42 / 63
第42話 春樹
関西で仕事をしているといっていた下野から、『帰ってきた』というメッセージがスマホに届いた。
春樹は窓から夜空を見上げてみる。すると、チカチカと点滅する光が見えた。
下野からの合図だ。
ニヤニヤと笑いながらベランダに出て、春樹もスマホをチカチカと点滅させて合図を送った。
『おかえり』とメッセージを返信していたが、それに対しての応えはなく、その代わり下野からすぐに電話がかかってきた。
時刻は深夜0時ちょっと前である。
「…もしもし?春ちゃん?今、大丈夫?」
夜遅くだから疲れているだろうと思っていたが、案外下野は元気な声を出していた。
ベランダから見えるチカチカなスマホの光は、夜とはいえ近所の誰かに気が付かれたら『ウザい!』といつか怒られそうな気がする。
なので、下野に「近所迷惑って言われないか?」と笑いながら聞く。
「言われないよ、誰に言われるんだよっ!ベランダから空を見て、チカチカ迷惑だぞっ!って宇宙人に言うのか?」
と、ふざけた答えが返ってきた。
下野が言う『宇宙人に』というのは、昔、下野と一緒に見たB級コメディ映画のことだとわかる。
宇宙人が夜空で、UFOの光をチカチカと点滅させているのが迷惑だと、人間が抗議するというくだらない内容の映画で、二人で爆笑しながら見たのを覚えている。
その映画のことを言っているとわかり、春樹は声を上げて笑い出してしまう。下野は昔を思い出させるのが上手い。
その後、春樹はベランダから部屋に入り、ベッドの上に移り、下野と電話続けていた。
下野とよく行った近所のイタリアンバル『バーシャミ』が閉店してしまった。
そのことを伝えると、そのバーシャミのマスターが新しく銀座にレストランを出すんだと教えてくれた。
下野が手掛ける大きな仕事に、バーシャミのマスターの新しい店も絡んでいるようで、下野が口説き落としてレストランをオープンさせると言っていた。今はその準備が進んでいるという。
更には、そのマスターの新しいレストランでは、レセプションパーティーがあるため、一緒に出席して欲しいと、春樹は下野から頼まれた。
レセプションパーティーは、主催者がオープンする前にゲストを招待して行うものだ。イタリアンレストランなので、コース料理が振る舞われるだろう。
急に下野と食事を共にする話になり、不安になるが、嬉しい気持ちの方が強かったから『いいよ』と返事をしておいた。また下野に会えると、約束ができただけでかなり嬉しかった。
「そういえば、この前の電話って、春ちゃんの甥っ子だよな?」
「ああっ!そうだ、ごめん!勝手に電話かけちゃって...」
美桜の子供が、勝手に電話をかけたことを思い出す。双子のやんちゃな方である碧 が、春樹のスマホから偶然にも下野の番号に電話をかけてしまって焦った。
「春ちゃんの番号からかかってきてたし、後ろから、春ちゃんの声が聞こえてたよ」
クククと下野は笑いながら、あの時の電話を思い出しているようだ。
「うわぁ...最悪。聞かれてたか...」
あはははと、下野は更に声を上げて楽しそうに笑っていた。
子供に向かって話す口調を、下野に聞かれたと思うと恥ずかしい。だけど、あの時は仕方がなかった。電話をかけた碧に、言い聞かせるために必死で言っていた。
「あははは、でもすげぇよな。電話をかけることが出来るんだな」
「最近はよく動くようになってきて、スマホとか大好きなんだよ。美桜のこともよく見てるから、スマホは電話をするものだってわかっててマネしちゃうし。だから、碧 からスマホを取り上げるのに必死だったんだ。無理矢理取ると泣き出すだろうし…」
「碧 くんっていうのか?」
「あ、うん…双子で碧 と優 。二人共男の子なんだけど性格は違うから、碧はやんちゃで何でも興味津々。優は人見知りが激しいかな」
「へえ...そうなのか、双子の子か…。いつか会ってみたいなぁ」
下野の口から子供の話が出ると胸がズキンと痛む。そう遠くない未来できっと下野は結婚するだろう。
包容力もあり大きな器の下野は、家庭が似合う。それに優しく頼りがいがあるパパになりそうだ。
「それよりさ、春ちゃんの仕事の方はどうなんだ?」
気持ちが落ち込んでしまいそうな時に、仕事の話に切り替わり、春樹は少しホッとした。
「あ、仕事か?相変わらずだ。陸翔の面倒は相変わらず見ないといけないし…後は最近、営業部が商品説明する時、一緒に出張してる。新商品の打合せも多くあるかな」
「そうか、春ちゃんは会社に必要とされているな。だとしたら、俺と一緒に働くのは難しいか…」
「寛人と一緒に?あれって冗談だろ?」
下野には以前から『俺と一緒に働かないか』と誘われていた。関西で事業を立ち上げる時にも一緒に行こうと誘われたけど断っていた。
自分には他社で戦力になる器もないし、下野の会社が春樹を欲しがる理由も見つからない。
確かに下野は冗談ぽく言うことはなかったが、何で俺を誘うんだろうと思い、だとしたら冗談か何かだろうと、春樹はいつも思っていた。
「冗談なんかじゃないよ、本気。昔も言っただろ?俺としては一緒に働ければなと思ってたけど…最近の春ちゃんから聞く話だと、今は難しいんだろうなって正直思うよ。春ちゃんは重要なポストについているし、やりたいことを始めてる。春ちゃんの能力を、仕事で発揮してるなって感じるんだよね。だからこそ、一緒に働きたいって思う気持ちはあるんだけど」
「どうかな。俺はそこまで買ってもらえる人材じゃないよ。昔と変わらないし。だけど、役割っていうか…立場はわかってきたかもな。俺を盾にして少しずつ会社が変わってくれればなって思ってる。俺がやれるのはそれかなと思うことはあるよ。めちゃくちゃ微力だけど」
「春ちゃん、やっぱり変わらないな。俺、春ちゃんのそういうとこ一番好きだよ」
仕事の話だけど、一番好きなところと、下野に言われ一瞬ドキッとする。
あの頃と同じ、柔らかい声で言われる。
「会社では、春ちゃんしか出来ないことやってんだろ?それは会社の中で重要なことだと思う」
「陸翔の教育か?もう大変なんだよ、あいつ。あとからあとから問題ばっかり持ってくるんだ。でも悪い奴じゃないからさ」
ドキドキとする気持ちを、陸翔の話題にすり替えた。そのまま最近の陸翔との関係を話する。
陸翔はまだ中途半端なことをするが、そんな時も春樹がいちいち注意をしているから、少しずつ変わってきていた。
「あっ!ごめんな。こんな時間になっちゃった。遅くまでごめん!」
「本当だ。時間なんてあっという間だな」
週末ではないので、明日は仕事だ。下野も忙しいと言っていたし、そろそろ電話を
切り上げようとした。
「春ちゃん…あの頃の二人のルールって覚えてる?」
また下野はドキッとするようなことを電話を切る間際に言ってきた。
覚えてるも何も、春樹のスマホの待ち受け画面はあの頃から変わらない。ずっと、二人が仲良くなるルールのメモの画像だ。
「…うん、まあ、覚えてるよ」
覚えてるに決まってる!とは言えず、何となく言葉を濁しながら伝える。
「もう一回さ…その…あのルールやらないか?」
「そんなのもう必要ないだろ?あれは仲良くなるためのルールだったんだし…今は充分仲良くなってるだろ?」
「そうだけどさ…あっ、じゃあ!改訂は?ルールとかって、ほらよく改訂するじゃん。もう何年も経ってるからさ、そろそろアレも改訂したほうがいいかなって…」
「なんだよ改訂って。全くお前は相変わらず面白いこと言うな」
急な下野からの提案に春樹は吹き出してしまった。だけど深夜のテンションも手伝ってか、その話に乗ることにした。
「じゃあ…とりあえず、おはよう、おやすみの連絡は引き続き継続な。それと、新ルールがあれば提案してくれ。是非検討したいと思う」
下野がふざけて重々しくいう口調がおかしくまた笑い出す。深夜は何をしても楽しいのかもしれない。
「あはははは、わかった。じゃあ、とりあえず、チカチカの合図は入れておくか?誰かに怒られるまでは」
「そうだな、スマホのチカチカは、家に帰ってきた時の合図として新ルールに入れておこう。宇宙人ウザいって誰かに怒られるまではな。それと、俺も新しいルールに入れてもらえるようなのを考えておく。春ちゃんにOK出してもらえるようなやつ」
「前向きに検討しよう!」
下野の口調を真似た春樹の言い方に、あはははと、今度は下野が大きな声で笑った。
「今度こそ電話切るから、遅くなってごめん」
「うん。じゃあ」
と言い合い、名残惜しいが電話を切った。
そのまま春樹はまたベランダに出て下野のマンションを見上げた。こんな近くに下野がいて、昔のように笑い合っているなんて、今もまだ信じられない。
そんなことを考えていると、チカチカと光の点滅が見えた。下野からの合図だ。
電話を切った後すぐにまた合図を送ってくるなんてと、くすくすと笑いながら下野のマンションに向かい、春樹もチカチカとスマホを点滅させた後「早く寝ろよ」とメッセージを送った。
下野からはすぐに「おやすみ 春ちゃん」とメッセージが届いた。
ともだちにシェアしよう!