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lovey dovey 第1話 下野

恋人同士という関係になれたが、長くの間、春樹に苦しい想いをさせていたことが、頭から離れないでいる。 同性を好きになったのは初めてだが、それは自然な流れだった。同性を、というより、春樹を好きになったが正しい言い方だ。 それに、恋愛を軽く見ていたのを思い知らされた。好きだと言わなくても、なんとなくとか、いつのまにかで、あの頃は、身体を抱きしめ、つなげ、キスまでの行為を春樹に何度も繰り返していた。 一度求めたら後戻りは出来ず、最も成り行きとなる理由を見つけていたように思う。 それって本当に最低なことだ。 今考えるとそう思う。 関西から東京に戻りまた春樹に再会した後も、嫌われるのが怖くて、春樹との関係性を変えたくなくて、だらだらと、言い訳ばかりを考え、ずるい態度を取ってきたと思う。自分はダメな男だ。 結果的に、そんなつまんない行動が、春樹を長い間苦しめていたのかと思うと、自分の態度や行動を改めるキッカケとなった。 だから俺は決めた。 生涯をかけて春樹と共に生活していくと。今まで春樹を苦しめ、悲しませた想いは忘れることはない。 自分の優柔不断な態度もそうさせていた。春樹がフィエロのレセプションに遅れた理由を伊澤から聞いた時、怒りが湧き上がり冷静になることが難しいほどだった。 それも自分の態度が招いたことだと、後から伊澤に懇々と言われた。 怒りは自分の大切なものを守るためのエネルギーである。それを行動や変化への意欲として、建設的に使うように考えてくださいと、伊澤に言われた。 自分が変わり、そのエネルギーを間違うことなく使う時だ。これからは春樹を愛することに使おう。そう強く思う。 「おっ!帰ってきたな」 さっき『もうすぐ家に着く』と連絡をもらってからずっとバルコニーの椅子に座り、春樹の帰りを待っていた。 遠くにチカチカとした点滅が見える。春樹がベランダから合図を送っているのがわかった。 合図を確認してすぐ『おかえり。電話してもいい?』とメッセージを送ると、春樹から電話がかかってきた。 「もしもし、春ちゃん、おかえり」 「ただいま。寛人は週末なのに帰ってくるの早かったな」 「今週は特に何もなかったからな。それより春ちゃん、アレが出来上がったんだ。今日、会社で受け取ったよ。今からそっちに持って行くから」 春樹からの返事を聞く前に、バルコニーから部屋に入り、上着を手にし家を出る準備をした。電話の向こうにいる春樹は笑いながら「わかった」と言ってくれた。 結局、春樹は井上から牽制されていたんだろう。それは伊澤から聞き知ったことだ。そんなことがあったなんて、知らなかったとはいえ、のうのうと生活していた自分に腹が立つ。それと同時に、春樹を大切に出来なかった自分にもまた、腹が立つ。 考えれば考えるほど後悔し、悔やまれる。 結局、自分の態度や行動が一番の原因で、それは春樹に対して誠実ではなかったと、わかった。 井上に何を言われたのかと、問い詰めても春樹は詳しいことは、なかなか教えてくれない。しつこく聞くと『そんなこと聞いてどうする』と言われてしまう。だから下野からは、もうこの件については聞かないでいる。 この件は、もう春樹に聞かない代わりに、好きにさせてもらおうと思っている。 井上は、自分の会社の社員であり部下である。仕事ではミスやトラブルはなく優秀だ。だけど行き過ぎた行動が目立つ。下野のプライベートに入り過ぎている。 ましてや、何よりも下野が大切にしている春樹に近づいたことで、下野の怒りの原因を作ってしまった。自分が蒔いた種とはいえ、このままでは気持ちが収まらない。 そんな下野に「誰も傷付けず、目には目をです」と、伊澤は言う。そしてその伊澤のアドバイス通りにしていることがある。 下野は個人のSNSアカウントを作った。そのSNSは、下野のアカウントだとわかるような写真ばかり載せている。 写真は会社が経営するデリカテッセンや、関連のレストラン、その料理などである。 毎日アップすることにより、少しずつフォロワーが増えてきている。社内の人や仕事関係者から、いいねをもらうようになり、井上と思われるアカウントからも、いいねをもらうようになった。 「きた!きましたよ、社長」と、井上がフォロワーになった時、伊澤は言っていた。 下野自身は何がなんだかよくわからないが、伊澤が『やれ!』というので、井上と思われるSNSの投稿に下野からもハートマークをタップして、いいねを送っていた。 そして最近、やっと伊澤が言う『誰も傷付けず、目には目を』という意味がわかってきた。 「もしもし?着いたよ、玄関開けてくれる?」 春樹のマンション前から電話をかける。 「わかった」という返事の春樹は、既に部屋の前で待っていてくれた。 春樹の家に入り、ドアに鍵もかけた。あの日以来、鍵は忘れずにかけている。 「春ちゃん…会いたかった。好きだ」 「お前は、昨日もそう言ってた」 玄関を入ってすぐ、春樹を抱きしめてキスをすると、春樹は苦笑いしながらそう答えている。数時間離れているだけで、会いたくなるんだからしょうがないだろう。 「春ちゃんお腹すいただろ?ご飯持ってきたよ。うちのデリカテッセンで買ってきたやつと、今日は早く帰ってきたから俺が作ったやつもあるぞ」 紙袋から取り出し料理を並べる。テーブルの上はあっという間に多くの料理でいっぱいとなる。最近はこんな風に夜ご飯を二人で食べることが増えた。ほぼ毎日、お互いどちらかの家を行き来している。 「うわぁ!すごい、寛人のご飯は本当に大好きだ。ありがとう。あっ、これデリで見たことあるやつ。やった!」 「よし、じゃあ食べようか」 いただきますと言い、春樹が食べている前で下野は写真をバシャバシャと撮り、その写真をSNSに投稿した。 SNSは料理メインの写真だが、写真の端の方にすこーしだけ誰かがいるかのような撮り方をした。二人で食事をしているという皿が見切れてたりする『匂わせ写真』を下野は撮っている。 これが非常に難しい。顔を写すことは出来ない、部屋の中も写せない、写真に撮るのは料理だけである。だが、すこーしだけ、ほんの少しだけ匂わせる。誰かがそばにいるよってこと。そして隠しきれない幸福感も。 そう。伊澤指導のもと、下野は春樹との生活を匂わせるような写真をSNSにアップしていた。今日のSNSにアップした写真にはTagBaeとメッセージも入れておく。 それも伊澤からの指示である。『二人の生活感を出せ!たまにTagBaeとメッセージを入れろ!』と言われたからである。 『なんだよそれって…』と下野は文句を言うが『今の流行りはハッシュタグではなく、こんな感じの単語、もしくは何もメッセージに書かないこと!』と言うので、とりあえず伊澤の言う通りにしている。 今の流行まで指示されるのはどうかと思うが、どれもこれもよくわからないし、うるせぇから伊澤の言う通りだ。 井上が匂わせ写真を投稿しているとならば、それを学ばせてもらおうというのが、伊澤の魂胆であるようだ。 「…寛人、最近写真撮るのが多いな」 「えっ!あっ、うん…そうだね。春ちゃんとの記録は全て残しておきたいからさ」 ははは、と笑った。記録をSNSに残しているのは本当だ。だけど、春樹にはまだSNSを始めたことは伝えていない。なかなかきっかけが掴めないでいる。なーんか、SNSって実は苦手であるからだ。隠しているわけではないから、知られても構わないけど。 それに、匂わせ投稿をしているのは、何だかカッコ悪い。だからある程度、井上を牽制できたらSNSは止めるつもりでいる。 しかし、匂わせ写真とは非常に難しい。やってみて初めてわかる。その辺、井上は凄いなと思ったところだ。 「そうだ!春ちゃん、会社で受けとったやつ、付けてくれる?」 「う、うん…うーん…」 春樹は下野の言葉に、悩ましい顔をしている。

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