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第45話 下野
銀座にオープンしたデリカテッセンの店は右肩上がり。だけど、俺の気持ちは下がる一方。と、下野はスマホの画面にため息をついていた。
あの日以来、春樹は電話に出てくれなくなった。マンションからチカチカとスマホの光を点滅させても、春樹からの返りはない。かろうじて、朝と夜のメッセージは送ってくれているけど、事務的な内容だ。
「あんまりため息ばかりつかないで下さいよ。そんな姿を見たら社員が心配します」
「プライベートが上手くいかない…」
「春ちゃんだって、あんなイチャイチャ見せつけられたら、よそよそしくなりますよ。だから!ハッキリ言えって言ってたんです。井上に!」
「お前は春ちゃんって呼ぶな!」
「八つ当たりしないでもらえます?」
そう、完全八つ当たりだ。
わかっている。
「わかったよ…はい!休憩は終わり!仕事のスケジュール教えろよ」
八つ当たりをする相手も見つからないので、仕事の脳に無理矢理切り替える。
「はいはい…えーっと…銀座のデリカテッセンは順調ですね。この後、別の商業施設にも入るので、今度はそっちで忙しくなります。高級レストランの味を小さなお子さんがいる家庭に届けることが、次のコンセプトです」
伊澤からスケジュールを聞くと、ゆっくりしていられないとわかる。仕事は今がチャンスだし、チャンスはモノにしたい。
「わかった…」
おとなしく仕事の流れを聞いていた。
「それと、フィエロのレセプションですが…今週末になります。一緒に行くのは、春さんでいいですね?」
いよいよ各フロアのレストランがオープンとなる。フィエロはジロウの新しい店であり、レストラン業界で今一番の話題となっている。
春樹とは以前約束をしたから、レセプションには来てくれると思うが、その後、今の状態となってしまったから不安ではある。
「うん、約束してくれたから。来てくれると思うけど…あー…不安…」
「いい機会ですし、プライベートもここで修正してくださいよ。全く…ちょっと時間が空くとすぐにそんな顔して」
「そんな顔ってどんなだよ」
「叱られた子供みたいな不安な顔ですよ。いい男が台無しじゃないですか!いつまでもそんな顔してないで。一発バシッと決めて下さいよ、仕事みたいに」
伊澤は本当にストレートに物事を言う。だから秘書なんて大変な仕事が出来てるんだと思うが、もうちょっと優しくしてもらいたいと思う時もある。
「ですが…社長が好きになった相手の人はいい人ですね」
「へっ?えっ?春ちゃんのこと?相手は男だけど変に思わないのか?」
「今どき、男とか女とか、好きになるのに性別って関係あります?春さんは、丁寧な方でした。名刺交換した時、少しお話しただけですけど、いい雰囲気の人だなと思いましたよ」
伊澤に春樹のことを褒められて、急に気分を良くする。
「そうなんだよ。昔はちょっと年より幼い考えだって思ってたけど、羨ましいほど真っ直ぐな人でさ。でも久しぶりに会ったら随分変わってて。それも、良い方に変わってたからさ。仕事も頑張ってるみたいだし、春ちゃんは何より芯があるからな。だから、昔よりもっと今は好きになったかなぁ。うん、そう」
また仕事の話から脱線するが、伊澤から話をふってきたんだから仕方がない。春樹の好きなところを上げて伊澤に教えてやった。
春樹のことが昔よりもっと好きになったと惚気ていたら、伊澤がギョッとするような顔でこっちを見ていた。
「好きになったとか言って…社長って…過去にきちんと好きだって、告白して付き合った人いるんですか?そもそも好きになってからお付き合いするんですか?」
「おおいっ!失礼だなお前。好きになって、告白してから付き合うに決まってるだろ?俺だって過去にはずっと女がいたんだし。その時は…あれ…ん?」
好きになりました。好きです。と、恋人になった人には言ってきたはずだと、今まで思っていたが、こうはっきり聞かれて考えてみると、ひとりもいないことに気がついた。俺は今まで何をやっていたんだ。
「やばっ!今、気がつきましたよね?今までひとりも好きだって告白した人がいないってこと。やっば…人として、やばっ。終わってるし」
伊澤が人のことを面白がって笑っている。本当にこの男は、はっきりものを言うし、立場気にせずに揶揄ってくる。
「う、うるせぇな…」
「ほらね、そんな感じだからすぐ手を出しちゃってる人なんだろうなって、周りからは思われてるんですよ」
「か、過去はさぁ、そうかもしれないけど、今は違うからなっ!そんなチャラチャラしてねぇし」
「チャラチャラとしたところを見せてたじゃないですか。社長の悪いところが全開で出てましたよ。それに、今のままだと、井上だけじゃなくて、他にも匂わせする女性が沢山出てきます。だから、気をつけろ!って言ってるんです」
伊澤には、コテンパンに言い負かされてしまう。今は一途に春樹のことを想っているのに、それだけでは何故ダメなのだろう。
「もう…めんどくせぇ…」
「ほらね、そんなとこですよ、あなたのダメなところ。多分、今までずっとそうだったんだろうなと思います」
嫌な顔をするが、伊澤は気にせず淡々と下野に対してのダメ出しを進める。
伊澤曰く、下野は以前からずっと恋愛は、のらりくらりとしていたはずだという。
そんなに好きでもないのに、相手からアプローチされると拒否するのが難しく、それをズルズルと続けてしまう。だから相手はその隙を付いてくる。断られないとわかれば、グイグイと押せばいいはずだからだ。
アプローチされるのは、ひとりだけではなく同時進行で複数人もいたはずだ。その全てにハッキリとした答えを出すことが出来ないから、何となく付き合ったり、たまに肉体関係を持ったりしていたはず。
それを周りは、いつまでもチャラチャラとしてるという目で見ている。下野に貼られたレッテルは、モテるけど女ったらし、恋愛には真剣にならずいつも遊びだけ、いわゆる遊び人、いつもふらふらとあっちこっちとすぐに手を出すタイプと、言われているはずだと、伊澤は言葉を並べた。
「ひでぇ…俺、そんなじゃないよ?一途だしさ、ふらふらしてないって」
「だから、周りはわかんないんですって。そう見えてるんです。それに、社長のその態度が寄ってくる人をそうさせるんですよ。優しく、のらりくらりする男なんて、悪い男の見本ですから」
「悪い男って…じゃあ…どうしたらいいんだよ」
「仕事は完璧、地位も名誉も金も揃ってきている。そんなあなたがやることは、好きな人だけに集中!他が寄ってきてもビシッと断る!春ちゃんに一度振られても何回も告白してモノにする!きちんと好きだと告白をする!以上です」
「だから!お前が春ちゃんって呼ぶなよ」
伊澤が声を上げて笑っていた。揶揄われているんだろうと思うが、当たってるところはあるかもしれないから、伊澤の言うことは聞くようにしたい。
「それに、振られてもって言うなよ…縁起でもねぇな。でもなぁ…」
春樹と慎重に関係を進めているのに、振られるとか簡単に伊澤が言うからムカつく。それでなくても春樹の気持ちはこちらに向かないというのに。
「まぁ、春さんに逃げられないように頑張ってください。上手くいったら、周りが寄ってこないような対策は考えてますから。それで仕事に集中してもらえれば、私は言うことないですよ」
ほら、仕事に戻りますよと伊澤に言われる。
朝でも夜でもないけど、春樹にメッセージを送り、仕事に戻った。
レセプションは今週末。
メッセージは『春ちゃんと一緒に行けるのを楽しみにしている』と。
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