよ』と書いてあるメッセージが見えたので、すぐに春樹に電話をかけた。 3回コールして「もしもし…」と春樹が出た。さっきまでバーシャミで話をしていた時と同じ、春樹の声だった。下野の心臓がドクンと大きく音を立てた。 「春ちゃん?遅くにごめんね。大丈夫だったか?ちょっと心配しちゃって…」 「うん、インフルエンザとかじゃなかった。季節の変わり目の発熱みたいだ。ちょっとグズってたけど、その後ぐっすり寝てたから大丈夫だと思う。俺の方こそ、遅くにごめん」 「大事じゃなくてよかったな」と伝えた後、クスクスと笑っている春樹の声が聞こえた。なんだろうと思っていると「寛人はいつもそんな感じでよく心配してたよな」と言われた。 その後は、うずうずしていた気持ちが溢れる。季節は冬なのに、話し始めると、春先のような暖かさが体にまとわりついたようだった。 衝動が刺激するように、春樹と時間を忘れて話し込んでいく。とろりと甘いジャムが口の中から足先に溢れていくようだった。

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