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第47話 下野
「リロン…ジロウさんに申し訳ないって伝えてくれないか?それと、もう来ないと思うから、俺の分だけ最後まで出してって、それもジロウさんに伝えて欲しい」
フィエロのレセプションパーティーの日。春樹を待っていたが、もう来ないようだ。
バーシャミでアルバイトをしていたリロンという青年も、フィエロのフロアスタッフとして働いていた。新しくオープンするレストランに、よく知った顔がいて下野は嬉しかった。
フィエロは銀座ビルの最上階。高級イタリアンであり、シェフはあのジロウであるからこれから流行ること間違いない。
各テーブルを見渡すと、客は楽しそうに会話し、美味しそうに食事をしていた。だが、下野のテーブルはひとりだけ。待ち人はやっぱり来なかったかと、下野はワインを飲みながらため息をつく。
誤解されたのか、それとも俺に嫌気がさしたのか、どっちにしろ嫌われたんだろうな、自業自得だと下野は考えていた。
「下野さん。ジロウさんが、下野さんには最高の料理を出すからって言ってました。後でフロアに顔を出すって言ってます」
リロンがテーブルまで来てくれた。フロアの制服だろうか、ビシッとスーツを着ているので見違える。
バーシャミではよくジロウと一緒にくだらない話をしていたのが、何だか懐かしくなるほどだと、ジロウは思っていた。
「そうか、大切な日に悪かった。それより、リロン。ここで働くんだな。就職先が見つかって良かったな、ジロウさんも一緒だし。頑張れよ」
「はい、そうなんです。ここで雇ってもらえたので、これから頑張りたいと思ってます。じゃあ…下野さん料理お出ししますね。少々お待ちください」
そう言って頭を下げてリロンは下がっていった。
次々と料理が運ばれてくる。
春樹と一緒に食べるはずだった料理だ。
胸は痛むが料理に罪はない。出てきた料理をワインと一緒に平らげていく。
周りの客は帰り始めていた。ジロウもフロアに出て、帰り支度をしている客に挨拶をしている姿が見られる。もうそんな時間なんだなと、下野はボンヤリ見渡していた。
後はドルチェか…と考えていた時、リロンが真っ直ぐ、下野のテーブルに向かって歩いてくるのがわかった。
影が重なって見えるのだろうか。
リロンの後ろに影が見える。
都合よくその影は春樹に見えてしまう。
「下野様、お連れ様がお越しになりました。風が強くて、前に進むのに時間がかかったようです。本日は特に風が強いですからね」
と、リロンは下野のテーブルまで来て、徐ろにそう下野に伝え笑っていた。
「遅れて申し訳ございません」と、後ろにいた春樹が声を発した。
下野は一瞬ポカンとしたが、次の瞬間にリロンの言葉を理解し、爆笑してしまった。
リロンは遅れて縮こまる春樹に気を利かせて、風が強くて歩けないほど前に進めなかったから、遅れても仕方ないだろ?とジョークにしてくれている。
ジョークにもならないくらいのジョークだけど、そんな気が利いたことを言われたら、爆笑してしまう。もう、今までウジウジとしていた気持ちも、自業自得な悪い自分も全てが可笑しく思えてきた。
俺にも強い風が吹いて、風によって一歩前に足を踏み出してくれたのかもなと、下野は思い笑った。
それに、春樹が来てくれた。
そう思うと嬉しくてたまらない。
「そうか…風が強かったか。そりゃ、時間かかるわけだよな。大変だったな、春ちゃん。来てくれてありがとう」
笑い出した下野を見て春樹は気が抜けたような顔をしていた。その春樹をリロンが席に座らせてくれた。
「寛人、ごめんなさい。本当に酷いことを…失礼なことをした。申し訳ございません。こんな大切な日に、」
「春ちゃん」
目の前にいるのに、大きめな声で必死に呼んでしまった。春樹の前ではカッコつかないのはわかっている。仕方ない、それも俺なんだし。それにもう言葉が溢れ出してきているんだ。失恋しても構わない。言わずにいればもっと後悔をするはずだ。
「春ちゃん、俺は春ちゃんが好きだ。ずっと前から好きだった」
想いを伝えずに抱きしめたり、キスをしたり、のらりくらりしていた過去の自分は、本当にズルい奴だった。
そんな過去とは違い、今は正面から堂々と好きだと伝えたい。告白するのを避けて、真っ直ぐな春樹に逃げるような態度や言い訳はしたくない。下野はそう考えていた。
急に告白し始めた下野を春樹はびっくりした顔をして見ている。
「びっくりした?そうかもな…でも、もうカッコつけたり、のらりくらりとズルいことはしたくない。告白するのは怖いけど、ちゃんと伝えたかったんだ。春ちゃんのことが好きだよ」
「寛人が…?俺のこと?」
「そうだよ、春ちゃんのこと。前は、よく遊んだよな。その頃から今もずっと俺は春ちゃんだけが好きなんだ。はっきり伝えられてスッキリしたよ」
今までぐだぐだしていたなぁ、自分が男らしくなくてガッカリするよ、伝える前から失恋が怖かったんだと、笑いながら春樹に伝える。
今日はフィエロのレセプション。
ハレの日。特別な日だ。
自分の気持ちにもケジメをつけろよと言われたような感じだ。風を感じて気持ちが前に向かう。
好きだと告白するだけしたけれど、答えはいらないよと、下野は春樹に伝えた。
答えなんか言われた日には落ち込んでしまう。せっかく気持ちが前向きになったのに、春樹からの答えを聞いたら落ち込むだろう。またカッコ悪い姿を見せてしまうから、それは今は勘弁して欲しい。
春樹の中には、恋愛なんて気持ちはないことは知っている。俺が勝手に言いたかっただけなんだ、自分勝手でごめんなと下野は春樹に謝った。
「……お前は本当にずるい。そうやって、言うだけ言って答えを言わせないし、聞こうとしない。誠実なくせにその辺はずるいんだ」
驚いた顔をして聞いていた春樹が、顔を少し強張らせて言い出した。
「春ちゃん?」
「寛人、俺はお前のことが好きだ。わかるか?わかんないだろ。俺のこと好きだって言うけど、お前には俺の気持ちはわかんないんだ」
春樹が何を言い出したのか、理解が追いつかないでいる。
「俺は…お前のことが好きだ。会いたい、声が聞きたい、キスをしたい、抱きしめたい、抱き合いたいと、お前のことだけを思って過ごしている。もう何年もだ」
「えっ…春ちゃん?嘘だろ…」
「嘘じゃない。自分の気持ちくらいわからなくてどうする。お前は俺のこと、いつまでもピュアだと思ってんだろ?」
春樹の言葉に、呆気に取られた。
嘘だろ…とまた繰り返しそんな言葉が出てしまう。だってそうだろ?春樹の中には恋愛なんてないんだからと、何度考えてもそこに考えはたどり着く。
「おい、寛人?お前が、はっきり伝えてスッキリしたって言うから俺も言う。俺の好きだという気持ちには、お前と肉体関係も持ちたいということも含まれている。わかるか?」
春樹の言葉は、カウンターパンチを喰らうくらいの威力があった。春樹の口から肉体関係という言葉が出たことも衝撃で、まだよく理解出来ない。
「…大変お待たせいたしました」
リロンがドルチェを運んできてくれた。ティラミスが綺麗に盛り付けられている。
「こちらは、シェフからお客様だけに特別だそうです」
リロンが春樹に声をかけながら、ドルチェの皿を置いた。春樹の皿にはティラミスの他に小さなホットケーキが乗っていた。
「ホットケーキ…」
苦笑いしながら春樹がリロンに答えている。「ですね…」と、リロンも笑いながら頷いて、テーブルから下がっていった。
ホットケーキは、あの時のことだ。
二人の間では意味を持つものだ。
関西で事業を立ち上げた後、東京に戻り春樹と会った。会った場所はバーシャミである。あの時、帰り際に春樹を帰したくなくて、パンケーキを作ってあげると、カッコつけて春樹に伝えたことがあった。
だけど春樹には、パンケーキよりホットケーキの方が好きだ!と言われアッサリ振られてしまった。
そのやりとりを聞いていただろう店のウエイターであるリロンが、バーシャミの厨房からホットケーキミックスを持ち、春樹にそれを渡したことがあった。
リロンには下野の想いが伝わり、手助けしてくれていたというのは、わかっている。
その時のやり取りを思い出す。シェフのジロウが、今日ここでホットケーキを出してくれているんだなとわかってまた下野は笑い出した。
ここは高級イタリアンなのに、バーシャミの頃の二人の思い出を引き出してくれる。『頑張れよ』というジロウからのメッセージなのか。遊び心がある、いやあり過ぎだろと考えていると、春樹と目を合った。
春樹も笑っている。伝わっているようだ。
「俺のドルチェには、ホットケーキは付いてない…」
下野が呟くように皿を見つめて言う。何だか胸がいっぱいになる。
「寛人、ホットケーキ好きなのか?ホットケーキ食べる?うちにあるよ?作ってあげるよ」
「へっ?」
あの時バーシャミで言った、下野のセリフだ。それをそっくりそのまま春樹に言われてしまった。
ハッとして、春樹を見ると笑っていた。
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