37 / 63
第37話 下野
さっきまで春樹と二人きりで会っていた。ほんの少しだったけど、手も繋いでいた。
リアルで会えたのに、随分前の出来事のような気がしてしまう。
下野はひとりで家に帰ってきてから放心状態であった。何も手がつかない。
仕事のメールを確認しようとするも、何となく上の空なので集中出来ず、着替えて風呂に入っても一瞬で出てきてしまう。
部屋の中、どこにいても春樹のことばかり考えている。
会いたい会いたいとずっと何年も思い、東京に戻り春樹に会うのを目標とし、仕事を頑張ってやってきた。
会社も順調に大きくし、中途半端なことはせず、やっと正面から堂々と春樹に会えた。
会えたら言うことは色々あり、考えていた。会社が軌道に乗ったから、一緒に働いて欲しいこと、昔のようにプライベートでは会って欲しいこと、それと『仲良くなるルール』を復活させて欲しいこと。
だけど、会えたら会えたで、緊張と嬉しさで舞い上がってしまった。どこまで伝えられたかはわからないほど、会話は覚えていない。
声は上擦り、気持ちは昂まり、目の前にいる好きな人を見つめるだけで精一杯になってしまった。
ずっと一緒にいたい。プライベートで会って欲しいというレベルではない。今も離さず一緒にいたいと思ってしまう。
もっとゆっくり話をして、昔みたいに笑い合って二人で時間をかけて過ごしたい。離れていた時のことを語り合いたい。もう離したくない。そう願ってしまう。
だけど、春樹は迷惑かもしれない。好きだ、離さないと言っても春樹にとっては寝耳に水であり、驚くだろう。そんなことはわかっている。少し冷静になる必要もあることもわかっている。
下野はぐるぐると部屋の中を歩き回り考えていた。
そして何をしていても、スマホから手が離せないで握りしめている。さっきシャワーを浴びた時も、スマホを濡らさないようにジップロックに入れていた。シャワー中に連絡がきても即対応できるようにだ。
春樹は大丈夫だったのだろうか。双子の赤ちゃんが熱を出していると言っていた。忙しいのはわかっているのに、連絡をくれと自分勝手なことを春樹に言ってしまった。
しかし、連絡をくれと伝え、約束した。メッセージが来るのはこのスマホだ。だから下野はスマホから手が離れないでいる。
春樹は連絡をくれるのだろうか。
しまった…やっぱり俺から連絡すると伝えておけばよかったかもしれないと、下野はスマホを握りしめ、また考える。
プライベートで、他人から連絡を必死になり待つなんてこと、中々ない。しかも、こんなに悩み、願って待つことは初めてだ。スマホから手が離れないし。
今日は忙しそうだから、連絡は無いのか。だったら明日は連絡くるのか?明後日になるのか?それとも、来週末とか…
考えれば考えるほど、悩み、不安になってしまう。何度考えてもここに行き着く、春樹は連絡をくれるのだろうかと。
いや、もしかしたら、スマホにメッセージがうまく表示されてないのかもしれない。急に自分のスマホにアクシデントが起こったのかもしれない。
春樹が連絡を送ってくれているのに、メッセージを確認出来てないのは、自分の方のミスかもしれないと、下野は思い始めた。
下野はスマホの電源をOFFにして、またすぐONにしてみる。だけど、電源が立ち上がるだけで、メッセージは到着しない。
その時ブブッとスマホが振動した。
「うわあぁっ!」と声を上げ、慌てて確認すると、ニュースアプリから自動通知のメッセージだった。
春樹からのメッセージではなかったため、
紛らわしい!っとムッとして、スマホをポイっとソファに投げ捨ててやった。
時刻は深夜1時過ぎ、春樹はもう自宅に帰ってきているのだろうかと、ソファに寝そべるが、考えるのはやっぱり春樹のことだけだった。
またブブッとスマホが振動した。
まっぎらわしい!またニュースかよっ!と思いながらも、投げ捨てられたスマホを拾い上げて確認する。
「…うわああああっっ!!」
ひとりでまた大きな声を上げてしまい、更には自分の大きな声が部屋に反響して、びっくりしてしまった。
スマホのメッセージアプリには、春樹からのコメントが通知されていた。
急いで確認すると『帰ってきた。遅くにごめん。今日はありがとう』と短いメッセージがあった。
下野はすぐさま『春ちゃん、お疲れ様。大丈夫だったか?ちょっとだけ電話できる?』と返事をした。
送ったメッセージは既読になった。
既読にはなっている…
すぐに既読になったが、返信がこない…
1分、そのままスマホを見つめ続けた。
ブブッとスマホが振動し『いいよ』と書いてあるメッセージが見えたので、すぐに春樹に電話をかけた。
3回コールして「もしもし…」と春樹が出た。さっきまでバーシャミで話をしていた時と同じ、春樹の声だった。下野の心臓がドクンと大きく音を立てた。
「春ちゃん?遅くにごめんね。大丈夫だったか?ちょっと心配しちゃって…」
「うん、インフルエンザとかじゃなかった。季節の変わり目の発熱みたいだ。ちょっとグズってたけど、その後ぐっすり寝てたから大丈夫だと思う。俺の方こそ、遅くにごめん」
「大事じゃなくてよかったな」と伝えた後、クスクスと笑っている春樹の声が聞こえた。なんだろうと思っていると「寛人はいつもそんな感じでよく心配してたよな」と言われた。
その後は、うずうずしていた気持ちが溢れる。季節は冬なのに、話し始めると、春先のような暖かさが体にまとわりついたようだった。
衝動が刺激するように、春樹と時間を忘れて話し込んでいく。とろりと甘いジャムが口の中から足先に溢れていくようだった。
ともだちにシェアしよう!