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lovey dovey 第3話 下野

ふぅ…… 下野は座席に深く腰掛け、ため息をついた。春樹と離ればなれとなり数日が経つ。早く家に帰りてぇと、気持ちが顔に出ていることはわかっている。 何度も話をして、お願いして、やっと春樹は首を縦に振ってくれた。 今、下野は出張で関西に来ている。関西には一週間滞在することになるため、その間、春樹には下野の家に泊まっていて欲しいとお願いをした。 一週間とはいえ、離ればなれなる。 万が一のことを考えたら、セキュリティがしっかりしている下野のマンションにいて欲しいと思うのは当然だろう。 だってそうだろ?急な天災があった場合でも、下野のマンションであればコンシェルジュもいるし、春樹の安全確認はできる。 何かあってからでは遅い。 離ればなれとは、そんなリスクも考える。 「じゃあ、春ちゃん。鍵はこの前渡したやつね。そんで、コンシェルジュは24時間体制でいるから安心して。何かあればすぐコンシェルジュに言ってくれよ。春ちゃんのことは伝えてあるから。それと知ってると思うけど、この階は俺以外の住人はいないから気兼ねなく使って!セキュリティはしっかりしてるから、何かあればすぐに俺に連絡が入るから大丈夫!とはいえ、家に入ったら戸締りして、帰ってきたよってメッセージ送ってくれ。心配だからな。それと、朝食べるパンは毎日届くようにしてあるから、それを食べて、あっ!夜ご飯は作り置きが、」 「寛人!」 話の途中で春樹に遮られてしまった。 「なに?」 「やっぱり、俺…自分の家で過ごすよ。今までだって何年も同じところでひとり暮らししてたんだ。何か問題なんてあるわけないし…たった一週間だしさ、」 「ダメ」 ダメに決まってるだろう。何度も話をしているのに、コンシェルジュ常駐のマンションはちょっと敷居が高いとか、下野のマンションに勝手にひとりで滞在するのは気が引けるとか、春樹はそんなことを考え遠慮してしまう。下野のマンションの合鍵だってやっと受け取ってくれたって感じだ。 「春ちゃん…何度も話をしてわかってくれたろ?俺は心配で心配でたまらない。それにたった一週間?それは違うぞ、一週間もだ。こんなに長い時間、離ればなれになるんだ。春ちゃんが、俺の家にいるって安心を俺にくれよ。頼むから」 「え…うっ…うーん…まぁ、わかった。じゃあ、俺からも。これ家の合鍵だから。特に必要ないけど、何となく俺だけお前の合鍵貰うのはフェアじゃないから。俺からも渡しておくよ」 元々スペアキーがあり2本鍵を持っていたんだと春樹は言い、その内の1本を下野に渡してくれた。 「うわっ!いいのか!春ちゃんの家の鍵!これ俺が使ってもいいの?」 嬉しくて思わず聞いてしまった。春樹が自宅で何かあった時でも、これで確認ができるから安心だと下野は思う。 「もちろん、それは大丈夫だ。寛人なら自由に出入りしてくれて問題ないだろ?それに俺の家は、こんな立派なマンションじゃないし…」 と…出張前日に春樹と交わした会話を思い出していた。 あと数日で東京に戻れるとはいえ、まだまだ春樹と離ればなれが続く。生春樹が足りない!と、下野は若干憂鬱そうにため息をついていた。 日中は仕事をしているから気にならないが、夜になるとすぐ春樹に電話をかけたり、メッセージを送る日々を過ごしているが、それでも春樹に会いたくてたまらない。生春樹が足りないんだ!と、膝の上で拳を作りまた考え込む。憂鬱な顔の理由はそれである。 「社長、おつかれですか?関西も、もうすぐ軌道に乗りますから。あとちょっと頑張りましょう!」 「そうですよ!こっちのみんなも張り切ってるから、上手くいきますよ」 男性社員たちに励まされてしまった… いけない。今は社員と夜の会食中。社長の顔を崩してはいけなかった。 「あっ!疲れてないよ、ごめんごめん。ちょっとさ、考えごと。仕事じゃなくて、プライベートの方だからさ。ははは」 下野は、パッと切り替え笑って誤魔化した。いかんいかんと、自分に規律を戻す。 「プライベートですか〜?何でしょう。話せる範囲で教えてくださいよ。社長のSNS見てますよ?毎日豪華っすよね」 「毎日美味しそうな食事をアップしてるでしょ?うちのデリカテッセンのものばっかりで!悩みなんかないはずなのに」 「ですよ!デリもそうだけど、食卓は、めちゃくちゃおしゃれじゃないですか!そんな生活も充実してて、やっぱり社長は違うなって思って見てましたけど。何をそんなに考えてるんですかっ!」 男性社員から揶揄うような言葉が投げつけられた。周りの皆もその声に笑っている。 関西でも東京と同じ内容のプロジェクトが進んでいた。繁華街のビル一棟を下野の会社プロデュースで、レストランからデリカテッセンまでの仕様とする。このプロジェクトも大詰めで後少しでオープンとなる。東京の実績もあり、順調に進み大きな問題はなく、それも下野をホッとさせていた。 今回の出張は、東京から下野と伊澤、それと東京で立ち上げたプロジェクトチームの皆で最終打ち合わせをし、今は会食をしている最中であった。 「えっ!俺のSNSなんて、誰も見てないと思ったんだけど」 意外とみんなSNSはチェックしてるんだなという印象である。大々的に公表していないものの、下野のアカウントだとみんなわかっているようだった。 「私たちも見てますよ〜。社長はご自身でも料理するんですね。すっごく美味しそうです!社長の恋人が羨ましい!」 「いっ!何でわかるの?俺が料理するってこと。えっ、なんで、マジで…」 下野はスマホを手にし、自分のアカウントを開く。料理だって自分で作ったとは書いていないはずなのに、何故わかるのだろうと、過去に投稿した写真を確認し始めた。 「ウソ…社長って無意識なの?」 「や〜ぁん、無自覚な男の人ってちょっとキュンとするぅ」 「わかるぅ。焦ってる姿が余計キュンとする。いいなぁ彼女さん、羨ましい」 女性たちからの話し声が耳に入るが、下野は必死に過去に投稿した写真を見直し続ける。だけど、おかしなところは何ひとつない。確かに『匂わせ』はしているが、この写真で恋人がいるなんて、はっきりとわかるはずがないと思う。 「…あのさ、何でわかるの?料理を作るのもそうだけど、恋人がいるとか…写真は料理だけじゃん。しかも俺が載せてるのは、デリカテッセンのやつばっかりだよ?」 「わっかりますよ!」「わかりやすいです!」と、女性陣から力強い声が上がる。その言葉に下野を始め、隣にいる伊澤や男性たちも興味津々だった。 下野の写真は、常に誰かと食事をしているのがわかると言う。それは自宅と思われる食卓であり、その写真は二人分の皿が写っていたり、明らかに食事の量が一人分ではないという。 これが伊澤指導のもと、井上に対する『匂わせ写真』を意識し下野がわざと撮っている『目には目を』のものだ。だからそう思ったのかと下野は頷く。まぁ問題はないし、皆からそう見えてると知って驚くことはない。 ここにいる男性陣もそれについては頷いているから、みんな気がついていることであるのだろう。うん、伊澤の作戦通りだ。 だけど、そんなのは序の口で、それ以外にもSNSから漏れている情報が山ほどあると女性陣は言う。男性陣はその言葉の方に興味津々だ。 そのひとつは写真に付いてるTagBaeというメッセージだという。確かに、うるさい伊澤指導の元、下野はたまに使っているメッセージである。その意味は恋人や友達、家族など大切な人を指す時に用いるという。ネットスラングでもあるが、主にリア充と呼ばれる人たちが使用するらしい。下野は意味もわからず伊澤から言われた通りに使っていた。SNSとはそういうもんだと伊澤から言われていたからだ。 そんな恥ずかしいことを書いていたなんて、女性たちから揶揄われて初めて知ったことである。やりやがったなと、伊澤を睨むとゲラゲラと爆笑していた。 ムカつく…完全に揶揄われている。 それに、下野が料理を作るということは、写真から情報が溢れているらしい。 写真の手前には、デリカテッセンの惣菜が写っているが、奥の方にぼやけて写るものがある。それは自宅で作っているであろう料理が多いという。 写真の中では奥の方に置いてあり、ぼやけているが拡大すれば明らかに手料理だとよくわかる。それは、いつも下野が好んで食べているものに近い料理だからと、女性陣から推理される。 「それと!社長は甘いんですよ。写り込みがありますから」 「いっ!なに?写り込みって」 食卓のスプーンやグラスには、向かい側にいるであろう人が、ボンヤリと写り込んでる時があるらしい。 「はっきりとは見えないですよ?だけど、ああ誰かいるな、一緒にテーブルの上の料理を眺めてるなとは、わかるレベルです。みんなSNSの写真は拡大して見ますから、その辺は注意ですよ!baeとか恋人同士のコメントはいいですけど、恋人の顔は写しちゃダメですからね」 「なっ!…はい、わかりました…」 女性陣みんなすごい。圧巻されてしまった。男性社員たちも呆気に取られている。すげぇ…とか、探偵かよ…とか、声が漏れている者もいた。 「あとは、その指輪です。ほんっとに、リア充ですよねぇ〜。社長ほど身体が大きな男の人が、そーんなに細い指輪して!もう、見るたびにキューンってなっちゃうからっ!高そうな指輪だし!」 飲んで酔ってきたので、ますますみんな砕けてきており、話も盛り上がってしまう。女性たちからの容赦ないツッコミは続く。 「いや、これはさ、その…もうちょっと大きい指輪でもよかったかなって俺は思ったんだけど、あまり目立たないのがいいって言われて…付けてるのを忘れるくらいがいいっていうからさ、だから俺はそれに合わせたんだけど、」 指輪を触りながら、しどろもどろになり答えたが、女性達は「うんうん」「でしょうね」と頷き、前のめりでアレコレ聞かれてしまう。 「そんな高そうで細い指輪されると、完全に相手の人に合わせてるってわかるじゃないですか!普通、身体の大きな男の人はもっと幅の広い指輪を選ぶんですけど、そんなこと思いつかないくらい、相手のことだけを考えて選んだんだなって思います!」 「そうですよっ!ペアのリングだってモロわかりです。社長がひとりでこのデザインを選ぶはずないんです!わかりますから」 「そのリングを選ぶって、だいぶ華奢な方なんですね、お相手の方。だからこそ、社長がその指輪をしてるとギャップもあって…私たちそれを見て、ずっとキューンってしてたんですよっ!」 「その人のことだけを考えての指輪でしょ?違います?お相手の方は、社長に大切にされてるんですね。うふふ」 圧倒されてしまった。指輪を付け始めたが、ここまで見られているとはわからなかった。それと指輪にそんな理由があるとは…よくわからない。 「…で、何を悩んでたんです?」 声の方を向くと、井上が頬杖をつきながらつまんなそうな顔をして下野を見ていた。 今回の関西のプロジェクトには井上も入っている。だが、いつものようにグイグイと下野にボディタッチをすることはなかった。 井上は下野の相手が春樹だと何となくわかっているんだと思う。下野が匂わせ写真をSNSに投稿し始め、指輪も左手薬指につけ始めてからは、猛アタックされていたのがピタッと無くなり、今では距離を置かれているなと感じるほどだった。伊澤指導の『匂わせ』は思惑通りであるようだ。 「えっ…えーっと、あのさ、たいしたことじゃないんだけど…みんなどうしてる?例えばさ、その…毎日一緒に暮らしてる人と物理的に少し離ればなれになると、心配じゃないか?天災とかさ、あったらどうしようって。事故とか急に巻き込まれないかとかさ…そんなことないってわかってるんだけど、もしかしたら?って考えると、心配にならないか?」 周りのみんなに向かって下野は聞いたが、井上はその下野の言葉を聞き、ものすごく呆れた顔をしていた。彼女のそんな顔は初めて見る。言葉に出してないが『馬鹿か?この男』と顔に書いてあった。 「わっかるぅ!いやーん、社長わかります、わかります!」 「私も〜。彼氏と離れるとちょっと心配しちゃう時あるぅ」 「いや〜実は俺もなんすよ。うちの嫁が出張とかすると心配で心配で…」 「俺は、娘が心配です!そんな感じですよ、夜遅く帰ってくるとか。も〜お、心配で心配で。トラブルに巻き込まれてないかっていつも考えちゃいます」 下野の発言に急に周りが騒ぎ始めた。よっぽどの天災が起きない限り大丈夫だとわかっていても、でも…もしかしたら…と、考えてしまうことがある。大切な人と離ればなれとは誰でもツラく心配だらけである。 このことが『わかる!』という派と『わからん!』という派に分かれて言い合っている。 しかし、意外と『わかる!』派が多い印象だ。みんな恋愛をしたり、家族を持つと同じような感じなんだなと、下野は周りを見渡して思った。 どちらの派も譲らず話が盛り上がっているが、会食はそろそろお開きとなりそうだ。 「まぁ、社長の場合は新婚なんで、今は何をしててもお相手の方のことが心配で心配で仕方ないようです」 という伊澤の言葉に、社員一同、今日一番の「えーーっ!」という大きな声が上がっていた。

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